2009年11月21日 (土)

ショルトーの正体(2)

 小林・東山両氏の本、「ドイルはワイルドからあまり良い印象を受けなかったらしく、……」の前の段落に、こう書いてある。

 ドイルは自伝で、オスカー・ワイルドに初めて会った時のことを書いている。1889年のできごとであった。「ワイルドは唯美主義のチャンピオンとしてすでに名をなしていた。彼は私たちよりも群を抜いているだけだったが、それでもこっちのいうことには面白がってみせる術を心得ていた。感じかたや如才なさにこまやかさがあったが、一人芝居の男は心から紳士ではあり得ない。この晩の結果はワイルドも私も『リピンコット』の誌に小説を書く約束ができたことだった。それで書いたの場、ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』と私の『四つの署名』とであった。(延原謙訳『わが思い出と冒険』新潮文庫、97ページ)

 延原謙訳が誤訳だから、「あまり良い印象を受けなかったらしく」という誤解が生じたのです。原書(Memoirs and Adventuresという題ではないので気がつかないが下の本)を見てみよう。

He towered above us all, and yet had the art of seeming to be interested in all that we could say. He had the delicacy and feeling and tact, for the monologue man, however clever, can never be a gentleman at heart. He took as well as gave, but what he gave was unique.

 下線部を、延原謙氏は

彼は与えもした代わりに、与えるものは独特であった。

 と訳している。意味不明である。だから、小林・東山氏は引用から省いている。しかし引用部分だって「彼は私たちよりも群を抜いているだけだった」を始め、ナンセンスだ。
 正しい訳は

  彼は我々の上に高くそびえ立っていたが、我々の言うことに興味があるという顔をする術を心得ていた。まことに心遣いに富み如才のない男だった。一人でしゃべる男は、いかに頭がよくても、本物の紳士とは言えない。ワイルドは与えかつ取ることを心得ていた。そして彼の与えるのは独自のものだった。

 これで意味が通るはずです。
 延原謙訳では、ワイルドが「一人芝居の男」だったことになる。とんでもない間違いだ。
 コナン・ドイル(1859-1930)は1889年にオスカー・ワイルド(1854-1900)と初めて会った。そして「あのワイルドさんが僕の小説をほめてくれた!」と感激したのだ。まだ専業作家ではなかったドイルに対して、ワイルドはすでに名士だった。ところがワイルドは本物の紳士で、少しも偉そうにしない。ドイルの小説をあらかじめ読んできてくれた上に、ドイルの言うことを面白そうに聞いてくれた。さすがに有名になる人は違う、とドイルは感心したのだ。

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2009年11月20日 (金)

ショルトーの正体(1)

 ドイルはワイルドからあまり良い印象を受けなかったらしい、オスカー・ワイルドを戯画化して《四つのサイン》にでてくるサディアス・ショルトーを描いた。ショルトーは「南ロンドンという荒涼たる砂漠のなかの芸術のオアシスです」と話し始めるが、これはワイルドが1882年にアメリカ旅行をした時に「アメリカ女性? 彼女は常識という人を当惑させる砂漠の中の魅力的なオアシスですよ」と話した警句のパロディである。
(小林司・東山あかねp.155)

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 サディアス・ショルトーのモデルがオスカー・ワイルド? ワイルドはもっと偉かったと思いますよ。彼は少なくとも禿頭ではなかった。しかし、小林司・東山あかね両氏だけではなく、ほかの人たちもだいたい同じ意見のようだ。
  
