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2006年2月27日 (月)

コナン・ドイル伝

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[コナン・ドイル伝(1)再録の方も見てください。11月13日付記]
  コナン・ドイルはアイルランドの血を受け、スコットランドに生まれ、長じてイングランドに住んだ。
 彼は感じやすい質だったから、この三国はいずれもその性格形成に与り、ドイルはアイルランド人の侠気と熱情、スコットランド人の誇りと気骨、イングランド人の一徹とユーモアを兼ね備えることになった。後年になると、侠気は烏滸の沙汰と評され、誇りは自惚れと見られ、一徹は頑迷の印だと非難されることもあったのだが、これについては追々述べて行くことにしよう。
 彼の祖父ジョン・ドイルは一八一五年にダブリンからロンドンに出てきて、間もなくH・Bの筆名で風刺画家として名をなした。前世代のギルレイやローランドソンの苛烈な風刺画への反動が始まっていた時期であり、ジョン・ドイルの感じのよい画風は流行の先駆けをなした。「祖父は紳士であり、紳士のために紳士を描いた」とコナン・ドイルは書いている。ジョンの流儀は成功をもたらし、四人の息子はみな父親の才能を受け継いだ。長男のジェームズは『英国年代記』を書いて自ら色刷りの挿絵をつけ、後には『英国貴族名鑑』の編集に十三年を空費した。次男のヘンリーは古い絵の目利きとして知られ、ダブリンのアイルランド国立美術館の館長となった。三男のリチャードはサッカレーの『ニューカム家の人々』の挿絵を描き、 『パンチ』誌の画家として名声を博し、その表紙をデザインした〔一八四九年から一九五六年までリチャード・ドイルの描いた表紙が使われた〕。Encpunch_2
 ここでは叙述の的を四男のチャールズに絞らねばならない。彼は公務員で、余暇に絵を描いていた。チャールズの絵のモチーフは幻想的だった。興が乗ると妖精を描き、陰鬱な気分のときはもっと「途方もなく恐ろしいもの」が画題になるのだった。これは彼の内部に秘められた力と狂気と優しさを表していた。

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 チャールズは十九歳でエディンバラ市の建設局に職を得て、一八五五年にメアリー・フォレーと結婚した。彼女もアイルランド人であり、パック家とパーシー家を通じてプランタジネット朝につながる家柄の出であった。二人はエディンバラ市のピカデリー・プレースで小さなフラットに住み、長男のアーサー・コナン・ドイルは一八五九年五月二十二日にここで生まれた。
 初めのうち、チャールズとメアリーは彼の年二百四十ポンドの給料だけでまずまず暮して行くことができた。しかしやがて女の子が三人、男の子が一人生まれると、生活は苦しくなった。チャールズは頼りにならなかった。ときには絵が売れて五十ポンドほどになることもあったが、彼はいわゆる「芸術家気質」の人で、仕事にはほとんど意欲がなく、家庭にもあまり関心を示さなかった。彼は雲の中に住んでいた。息子はのちに「父の欠点もある意味では高い霊性の反映だった」と書いているが、絵はたいてい売るよりも進呈してしまい、お返しに好意として幾ばくかの金銭を得ることもあったのだろう。「父は背が高く、長いひげを生やし、気品があった。父ほど物腰の上品な人はいなかった。ウィットがあり冗談も好きだったが、同時に繊細で鋭敏な感受性の持ち主だった父は、会話が下品になるとすぐに席を立つ勇気があった。……父は浮世離れした人で実務能力に欠け、家族はそのために苦しんだ」
 子供たちにとって幸いなことに、彼の妻は芸術家気質ではなかった。夫と同じくアイルランド人でありカトリックであったが、スコットランドの風土が彼女を非凡な(しかし英国北部では珍しくない)女性に鍛え上げていた。所得税の課税最低限以下の収入で家族の衣食をまかなった上に教育まで受けさせたのは彼女の才覚だった。メアリーは多くのケルト人同様に家系を誇りにし、長男もこの誇りを受け継いだ。エドワード・ヤング〔十八世紀の詩人〕の言うように「家柄自慢をする者は負債ばかりをこしらえる」ものだが、アーサーは先祖からの負債に利息を付けて完済したのである。
 幼いアーサーの環境は苛烈だったが、彼は頑健だった。七歳になると小学校に通い始め、二年の間、教師の体罰に耐えることになった。この教師はまるでディケンズの小説から抜け出してきたような人物だったが、それで彼の与える苦痛が和らげられるわけではなかった。しかし少なくともアーサーを鍛えてくれたことは確かであった。アーサーは休み時間には同じ年頃の少年たちとよく喧嘩した。彼は闘争本能が旺盛であった。あるとき馬券屋の助手に重いブーツの入った袋で脳天を殴られて気絶したこともあったが、彼はそんなことではたじろがなかった。…………

ヘスキス・ピアソンの『コナン・ドイル伝』のはじめの部分です。
1943年に書かれたこの伝記について、グレアム・グリーンは序文で、

 コナン・ドイルはワトソンと比べられることがあまりにも多かったが、この伝記ではピアソン氏がワトソン役を務めて、イエズス会の教育が作った奇妙な謎の人物、シャーロック・ホームズの心を持ったドイルを語るのである。

と書いています。コナン・ドイルの生涯はシャーロック・ホームズに負けないくらい面白いのだ。

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