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2006年2月23日 (木)

柔道か柔術か(4)

 1891年5月4日、シャーロック・ホームズは宿敵モリアーティ教授とライヘンバッハの断崖上で格闘し、二人は取っ組み合ったまま転落して滝壺の底に沈んだ。

Fina01

 ところが、3年後の1894年4月5日になって、死んだはずのホームズが突然ワトソンの前に姿を現した。驚いたワトソンは生涯で最初で最後に気絶した。
 どうしてあの深淵から生還することができたのか? むつかしいことではなかった。落ちなかったのだ。
 モリアーティが猛然と掴みかかってきて、二人は崖っぷちでもみ合った。ところがホームズは――

  僕はバリツ、すなわち日本式レスリングを心得ていて、これまでにも随分役に立ったのだ。このときも、僕は相手の掴んでくる手をすり抜けた。彼は恐ろしい悲鳴をあげ、足をばたつかせ空をかきむしった。しかしついにバランスを失って転落した。僕は崖の縁から顔を出した。彼がずっと下の方まで落ちてゆくのが見えた。岩にぶつかって跳ね返り、しぶきを上げて水中に消えた。

  ホームズの生還は「バリツ」のお陰であった。原文をあげておこう。

I have some knowledge, however, of baritsu, or the Japanese system of wrestling, which has more than once been very useful to me. (The Empty House全文はこちら

 OEDのju-jitsuの定義と比べてみよう。バリツとはすなわちジュージツであることは明らかである。(なぜワトソンはバリツなどと書いたのか――これは別の機会に考察したい。)

 シドニー・パジェットによるイラストは、もちろん間違っている。
 ホームズはモリアーティの胴体に腕を回して右手で自分の左手首を握っている。これは日本式レスリングではない。グレコローマン式レスリングのグリップである。これでは相手の掴んでくる手をすり抜けることなどできない。二人で取っ組み合ったまま滝壺に転落するほかはないだろう。 
 実戦的な日本式レスリングでは、こういう場合に使える技があるのだ。モリアーティが猛然と突進してくる。ホームズは相手の押す力に逆らわず、体を沈めて「巴投げ」をかけたに違いない。柔よく剛を制す。まさに柔術の極意であった。

 しかしホームズはいつ、どこで、誰からジュージツを学んだのだろう? (続く)

シャーロック・ホームズについては書斎の死体も見てね。

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コメント

おお、すごい、ホームズだ。そう言えば、ホームズは柔術ができたんですよね。そして巴投げ。相手を倒すのが目的といってもよさそうな格闘技に、一見矛盾しかねないワザ。不思議なワザですね。

投稿: ぽくぽく | 2006年2月26日 (日) 01時23分

「柔術=ju-jitsu」というのは、ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』にも、ちらっと出てくるので覚えています。

『第十六挿話 エウマイオス』より

>(前略)unless you knew a little juijitsu for every contingency as even a fellow on the broad of his back could administer a nasty kick if you didn't look out.

 シロクマ訳
>東洋で言うところのジュージュツってやつをわきまえていないと不慮の事態に即した場合いくら上背がある男といったってキツイ一撃を頂戴するってことになるから君もよくよく注意しないと、と訓戒をたれた。

 訳しながら「ジュイジツ」ってなんだろう、と思っていて、やはり文脈から柔術だと判断し、こういう訳になりましたが、なるほどこのページを見て、やはり「柔術」だったかと合点がいきました。

 『孫が読む漱石』へのトラックバック有難うございました。『ユリシーズ』オンライン・テクストへのリンクも貼っておきます。

http://www.online-literature.com/james_joyce/ulysses/16/

投稿: シロクマ | 2006年3月 1日 (水) 20時15分

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