 河出書房版ホームズのクリストファー・ローデンによる注釈を水野雅士氏の本から孫引きさせてもらう。

「サディアス・ショルトーの人物描写の中に、疑いようのないオスカー・ワイルド的なものが存在している。ワイルドは大変な、そしてきざな愛煙家であった。サディアス・ショルトーも水ぎせるを愛用している点においては――そうである。…………」…………さらにローデンは、《四つのサイン》でホームズが指摘したサディアス・ショルトーの筆跡に関する「この(縦に)長く書くべき文字の群を見てみたまえ。短い文字の列からほとんど頭が上に出ていない。dはaのようだし、lはeのようだ。しっかりした人物なら、どれほど読みにくい文字を書いたとしても、長い文字を短い文字のようには書かないものだ。彼が書くkは安定性に欠けるし、大文字にはうぬぼれが透けて見える」という特徴は、ワイルドの筆跡と共通する部分があると述べ、そのことから「リピンコッツ」誌のスタッダードが設定した会見で初めてワイルドにあったドイルは、その後おそらくワイルドと手紙のやりとりを始めたのだろう、とローデンは推測している。
(水野雅士pp.277-8)

「大変な、そしてきざな愛煙家」というなら、シャーロック・ホームズも同じではないか。
 ローデン氏の「推測」も、当てにならないと思う。コナン・ドイルとオスカー・ワイルドが文通していたなどと、どうして言えるのだろうか。どちらの伝記にも、文通のことなど書いてはない。

 
 
 どうもみなさん、オスカー・ワイルドを見くびっているのではないか。吉田健一を読んでみて下さい。「英国では、近代はワイルドから始まる。」いや、ワイルドを読めばよいのだ。

 アーサー・コナン・ドイルもジョン・H・ワトソンも正常な男だったから、「例のこと」があったワイルドを嫌っているはずだ、高く評価するはずがない――という先入観があるのでは?
 ドイルはワイルドを尊敬していたし、変態あつかいなどしなかった。したがって(?)、ワトソンも同じだった。

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2009年11月17日 (火)

