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2006年2月 5日 (日)

ヘスキス・ピアソンのドイル伝

 ドクター・ワトソンのliterary agentであったアーサー・コナン・ドイル(1959-1930)の伝記としては

John Dickson Carr: The Life of Sir Arthur Conan Doyle, John Murray, 1949
早川書房『コナン・ドイル』大久保康雄訳 1962
Julian Symons: Portrait of an Artist - Conan Doyle, Whizzard Press, 1979
東京創元社『コナン・ドイル』深町眞理子訳 1984
という二大作家による伝記がすでに刊行されているが、英国では依然としてベストの伝記と見なされているものが未訳である。

Hesketh Pearson: Conan Doyle, His Life and Art
First published in Great Britain by Methuen & Co., Ltd in 1943

 1943年本書が刊行されたとき、グレアム・グリーン(1904-1991)が次のような書評を寄せている。私が持っている1987年版のペーパーバックではこの書評が序文になっている。

『コナン・ドイル伝』 グレアム・グリーンによる序文
ポーカーフェース

 バーのカウンターの後ろに掛かった絵や写真などでよく見た顔である。広く白い額、その上の一刷毛の髪、先を尖らせた物々しい口髭、じっとこちらを見つめる快活そうな眼。これは宴席では大いに人を楽しませるが悪ふざけになればぴしゃりと止めさせる男だ。服装はダークスーツ(上着は四つボタン)とよく磨いたブーツである。シャーロック・ホームズならば、このいかにも磊落そのものの外見から、推理によってあの奇怪な真実に迫ることができただろうか。
 ヘスキス・ピアソン氏は、この尋常ならざる伝記をいつものように見事に率直に語る。伝記作家としてのピアソン氏にはジョンソン博士に通じる特質があって、叙述は端的で誠実であり、背後には常に普通の生活が続いていることを感じさせる。鈍い伝記作家ではあのポーカーフェースの裏側は見抜けない。伝記作家が興奮してしまっては、読者は信じられなくなる。何しろこれは北極洋の捕鯨からアフリカ西海岸の熱病へ、ポーツマスでの医院開業からサセックスの幽霊狩りへと、目まぐるしく展開する物語なのである。しかしピアソン氏の語るところならば、我々は受け入れることができる。コナン・ドイルはワトソンと比べられることがあまりにも多かったが、この伝記ではピアソン氏がワトソン役を務めて、イエズス会の教育が作った奇妙な謎の人物、シャーロック・ホームズの心を持ったドイルを語るのである。
 これは実に壮快な伝記で、しかも語り口が見事である。そしてピアソン氏の長所は、伝記作家に対して主人公を擁護してやりたいという気持を我々に起こさせることである(読者に与える効果という点ではジョンソン博士も同じである)。たとえば私ならば、ピアソン氏が触れていないドイルの詩人としての資質についてぜひとも一言付け加えたくなる。ドイルの作品に生命を与えているのは、彼の才知よりもこの詩人の資質なのだ。アッパー・ノーウッドの月桂樹の茂る車寄せやロワー・カンバーウェルのカーテンの背後に漂っていた、あの恐怖を思い起こされたい。ポンディチェリ荘では「逆立った赤毛」の顔に「身の毛もよだつ謎の笑み」を浮かべたバーソロミュー・ショルトの死体が揺れている。一方、外の庭では、掘り返したゴミの山の間にワトソンとモースタン嬢が子供のように手と手をつないで立っている。あるいは、テムズ河畔のプラムステッド湿地やバーキング平地のような場所でも、ドイルは実に生き生きと描き出すことができて、並の作家ならアフリカ西海岸のマングローブの沼地(ドイルは熟知していたがわざわざ小説には書かなかった)と同じくらいおどろおどろしく、まるで未知の土地のような感じがするではないか。
 さらにたいていの大作家とは違って、ドイルは生涯を通じてまことに実直で好感の持てる男であった。倹約に気を使わなければならなかった少年ドイルは、ストーニーハースト校の寄宿舎から母親に宛ててこう書いている。「仕立屋に行ってきました。お手紙を見せて、長く着られて見た目もよいものを作りなさいとおっしゃったことを説明しました。紺の布地があるがこれは上着用で、ズボンには合わないと仕立屋は言いました。黒っぽい布を見せてくれて、これなら上着にぴったりでズボンに仕立てても長持ちすると言いました。彼の勧めでこれにしましたが、お母さまも気に入ると思います。汚れが目立たないし見た目もよいものです。白黒の縞でごく暗い色の布です」。この少年に後年のドイルと同じ性格が宿っていたことは明らかである。中年になった彼は、バーナード・ショーの攻撃に対して敢然と筆を執ってタイタニック号の乗組員を弁護したのである(おそらくドイルの方が間違っていたのだろう。しかし、ピアソン氏も匂わせているように、我々はショーの正論に与したいとは思わない。間違っていてもドイルの肩を持ちたいのである)。
 作家が好感の持てる人間であり続けるのは容易なことではない。成功しても失敗しても、ふつうは性格がゆがんでしまう。芝居がかり、ヒステリー、わがまま、うぬぼれに陥る機会はあまりにも多い。作家はほとんど制約を受けずに、したいことをして好きなところに行くことができる。そして人はこのような自由の試練にはまず耐えられないのであって、立派に耐え抜いた数少ない例外の一人がドイルなのである。彼のパートナーであったバッド医師の常軌を逸した姿は、この伝記の前半では巨人のように闊歩している。しかし読み終えた後では、その姿ははるか遠くに退いてしまう。我々の目の前に浮かび上がってくるのは、大きい、がっしりした、力強い肩である。その上の顔はごく平凡で、まるで時とともに風化した彫刻のようにも見える。その彫刻が何か抽象的な特性を表しているとすれば、それは「親切」や「忍耐」であって、決して「想像力」や「詩」ではない。

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