2008年5月11日 (日)

ブニュエルと煙草

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 アルコールが女王ならば、煙草はその配偶者だ。常によき伴侶であり、雨の日も晴れの日も忠実な友だ。人は幸せを寿ぐため嘆きを隠すために煙草を吸う。一人でいても友達と一緒のときも、五感のすべてを愉しませてくれる。白いシガレットが銀紙に包まれて閲兵式の兵隊みたいに整列している――こんなにすてきな光景があるだろうか。ポケットから取り出し、箱を開けて、指で触る。唇で巻紙、舌で煙草の感触を味わう。火が赤く燃えて、だんだん近づいてきて、そのぬくもりを感じるのが好きだ。
ルイス・ブニュエル(1900-1983)

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2008年4月27日 (日)

五星紅旗が

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 長野ではあれほど派手に五星紅旗がひるがえるとは思わなかった。
 日本はすでに東京、札幌、長野と3回もオリンピックを開いて国威発揚につとめている。中国にだって国威を発揚する権利はあるわけだ。

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 1904年、仙台医専に留学していた魯迅は、ニュース映画で露探の支那人が日本軍に処刑されるシーンを見た。魯迅に衝撃を与えたのは見物している支那人たちが同胞の処刑に喝采する姿であった。支那人に愛国心はないのだろうか。
 それから百年経って中国のナショナリズムも十二分に発達していることが示されたわけだ。しかし日本人が外国へ行ってあんなふうに日の丸を振るなんてことはあり得ない。アメリカ人が星条旗を振るのも考えられないし、カナダ人がカエデの旗を振り回したりするはずがない。
 日本では厳重に警備するから聖火に突進する者はいないだろうと思っていたら、何人か逮捕された。卵を投げつけたやつもいた。中国ナショナリズムの発露を見せつけられて暴発したのか。
 しかし警備はしっかりしていて、一人も聖火に近づけさせなかった。さすがに日本の警察は偉い? 
 いや、考えてみれば、あれくらいの警備は英、仏、米の警察だってできたはずだ。聖火に近づくやつが結構いて、フランスの場合など消されたけれど、あれはどうも片八百長の気味があるね。わざと警備をゆるめたに違いない。

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 少なくとも「支那人が生意気な」という気分が働いていたことは確かだろう。
 英国の新聞の論調は「聖火リレー妨害は民主主義の勝利だ云々」だって。
 フランスの人権団体国境なき記者団のロベール・メナール事務局長は日本の対応を高く評価し、小競り合いはたいしたことではないとの見方を示した。
「(長野の聖火リレーは)民主主義に偉大な名前を与えた。ここでは、赤い中国の国旗を振る人々の隣で、別の人々がチベットの旗を振っていた」(メナール事務局長)
http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2383642/2868310
 
 ほめてくれたわけだ。
 中国のチベット人弾圧を弁護するつもりはない。しかし、欧米人に偉そうなことを言われたくないね。中国で、ベトナムで、インドで何をしてきたのか。
 パレスティナで何が行われているか。

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2008年4月23日 (水)

柔道か柔術か(14)

(承前)タニ・ユキオがどれだけ強かったか、プロレスラーによる評価を見てみよう。
 南アフリカ出身のプロレスラー、トロンプ・ヴァン・ディゲレンの自伝から。写真の左の人物がディゲレン。

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 1908年にアポロ・サルド・クラブで、私は初めて柔術の凄みを知った。当時タニはイングランド中のミュージックホールで技を見せて回っていた。それまでヨーロッパではこの護身術はよく知られていなかった。すばしこいちっぽけなジャップが大男を数秒のうちにやすやすとやっつけるのを見て、人々は驚嘆した。力は無益だった。タニの技は敵の力を利用していた。タニが電光石火のごとくかけてくる技から逃れようと、こちらがもがけばもがくほど痛みが強くなるのだ。
……アポロ・サルド・クラブの常連たちの要望で、私はこの小さいがたくましいジャップと勝負してみた。まずはレスリングである。タニはフェアで柔術技は出さなかったから、二三分のうちに私がピンフォール勝ちした。これは当然の結果だったので、私は笑いながら柔術用のキャンバス製のジャケットを身につけた。十七秒後、私は笑うどころではなく、息が詰まって必死にマットを叩いていた。相手のジャケットに手をかけたと思ったらすぐにマットに叩きつけられ、起き上がろうとする前に相手の両足が首に絡みついて息ができなくなった。足を外そうとしてもどうにもならない。このホールドには力だけでなく何か特別のコツがあるらしい。
 もう一度やってみた。今度は、私がタニのジャケットを掴むと、彼は自分から後方に倒れて片足を私の腹にあてて、私は空を切ってとぶことになった。