坂の上の雲から黄禍論へ

 我が國の發展が世界に及ぼした影響の尤も顯著なるものの一つは、アジア人の覺醒を促したことである。一體この三百餘年間は、白人種の得意跋扈時代であつた。彼等は到る處に占領地を作り、殖民地を建て、全世界を擧げて彼等の勢力の下に置き、白人種にあらざれば、殆ど人間にあらずといふ有樣を呈した。アジアの如きも、印度・ビルマは英國に、シベリア・中央アジアは露國に、後印度の大部は佛國の手に落ち、餘す所の支那やペルシアやシャム等も、白人種の壓迫に苦しんで居る。唯一の例外たる我が日本と雖ども、全くはその壓迫から離脱し得なかつたのである。
 アジア人も白人の壓迫に對して、萬斛の不平を抱いて居るが、然し彼等は到底白人には抵抗不可能と信じて、その自然の運命に服從いたし、白人は又劣等と信ぜるアジアの黄人種を支配するのは、その當然の權利の如く心得て居つた。かかる事情の下に、僅少なる白人が、多數の黄人を容易に統治して行くことが出來たのである。所が日露戰爭は從來のレコードを破つた。日露兩國は種々なる點に於て、奇妙なる對照を有して居る。從つてその戰役の結果は、種々なる方面に影響を及ぼして居るが、中に就いて、アジアの一小國が、その幾十倍もある白人の大強國――數ある白人の強國の中でも尤も跋扈を極めた大強國――と戰ひ、見事之を打ち破つて、兜を脱がしめたといふ事實は、全アジア人に餘程深刻なる印象を與へた。黄人も努力如何によつては、隨分白人の壓迫を脱することが出來る。否更に一歩を進め、白人に對して痛快なる復讐をも成し遂げ得らるるといふ、實例を目前に示されたのである。
 日露戰役の數年前から、活動寫眞が次第に世間に持て囃されて來た。日露戰役はこの活動寫眞にとつて、好箇の映寫物となつた。日露戰役の當時から、爾後三四年間は、この戰役の活動寫眞が、アジア大陸到る處で空前の歡迎を受けた。印度人・ビルマ人・シャム人・安南人・支那人・南洋人等は、何れもこの活動寫眞――實際以上に露軍敗亡の有樣を映寫してある――を見物して、數十百年來の溜飮を下げた。活動寫眞によつて、不樣な露軍の敗走を見ると、自然彼等の腦裡に、白人の威光が薄らいで行く。白人も不可敵でないと知ると、之に對する反抗心が頭を擡げて來る。かくて汎アジア主義が、次第に東洋の天地に彌蔓して來た。
 英人の管下にある印度人の獨立思想も、この時から一層熱列を加へ、英人も之を抑壓するに頗る困難を感じた。そこで日英同盟によつて、日本の勃興を助けた英國の政策は、果して英人の利益であつたであらうかと、同盟の價値に就いて疑惑を挾む者も出來た程である。佛領後印度にも、同樣不安の状態が起つた。フランスがこの地方を占領して以來、日露戰役直後ほど、安南人の人氣の荒立つたことはないと傳へられて居る。
 このアジア人のアジアといふ思想の勃興には、アジアに領土を持つて居る白人一同に閉口した。彼等は日本人がやがて黄人種の先達となり、黄人種の大同團結を作つて、白人驅逐を試みるであらう。多數の黄人に少數の白人では、その結果恐るべきものがある。過去に於て白人が黄人に壓迫征服された場合が多い。かかる時代が或は再出するかも知れぬとて、今迄見縊り過ぎた反動で、實際以上に黄人に對して警戒を加へることとなつた。
 アジア人の中でも、支那人が一番覺醒して來たかの如く思はれた。日清戰役後支那人の間に、變法自強といふ新機運が開けて、事毎に日本を模範とすることとなつたといふ條、彼等は未だ十分に日本の實力を理會せなんだ。日本は東洋でこそ強國であるが、世界の舞臺に出ては、とても歐米列強と肩を並べられぬもの、まして露國に對しては、足許へも寄られぬものと信じて居つた。所が日露戰役で、日本が彼等支那人の間に、世界第一の強國と確信されて居つた露國を打ち倒したのであるから、彼等は今更ながら、日本の國力の強大なるに驚嘆し、愈變法自強の急務なることを自覺した。日露戰役後に於ける支那の革新は、隨分目覺しいものであつた。日本は立憲國で勝ち、露國は專制國で負けた。中國も日本の如く立憲制を採らねばならぬとて、やがて立憲の準備にかかる。日本は國民一致して勝ち、露國は國民雜多にして一致を缺きし故敗れた。中國も滿・漢の區別を撤廢せなければならぬとて、やがて均平滿漢の上諭――滿漢の區別を撤廢せんとする試は、日露戰役前から幾分行はれて居つたが――が發布された。其他學校教育の普及とか、新式陸軍の増加とか、すべて此等の革新的計畫は頗る大袈裟で、然も直間接に多く日本人の補助を受けたのであるから、尠からず歐米人の耳目を聳かさせた。彼等はアジア人の覺醒を重大視する餘り、盛に黄禍論を唱へ出した。

 
 
