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2006年2月 6日 (月)

雪国の英訳

 川端康成の雪国の冒頭の文
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」
が、サイデンステッカーによる英訳では
The train came out of the long tunnel into the snow country.
となっていることは割合よく知られています。
原文にはないThe trainが主語の位置に出しゃばってきている。
 続いて第2文「夜の底が白くなった。」
は直訳すればThe bottom of the night turned white.というような英語になりそうなものですが、これでは拙いのだそうで、
The earth lay white under the night sky.
となっている。
 この点については昔から色々議論があるようですね。
Googleで「雪国」と「英訳」で検索してみると
言問い亭9月号(2005年)
http://www1.rsp.fukuoka-u.ac.jp/kototoi/2005_9.html
というサイトがトップになる。
 何でも2005年9月17日、18日にお茶の水大学で開かれた認知言語学会の大会で、この問題が取り上げられたのだそうです。以下引用

 国際基督教大学の小澤伊久美先生は、「国境の長いトンネルを(話者が)抜けると、そこは雪国であったという気づきがある。雪国はすでにそこに存在していたが、そのことを、話者は自分自身のイマココ(今此処)に結びつけ、イマココでようやく認知したという表現である。」と説明しました。つまり、話者(筆者)の心の中の「長いトンネルを今抜けたようだな。ああ、雪国だ。」という認識がそのまま文章に直接表現されているわけです。もちろん、時制が過去形ですから、過去のある時点での心の動きを述べています。これに対して、英訳では「列車は長いトンネルを出て雪国へ入った。」となっていますから、筆者の視点はトンネルを見下ろす外部の地点にあり、あくまで客観的、第三者的に記述しています。主語の「train」に定冠詞「the」が付いていることから、かろうじて、この汽車に主人公が乗っているか、あるいはこの汽車が何か重要な役割を果たすのではないかということが想像されます。

 少し省略してまた引用。
 小澤先生の解説を引用すると、「日本語原文では、引用符号の有無にかかわらず、登場人物の発話と内言そして物語の話者の内言のみによってなりたっているのだとも言えるだろう。」「英語訳では、この物語世界には存在しない話者(あるいは神のような客観的視点を持った話者)が語る文章が地の文を構成し、物語世界の渦中において発話された言葉は登場人物の発話ないし内言として表現されている」ということになります。

 この大会では、英訳の他に5種類の中国語訳も参照して議論を進めたそうです。色々と名論卓説が出たようだが、そんなに大層な議論が必要な問題なのだろうか? 議論する前にそもそもデータが足りないのではないだろうか?

 第一の疑問――英語では他に言い方がないのだろうか? サイデンステッカーの訳が絶対なのか? 中国語では5種類も訳があるというではないか? James Kirkupという人がthe trainを主語に使わないでこの文を訳しているという話を聞いた覚えがあるのですが、どなたがご存じありませんか?

 第二の疑問――英語と中国語以外の外国語ではどう訳されているのか? ノーベル賞をもらったのだから、独訳や仏訳などもあるのではないか? 調べてみると少なくともドイツ語訳は出版されているらしい。Yasunari KawabataのSchneelandはAmazon.deで買うことができる。しかし、この一文を調べるためにわざわざ取り寄せる気はしない。どなたかドイツ語訳を読んだ方はおられませんか?

 ドイツ語ではどういう風になるかをだいたい想像してみると、

Man hatte den Grenztunnel durchgegangen, man fand sich in dem Schneeland.

というようなことになるのではなかろうか? このドイツ語にはもう一つ自信がないけれども、少なくともZug (=train)のような「列車」にあたる単語は使わなくでも翻訳できるはずだとは言えそうだ。

 シャーロック・ホームズも言っているではないか?

It is a capital mistake to theorize before one has data. Insensibly one begins to twist facts to suit theories, instead of theories to suit facts.

 翻訳についても、具体的なデータを十分に揃えないでtheorizeするほど危険なことはないのである。

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