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起き上がるチャンスはなかった。またもや太い足が首に絡みついて締め付けた。今度は15秒で、私は両手でマットを叩いてギブアップした。このちっぽけな「黄禍」に肩を貸してもらって歩きながら、あんたはほんとに日本のチャンピオンなのか、と聞いてみた。「とんでもない。宣伝のためにそう言っているだけだ。日本では私など三流だよ。本物のチャンピオンはみんなアマチュアでね、見せ物にはしない。柔術の極意は宗教に近いのだ」

 レスラーと戦うときは相手に柔道着(「キャンバスのジャケット」)を着せたらしい。しかし現代の柔道着とはだいぶ違う。袖丈が短くて、ほとんど半袖シャツである。

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 護身術に使う場合は相手は洋服だからこの方が実戦に近いのである。場合によっては双方裸で、技だけは柔術の関節技や絞め技を使うこともあったようだ。

 この時代には、アメリカでは山下義韶(後に十段)などが柔道/柔術を教えている。コンデ・コマこと前田光世はアメリカからブラジルに行って、ブラジリアン柔術の開祖となった。
 ロシアには広瀬武夫がいた。広瀬は海軍の駐在武官であったが、日本の不思議な武術の達人であるらしいという噂が広まり、レスラーなどを相手に技を見せたこともあったようだ。サンボの起源は広瀬の柔術と関係があるらしいが、この話はまた。
 

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2008年4月18日 (金)

皇軍に感謝する

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 毛沢東主席は「皇軍に感謝する」と発言したことがある。
 1964年7月10日、毛主席は日本社会党訪中団(団長は佐佐木更三委員長)を接見した。
 このときの毛主席の発言について
http://blog.sina.com.cn/s/blog_4a84d4450100063x.html

老毛感謝日本皇軍是大恩人」という記事がある。中国語の分かる人はご覧下さい。
 英語版から訳しておくと

 私は日本の友人たちにこう言ったのだ。彼らが「日本軍が中国を侵略して申し訳ない」と言うから、私はこう答えた。「とんでもない。もし日本の皇軍が中国の半分を占領しなかったら、中国人民はあなた方に対して団結することはできず、中国共産党も今日権力の座にはなかっただろう。日本の皇軍こそ、中国共産党の先生であり、大恩人であり、救い主なのだ。」

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2008年4月17日 (木)

メレディスとドイル

 サウスノーウッド時代にドイルが特に誇りに思ったのは、ジョージ・メレディス(1828―1909)との繋がりだった。今となってはなぜかが分かりにくいのだが、メレディスは晩年の二十年間に文壇で偶像視されていた。理由は二つあった。第一に、メレディスの文章は読みにくく、そもそも理解できないことも多かった。したがって(1)名文であり(2)深遠な思想がある、ということになった。第二に、ふつうの読者はメレディスなど読まないので、同時代の作家は競争相手になる恐れのない彼を安心して祭り上げることができた。それに、どんな職業でも誰かひとり大御所がいて仰ぎ見ることができれば有り難いものだ。トマス・ハーディ(1840―1928)は1990年代にはまだ貫禄が足りなかったし、メレディスは社会的政治的に安全で恰好の崇拝対象だったのだ。ハーディの番が来るのはもっと後になり歳を取って危険がなくなってからである。
 カーライル(1795―1881)なきあとメレディスこそが文学の第一人者だと思ったから、コナン・ドイルはメレディス論を書き、1892年11月にはアッパーノーウッドの文学学術協会で彼について講演した。ドイルは文豪からボックスヒルの自宅に招かれることになった。このときの会見は庭で始まったが、危うくその場で終わるところだった。メレディスは自宅の裏の小高い丘を指して「先ほどあの天辺まで登ったのです」と言った。ドイルは新聞でメレディスの健康が優れないことを読んでいたから、驚いて「ずいぶんお元気ですね」と言った。メレディスは怒って「私を八十の爺とでも思っているのですか」と答えた。ドイルは「ご病気と伺っておりましたので」と言い訳し、メレディスは怒りを飲み込んだ。昼食の席でドイルは赤ワインを一本あけ、メレディスの話に聞き入った。昼食後二人はメレディスが仕事をする四阿まで険しい細い道を登った。ドイルが先に立った。後ろで滑って転ぶ音がしたが、ドイルは懲りていたから振り返らず気がつかない振りをした。「恐ろしく自尊心の強い老人だった。助け起こしたりすればとんでもないことになるのは本能的に分かった」とドイルは書いている。無事に四阿におさまったところで、メレディスは書きかけの小説を朗読してくれた。ドイルは非常にいいと思ったのでそう言うと、メレディスはそれでは書き上げることにしようと答えた。『驚くべき結婚』が完成したのは、ドイルがこのとき著者を助け起こさなかったおかげかも知れない。
(ヘスキス・ピアソン『コナン・ドイル』より)