 黄禍論は勿論日露戰役以前から、已に白人間に唱道されて居つた。黄禍といふ文字も、日清戰役の頃から使用されてをつた。日清戰役の終期、三國干渉の起らんとする前後に、ドイツのカイゼルからロシアのツアールに贈つた一幅の寓意畫――東洋の佛教國の前進を、耶蘇教國が一致して防禦せんとする――の標題が黄禍であつた。この時以來黄禍といふ文字は、盛に使用されることとなつたが、實際の處當時日本は三國干渉の爲に大頓挫を受けて居る。支那は日清戰役の敗亡に續いて、列強から要害の地を租借せられ、或は擧國瓜分の厄に罹らんとする形勢であつた。黄禍といふ文字こそ新聞・雜誌又は書物に疊見すれ、當時眞面目に黄禍の實現を信じた人は、甚だ多くなかつた樣である。黄禍論は畢竟一種の杞憂に過ぎずと見做されて居つた。所が明治三十七八年の日露戰役後から、黄禍論は始めて世界的問題となり、歐米人も眞面目にこの論に耳を傾くることとなつた。
 等しく黄禍論といふ條、或は日本を問題の中心とする者もある。或は支那を黄禍の中心とするものもある。或は經濟の方面より觀察を下すものもある。或は軍事の方面より觀察するものもある。解釋の仕方は一樣ではないが、そは兔に角、アジア人の覺醒と共に、黄禍論の重大視さるるに至つたのは、爭ふ可らざる事實である。而して此等の事實は、東洋史は勿論、世界史の上より觀ても、稀有の大事件といはねばならぬ。
(桑原隲藏『東洋史上より觀たる明治時代の發展』より。初出は1913年(大正2年)8月太陽第19巻第11号)
全文は青空文庫http://www.aozora.gr.jp/cards/000372/files/4708_11086.html

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2009年11月16日 (月)

事件に巻き込まれた?

 近ごろ、テレビでは殺人事件や誘拐事件の被害者のことを
「警察では○○さんが事件に巻き込まれたものとみて捜査しています」
 などという。
 日本語の間違いだ。「巻き込まれる」というのは全然別のことのはずだ。
 広辞苑で「巻き込む」を引いてみよう。

まきこむ【巻き込む・捲き込む
(他五)
①巻いて中へ入れる。
②仲間に引き入れる。まきぞえにする。「騒動に―・まれる」

まきぞえ【巻き添え】
①他人の罪に関係して罪をこうむること。連座。また、他人の事件に巻き込まれて損害を受けること。かかりあい。そばづえ。江戸生艶気樺焼(えどうまれうわきのかばやき)「ほんの―で難儀さ」。「―を食う」
②入質(いれじち)の時の要求金額に対する担保の不足分を補う、たしまえ。浄、反魂香「―がいるならば、わしが繻子の帯もあり」

「事件に巻き込まれる」というのは、『北北西に進路を取れ』のケーリー・グラントみたいな目に遭うことだ。
 
 Carygrantinnorthbyno001
 
 どうしてこうなったか。
 ケーリー・グラントは何の用があったのか、国連本部へ行ってそこで

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 腕の中に男が倒れかかってくる。背中にナイフが突き刺さっている。思わずそのナイフを抜いてしまう。すると

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「こいつが犯人だ」と言われて、逃げるはめになる。他人の事件に巻き込まれたのだ。

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 ラシュモア山にまで逃げて

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 最後は結構なことになるのだった。一度巻き込まれてみたい。

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2009年11月15日 (日)

ウィンドウズ7は?

私はまだ当分XPを使い続けるつもりです。(S.H.)

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2009年11月14日 (土)

バールのようなもの

Hirata

バール
(crowbar の略) 棒状の釘抜き。かなてこ。(広辞苑)

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2009年11月13日 (金)

毛むくじゃらのアイヌ人(8)

 ヨーロッパ人はこう考えた。
「我々は(毛むくじゃらのアイヌ人に限らず)ヨーロッパ人の従兄弟がいれば、ぜひとも救援に行かなければならない」
 実際に救援に出動した例が最近にあった。

Map

 東ティモール民主共和国は、2002年にインドネシアから正式に独立した。
 ティモール島は16世紀にポルトガルが植民地化した。その後1859年に西ティモールがオランダに割譲され、以後ポルトガルは東ティモールのみを領有した。
 1975年に東ティモール民主共和国はポルトガルからの独立を宣言した。翌1976年インドネシアは東ティモールを州として併合した。いわゆる東ティモール紛争で住民が多数殺された。1999年にオーストラリアを中心とする多国籍軍が東ティモールに救援に入った。
 多国籍軍の後ろ盾を得て、2002年5月、シャナナ・グスマンを大統領として正式に東ティモール民主共和国が独立した。 
 President_gusmao
 
