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2006年2月15日 (水)

柔道か柔術か(1)

 1882(明治15)年、帝大の学生であった嘉納治五郎は、東京下谷稲荷町の永昌寺に講道館を開いて柔道を創始した。
 その後、嘉納の弟子の姿三四郎たちの活躍によって、柔道はたちまち旧来の柔術を駆逐してしまった――黒澤明の「姿三四郎」を見て、こんな風に考えていましたが、これは間違いらしい。
 柔道が急速に普及したことは確かだ。しかし、その柔道は相変わらず「柔術」と呼ばれていたのではないか。
 
 今度の事件は全く赤シャツが、うらなりを遠ざけて、マドンナを手に入れる策略なんだろうとおれが云ったら、無論そうに違いない。あいつは大人しい顔をして、悪事を働いて、人が何か云うと、ちゃんと逃道を拵えて待ってるんだから、よっぽど奸物だ。あんな奴にかかっては鉄拳制裁でなくっちゃ利かないと、瘤だらけの腕をまくってみせた。おれはついでだから、君の腕は強そうだな柔術でもやるかと聞いてみた。すると大将二の腕へ力瘤を入れて、ちょっと攫んでみろと云うから、指の先で揉んでみたら、何の事はない湯屋にある軽石の様なものだ。

 広田先生が病気だというから、三四郎が見舞いに来た。門をはいると、玄関に靴が一足そろえてある。医者かもしれないと思った。いつものとおり勝手口へ回るとだれもいない。のそのそ上がり込んで茶の間へ来ると、座敷で話し声がする。三四郎はしばらくたたずんでいた。手にかなり大きな風呂敷包みをさげている。中には樽柿がいっぱいはいっている。今度来る時は、何か買ってこいと、与次郎の注意があったから、追分の通りで買って来た。すると座敷のうちで、突然どたりばたりという音がした。だれか組打ちを始めたらしい。三四郎は必定喧嘩と思い込んだ。風呂敷包みをさげたまま、仕切りの唐紙を鋭どく一尺ばかりあけてきっとのぞきこんだ。広田先生が茶の袴をはいた大きな男に組み敷かれている。先生は俯伏しの顔をきわどく畳から上げて、三四郎を見たが、にやりと笑いながら、
「やあ、おいで」と言った。上の男はちょっと振り返ったままである。
「先生、失礼ですが、起きてごらんなさい」と言う。なんでも先生の手を逆に取って、肘の関節を表から、膝頭で押さえているらしい。先生は下から、とうてい起きられないむねを答えた。上の男は、それで、手を離して、膝を立てて、袴の襞を正しく、いずまいを直した。見ればりっぱな男である。先生もすぐ起き直った。
「なるほど」と言っている。
「あの流でいくと、むりに逆らったら、腕を折る恐れがあるから、危険です」
 三四郎はこの問答で、はじめて、この両人の今何をしていたかを悟った。
「御病気だそうですが、もうよろしいんですか」
「ええ、もうよろしい」
 三四郎は風呂敷包みを解いて、中にあるものを、二人の間に広げた。
「柿を買って来ました」
 広田先生は書斎へ行って、ナイフを取って来る。三四郎は台所から包丁を持って来た。三人で柿を食いだした。食いながら、先生と知らぬ男はしきりに地方の中学の話を始めた。生活難の事、紛擾の事、一つ所に長くとまっていられぬ事、学科以外に柔術の教師をした事、ある教師は、下駄の台を買って、鼻緒は古いのを、すげかえて、用いられるだけ用いるぐらいにしている事、今度辞職した以上は、容易に口が見つかりそうもない事、やむをえず、それまで妻を国元へ預けた事――なかなか尽きそうもない。

『坊ちゃん』と『三四郎』(姿ではなくて小川三四郎)は、それぞれ1906(明治39)年と1908(明治41年)の発表です。
 山嵐だって広田先生の客だって、修業したのは柔道のはずだが、漱石は柔術と書いている。まだこの時代には柔術と呼ばれていたらしい。
 私など高校で柔道か剣道かどちらかが必修だったから、昔からそうなのかと思っていた。ところが柔剣道が旧制中学で正科必修となったのはようやく1931(昭和6年)のことである。
 明治時代には、柔道にしろ柔術にしろそんな古くさいものをやっておれるかという雰囲気があったらしい。
 だから嘉納治五郎の講道館は柔道/柔術の修業の機会を与えて大いに歓迎された。柔道と柔術の敵対や反目はなかったし、そもそも両者の区別がなかったのである。(この項続く)

  柔道か柔術かは断続的に(11)まで続きます。カテゴリの「格闘技」も見てください。

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コメント

はじめまして。
武道家と読書家が集うコラムサイト『ventus~風のごとく~』を主催しております島村由花と申します。

このたびは、コラム『柔』にトラックバックをいただき、ありがとうございました。

来たる12月26日の『アクセス解析』にて、『翻訳Blog』を当サイトの来訪者の皆様にご紹介しますので、お楽しみに。

投稿: 島村由花 | 2006年12月16日 (土) 12時50分

コメント、ありがとうございます。「柔道か柔術か」は、まだまだ続きます。これから、英国の話題にもう少し触れて、最後はロシアにおける広瀬武夫中佐の活躍とサンボの起源に及びます。乞う、ご期待。

投稿: 三十郎 | 2006年12月16日 (土) 15時46分

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