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2008年4月16日 (水)

綱引きを種目に加えよ

 オリンピックの種目のことです。
 オリンピックは運動会なのだから、綱引きがあるのは当然でしょう。玉入れもあってもよい。
 実際、綱引きは1920年(大正9年)の第7回アントワープオリンピックまでオリンピック種目に入っていました。

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 写真は1908年(明治41年)のロンドンオリンピックに出場したアメリカの綱引きチーム。このときは綱引きにはイギリスが優勝している。日本はこの大会には不参加。
 日本が参加するのは1912年(大正元年)のストックホルム大会から。このときの団長は叶姉妹の曾祖父にあたる嘉納治五郎であった。ただし、綱引きには参加せず、マラソンの金栗四三(1891-1984)など男子陸上選手だけが参加した。

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 金栗選手は日本での選考会で世界記録を出し、優勝候補と目されていたが、ゴールしなかった。一説によると、途中で市民の家でお茶とお菓子に誘われ、断り切れなくてレースを中断したと言われている。
 
 昔のオリンピックは今とはかなり違っていた。聖火リレーなんてのも、まだなかった。ちなみに聖火は英語ではHoly FireではなくOlympic Flameと言うようです。別に「聖」ではないのだから、日本語でもこういう即物的な言い方を採用したらどうだろう。
 古代オリンピックでは、大会期間中火を燃しておく習わしがあったようだ。

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 近代オリンピックで聖火(と一応呼ぶ)が初登場したのは1928年のアムステルダム大会から。古代と同じように、大会期間中火を燃しておくことにした。
 ギリシャからの「聖火リレー」という画期的なアイデアを実現したのは、1936年のベルリンオリンピック。

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 この大会はヒトラーの国威発揚に大いに役立った。

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2008年4月15日 (火)

後期高齢者?

 後期高齢者健康保険の天引きが始まりましたね。我が家でも母は私の国民健康保険を使っていたのが、年金から引かれることになった。
 しかし「後期高齢者」とは何だ? 後期があれば前期があるはずだ。
 65歳以上74歳までが「前期高齢者」だろうね。すると、後期高齢者とは75歳から84歳までかな? 
 それじゃ、85歳以上は何と呼ぶのか? 「くたばり損ない」かな。
 厚生労働省では「くたばり損ない健康保険」の早期導入に向けて鋭意検討を進めているそうです。

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2008年4月14日 (月)

中国の立場

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 われわれは「チベット独立」をたくらむ分裂勢力が、オリンピック精神と英・仏両国の法律を無視し、下心をもって聖火リレーを妨害・破壊したことを強く非難する。崇高なオリンピック精神を汚したこの卑劣な行動は、オリンピックを愛する全世界の人々への挑戦である。われわれは五輪聖火が担うオリンピック精神と「平和・友情・進歩」の理念は何人たりとも阻むことはできないと信じている。

 と中国大使館筋では仰せです。中国大使館ホームページからメールで「ご意見とご感想」を述べることができます。私も「毛沢東思想の旗を高く掲げて頑張って下さい」と激励の言葉を書いておきました。

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聖火リレーをどう迎えるか

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 日本での聖火リレーは、4月26日に長野県善光寺から18.5キロほどを走る予定だ。
 すんなり通してしまうのはもおかしい。しかし欧米諸国のように暴力的に妨害するか? 
 ダライラマも暴力による妨害には反対を唱えておられる。

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 無責任なことを言えば、日本では餃子をぶっつけるのが一番面白そうさだけれど、今回は慎むべきでしょう。
 日本独自の方法で「歓迎」したらどうか?
 善光寺からの18.5キロの沿道で、見物する人たち全員がチベット国旗を振って「大歓迎」するのはどうだろう。

