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2006年2月 4日 (土)

『ガンディーと使徒たち』について

『ガンディーと使徒たち――偉大なる魂の神話と真実』新評論2004は
Ved Mehta "Mahatma Gandhi and His Apostles", Viking Press 1977の翻訳である。(原著は1976年から77年に『ニューヨーカー』誌に連載された。)

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 本書は、インド人のジャーナリストがマハートマ・ガンディーの「使徒たち」数十人にインタビューして書いたガンディー伝である。1970年代には、ガンディーのもとで非暴力の戦いに参加した人々の多くがまだ存命であった。著者は五十代から九十代になっている彼らを訪ねて話を聞いた。
 ガンディー伝は数多いが、対象があまりにも偉大であるため伝記として成功しているものは少ない。あるいはネルーが言うように「ガンディーの本当の伝記を書くことは、ガンディー自身と同じほど偉大な人間でなければ不可能」なのかも知れない。 
 ヴェド・メータは、ガンディーの肉親や弟子たちにインタビューして、周辺からガンディーの実像に迫ろうとする。序言にあるように、本書は「ガンディーの脱神話化」をはかる本である。まず読者に衝撃を与えるのは、ガンディーのブラフマチャリヤ(禁欲)の「実験」の挿話であろう。
 ガンディーの非暴力抵抗運動がヒンドゥー教の伝統的なアヒンサー(不殺生)の思想に基づくものであり、ガンディーが禁欲の生活を送ったことはよく知られている。 
 ガンディーは三十六歳で妻との性的な交わりを絶ったが、これはヒンドゥー教の苦行ブラフマチャリヤの実践であった。完全に性欲を抑制することによって宇宙の最高原理であるブラフマン(梵)の探求を進めることができるというのである。ガンディーにとって、このブラフマチャリヤがサティヤーグラハ(真理の把握)とアヒンサーを、従ってインド独立運動を支える基礎であった。
 しかし性欲を絶つことはガンディーにとって当初は「剣の刃をわたるような」苦行であり、晩年に至るまで「性的純潔」が彼の強迫観念になった。七十八歳で暗殺されるまで、ガンディーは独自の「ブラフマチャリヤの実験」を続けていた。身の回りの世話をする若い女性たちの一人(時期によって異なった)と裸でベッドを共にして、「自分がほんのわずかでも性欲を感じないか、相手の方はどうかを確かめようとした」のである。この奇怪な実験は当然弟子たちの反発を呼んだ。ある弟子は「あなたは有名なマハートマじゃありませんか。こういう見苦しいことをしてまで自分をテストする必要はないでしょう。それに、このテストは若くて元気な男にこそふさわしいと思います」と言ったが、ガンディーは聞き入れなかった。晩年になって彼が長年この実験を続けていたことを公表したとき、これはヒンドゥー教正統派の攻撃の的になった。しかし、彼の死後にはこの問題はタブーとなった。多くのガンディー伝はこの挿話を無視している。日本語で読める文献でこれに触れているのは、後述のエリクソンの本だけである。Po_0024
 本書は第三部第一章「非暴力--ブラフマチャリヤと山羊のミルク」でこれを扱っている。ヴェド・メータは実験の相手となった三人の女性たちにインタビューする。またベンガル語通訳としてガンディーに同行し "My Days with Gandhi"(1953)を出版したニルマール・クマール・ボースからも詳しい話を聞いている。1947年、パキスタン分離独立直前の宗教暴動を鎮めるため東パキスタンの村落に入っていたガンディーは、「六十年間私を支えてきた真理とアヒンサーの誓いが今破れようとしている。……この国は争いに引き裂かれ蛮行が支配するだろう」と感じ、もはや生きる意志を失っていた。しかしガンディーはここでも若い女性と裸で同衾するブラフマチャリヤの実験を続けていた。ボースはこの実験は「ガンディー自身にとっての価値は別として、少なくとも相手の心には傷を残した。彼女たちはガンディーの実験に加わる精神的な必要はなかったからだ」と考えていたから、実験は道徳的に有害ではないかと直言したが容れられず、彼のもとを去った。
 ボースはこの実験の心理的な源泉は、ガンディーが十六歳の時臨終を看取れなかった父親に対する償いとして自らに課した性本能の抑圧にあると分析している。ボースはガンディーへの手紙の中でフロイトの説を挙げて「私たちはしばしば無意識の動機によって全く意識せぬ別の方向に動かされるのです」と書いたが、ガンディーを説得することは出来なかった。
 ブラフマチャリヤの実験の挿話は衝撃的であるが、著者はこのことを暴いてガンディーを貶めようとしているのではない。読者が感じるのは、大きな矛盾を抱えているにもかかわらず、いやむしろその故に、ガンディーは真のマハートマ(偉大なる魂)であった-ということである。精神分析学者エリク・エリクソンは『ガンディーの真理――戦闘的非暴力の起源』(1969、邦訳はみすず書房1973)でボースの分析を引用して、「マハートマの公開された私生活について言えることは、他の男なら必死に隠そうとする自分の性向を深く徹底的に考え抜きその考えを声に出しつつ生きた男がここにいる、ということである。最終的には大きな混乱こそが偉大さの証であるのかも知れない。特にそれが人間存在の逃れがたい葛藤に由来するときは」と述べている。英国の圧倒的な支配に対して揺るぐことなく非暴力を貫いて戦い抜き、遂に独立を勝ち取ったのはこのようなガンディーであった。
 本書はまた、現代のキリストであったガンディーの使徒たちを描く「使徒行伝」でもある。第三部第二章「革命-建設プログラムとそのマハートマたち」では、1970年代にガンディーの遺業を継いでいる使徒たち十数人にインタビューし、「ガンディーのいないインドで貧困に取り組むという絶望的な課題」に彼らがどのように取り組んでいるかを描く。ある者はサイババのファンになり、心霊術や占星術に凝っている者もいる。ガンディーの不在にもひるまずに彼の掲げた理想のために戦い続けている者もいる。
 しかしすでに1970年代に、ある使徒の言うように「インドではガンディー主義は死に絶えた。ガンディーは完全に忘れ去られている」。彼らはまた「政府は、ガンディーが反対した英国のやり方をそのまま受け継いでいる。強大な軍事力を持ち、村落と貧しい人々を無視し、大規模で無感覚で疎遠な官僚機構を維持している」「英国人とその跡を継いだインド人支配者の間に、何の違いもないではないか。独立後二十五年以上を経て貧しい人々の暮らしは以前より悪化している。……ブラフマチャリヤも自由への戦いも、我々がみんな監獄に入ったのも、いったい何のためだったのか」と言う。
 ガンディーが強調したのは工業でなく農業の発展であり、木綿の栽培や糸紡ぎなどの単純な手段で草の根レベルから社会的経済的再生を達成することだった。さらに四半世紀後の今日、インドはパキスタンと共に核保有国になり、ITを初めとする工業化に成功しつつあるように見えるが、ガンディーが生涯をかけて戦った不可触の差別と悲惨な貧困が解消されたわけではない。
 著者は序言で「虐げられた貧しい人々がいる限り彼の思想は有効である。世界一豊かな国でも、マーチン・ルーサー・キングやシーザー・チャベスの例が示すように」と述べているが、これは二十余年後の今日でも言えることであろう。

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