 複雑な民族問題があるようだ。しかしアジアで民族問題を抱えていない国は日本などごく少数だけだ。ベトナム、タイ、ビルマ、インドネシア、インド、フィリピン、……どこの国でも内部に民族対立がある。むかしの英国はこれをうまく利用した。インドではヒンズーとムスリムの対立をあおって分割して統治したし、シク教徒を手先に使った。1857-8年のインド大反乱では『四人の署名』に見られるように、シク教徒は東インド会社の側についた。ビルマでも少数民族を利用した。
 しかし今では対立する民族の一方に外国が肩入れするということはまずない。
 オーストラリアが東ティモールに入ったのは例外だ。「ヨーロッパ人の従兄弟を救援に行く」ためだった。グスマン大統領も、1996年にノーベル平和賞を受賞したジョセ・ラモス=ホルタ氏もポルトガル人との混血だ。蘭領インドネシアには混血が少ないが、ポルトガル領の東ティモールではかなり混血の住民がいるのだ。Ramoshorta

 土人と土人が争っているのなら放っておけ。しかし我々白人の従兄弟たちは助けなければならない。白豪主義は捨てたことになっているけれど、これはまた別だ。
 しかし今では東ティモールとオーストラリアの関係は、石油の権利をめぐる争いがあって必ずしも良好ではないのだそうだ。

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2009年11月12日 (木)

関西弁の歎異抄?

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歎異抄 序
 ひそかに愚案を回らしてほぼ古今を勘ふるに、先師の口伝の真信に異なることを歎き、後学相続の疑惑有ることを思ふに、幸ひに有縁の知識によらずんば、いかでか易行の一門に入ることを得んや。まつたく自見の覚悟をもつて他力の宗旨を乱ることなかれ。よつて故親鸞聖人の御物語の趣、耳の底に留むるところいささかこれをしるす。ひとへに同心行者の不審を散ぜんがためなりと云々。

歎異抄 序
 ひとに聞かせられへんアホなことばかり考えているワテ(唯円)ですけど、昔のことや今のことを思うてみるにつけても、先師・親鸞聖人のいわはった教え(=口伝)が真の信心と異のうてきたのを嘆いとります。後で学んで後に続こうとしなはる人の疑惑があるんやないかと思えてならしまへん。うまいことに縁ある人に教えてもらわな、アンキな易しいやり方(=易行)の仲間に入られへんのやないか。まったく自分の思い込みだけで「ひとまかせ(=他力本願)の宗旨を乱してはあきまへんのや。亡くなりはった親鸞聖人のいわはった御物語のおもむきを、耳の底に残ったままのもんを、ちょっとここに書いてみようと思うとります。ただただ同じ信心を行う人々の、不審な心を晴らすためのもんにほかなりまへん(ということです)。
(川村湊訳p.13)

 川村湊氏は北海道網走番外地の生まれだそうだ。だから、こんなニセ関西弁を使うのだな。はんかくせえ。網走弁で訳してみろ。
 私は関西弁のネイティブスピーカーだけれど、こういう言葉を使う人は知らないよ。「亡くなりはった親鸞聖人のいわはった御物語」とは何だ!
 歎異抄の筆者唯円という人は常陸の国(茨城県)の出身だ。これは立松和平さんあたりに訳してもらうのがいいと思う。

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「僕は他人に聞かせられない馬鹿なことばっかり考えているんだよねー。でも昔のことや、今のことを考えてみるとー、先師親鸞聖人のー、教えがー、ほんとの信心とは全然違って来ちゃってるんだよねー。困るんだよねー」

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2009年11月11日 (水)

毛むくじゃらのアイヌ人(7)

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"Round-headed," he muttered.  "Brachycephalic, gray-eyed, black-haired, with suggestion of the negroid.  Celtic, I presume?"
"I am an Irishman, sir."