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 これはごく簡単にできることだ。
 新聞社主催のマラソン大会では、何万本も紙製の粗末な旗を作って、沿道の市民に配っている。あれと同じことをすればいいだけだ。
 ああいう旗をたとえば十万本作るのにいくら要るか? 1本10円としても百万円だ。そんなに大した費用はかからない。私がちょっと金持ちだったら、自費で作って長野市民に配るね。チベット国旗準備委員会を結成して浄財を募っても、まだ間に合う。

 長野で何十万の市民が、黙ってチベット国旗を振りながら「粛々と聖火を迎える」。
 中国人「聖火防衛隊」などは入国拒否すればよろしい。デモではないのだから、警備の警官も取り締まれないはずだ。どうですか?

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2008年4月13日 (日)

スパイとスパイ小説(3)

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 1963年にソ連に亡命したKim Philby  キム・フィルビー(1912-1988)は、1968年にMy Silent Warという手記を刊行した。この本には、第二次大戦中に諜報部でフィルビーの直属の部下であったグレアム・グリーン(1904-1991)が序文を寄せている。

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 これはフィルビーの敵が予期していたような本ではない。誠実な態度でよく書けた本であり、面白い話も多い。バージェスとマクリーンが亡命してからのフィルビーの話は、私の読んだどんなスパイ小説よりもはるかにスリルに富んでいる。プロパガンダに満ち満ちているはずだ、と言われていたのだが、実際には、そんなことは全くない。信念と動機を堂々と述べるのがプロパガンダであるとすれば別であるが。もちろん彼にとって目的は手段を正当化するのである。しかし、およそ政治に関わる者ならば、行動から判断する限り、誰でも同じように考えているはずであり、口に出して言わないだけである。これは政治家がディズレーリであってもウィルソンであっても変わらない。「彼は国を裏切った」と言われるか。確かに裏切った。しかし我々のうちで、国よりも大切なものや人を裏切らなかった者がいるか? フィルビー自身の目からは、彼は来るべき世界のために働いていたのであり、それがそのまま「国のため」だったのだ。

 この本を読んだのはもう20年くらい前であるが、「スパイ小説とそっくりだ」と思ったことを覚えている。
 ジョン・ル・カレやグレアム・グリーンのスパイ小説の「真似」のような感じがしたのだが、もちろんこちらの方が本物なのだ。(グリーンが明らかにフィルビーをモデルにした作品は『ヒューマン・ファクター』である。フィルビーがいなければル・カレのスパイ小説もなかった。)

「スパイ小説そっくり」のシーンは2箇所覚えている。
 ひとつは、スペイン内乱(1936-1939)のときである。フィルビーは特派員としてフランコ側に従軍してソ連のために情報を集めていた。あるとき尋問され身体検査を受けることになったが、ポケットには暗号表が入っている。どうすればよいか? フィルビーは隙を見て暗号表を飲み込んでしまうのである。
 もうひとつは外交官としてワシントンD.C.にいたときのこと。ソ連のスパイ管理官と連絡を取るのに、フィルビーは散歩に出て、予め打ち合わせてあった公園の木の幹にある空洞の中に書類を入れておくのだ。「そんな小説じみたことをしなくても、もう少しまともなやり方がありそうなものだ」と思うのは素人考えで、これが一番確実な方法だったらしい。
 スパイ活動がスパイ小説と似ているのは、このような具体的な「手法」についてだけではない。
 何のために諜報活動を行うか? そもそも諜報活動とは何か? こういう根本的な問題についても、ジョン・バカン、エリック・アンブラー、グレアム・グリーン、ジョン・ル・カレ、あるいはイアン・フレミングなどの考えたことと、実際にCIA、MI6、KGBなどの指揮者たちが考えていることの間に、そう大きな違いはないだろう、と思う。
 CIA元長官が手記を書いて米国のスパイ活動を赤裸々に告白する、なんてことはあり得ないから、これを実証するのはむつかしい。
 しかし、たとえば、ヒトラーの頭の中をのぞいてみることができたとしたらどうか? ワーグナーがそっくりそのまま入っていたのではないだろうか。第三帝国の滅亡は『神々の黄昏』だったはずだ。
 フィクションも現実も、人間が頭の中で考えたことを形にしたものなのだ。
   Erdichtung(フィクション)とRealpolitik(現実政治)を混同するなんてとんでもない、かどうか?

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