「頭は丸いな」と彼はつぶやいた。「短頭。眼はグレイ、髪は黒い。ネグロイドの気味もある。ケルトと見たが、ひが目か?」
「僕はアイルランド人です」

 アーサー・コナン・ドイルの『Lost World 失われた世界』(1912)。チャレンジャー教授が初対面のエドワード・ダン・マローン記者の顔を見てこう言う。
 ケルト人は現在のアイルランド人やウェールズ人の先祖だ。白人であるが、金髪碧眼で長頭の北方人種と違って、眼はグレイで髪は黒く短頭であり、いくらかネグロイド(黒人)の要素が混じっていると考えられていたようだ。ドイル自身もアイルランド人だ。
 イングランドで主流のアングロ・サクソンはドイツから渡ってきたゲルマン民族だ。これは白人の中の白人で「アーリア人種」ということになっていたらしい。

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  アーリア(英Aryan, 独Arier)という言葉は色々な意味で使うが、1888年にチャールズ・モリスが書いた『アーリア人種』では、後のナチ人種論と同じように「理想的な白人」の意味だったようだ。(上の表紙のイラストは顔面角が実際より大きい、理想化されたアーリア人像)

Arier_nicht_nur_sauber_sondern_rein
 Aryan.  Not only clean but also pure!

 日本人を「アーリア人種」に含めるトンデモ説もあった。日本人は毛むくじゃらのアイヌ人の血を引くから、朝鮮人や支那人と違って白人なのだ!

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2009年11月10日 (火)

カリスマ

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観光カリスマとは、日本の地域観光振興を目的に、特色のある観光地づくりに貢献した人々を選定したもの。
選定は内閣府及び国土交通省が中心となり、観光カリスマ百選選定委員会が選定している。2002年から2005年にかけて100名弱が選ばれた。魅力的な観光資源が乏しい地域での観光振興、疲弊した観光地の復活などを担った多様な人物が選ばれている。
国土交通省は、観光カリスマを講師にして「観光カリスマ塾」を開催、ノウハウの伝授や現場体験、受講者によるワークショップなどを実施し、次世代の観光振興を担う人材育成を行っている。
(ウィキペディア)

カリスマcharisma
元来はキリスト教用語のギリシア語で神の賜物を意味し、神から与えられた、奇跡、呪術、預言などを行う超自然的・超人間的・非日常的な力のことである。こうした能力や資質をもった人がカリスマ的指導者であり、ナポレオン、ヒトラー、スターリン、毛沢東などがあげられる。M・ウェーバーが支配の正当性の類型化にこの概念を用いたために、社会科学における学術用語としてはもちろん、広く一般にも用いられるようになった。ウェーバーは、合理的支配、伝統的支配、カリスマ的支配からなる支配の三類型を定式化した。カリスマ的支配とは、カリスマ的資質をもった指導者に対する個人的帰依(承認)に基づく支配である。真のカリスマは権威の源泉となり、承認と服従を人々に対して義務として要求する。この服従と承認は、指導者の行う奇跡によって強められる。こうして、服従者は指導者と全人格的に結ばれ、信頼と献身の関係が成立する。この支配関係は官僚的手続や伝統的慣習または財政的裏づけに依拠せず、指導者固有のカリスマに対する内面的な確信にのみ基づいている。したがって、構造的にも財政的にも不安定な関係であり、服従者の帰依の源泉であるカリスマの証がしばらく現れない場合、カリスマ的権威は失墜し、指導者は悲惨な道をたどることになる。しかし、カリスマが有効に作用する限り、遠回しの手続を必要としないので、危機的状況や革命的状況に適した支配パターンといえる。(小学館スーパーニッポニカ)

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 英語でもcharismaは意味不明だ。

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 カリスマ電気掃除機

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カリスマ大尉? (小振りですな)
  
カリスマ=もてる? 

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Yourcharismaquotient

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