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2006年2月17日 (金)

アルペン・スキーの元祖コナン・ドイル

 アルペン・スキーは100年少し前にコナン・ドイルが始めたことはご存じだろうか?
 シャーロック・ホームズを書いたアーサー・コナン・ドイルである。
 
 コナン・ドイル(1859―1930)は、ストランド・マガジン1891年7月号に載せた『ボヘミアの醜聞』が好評を呼び、暇な開業医からたちまち人気作家になった。翌92年6月号の『ぶな屋敷』までストランドに連載した12の短編は『シャーロック・ホームズの冒険』にまとめられた。
 1892年12月号には『シルバー・ブレーズ』を発表し、翌93年の12月号まで、後に『シャーロック・ホームズの思い出』に収める短編を連載した。
 問題はドイル自身がホームズに嫌気がさしてきたことだった。彼は妻と訪ねたスイスのライヘンバッハの滝で「ホームズにケリをつける」方法を思いつき、1893年12月号の『最後の事件』で実行して見せた。ホームズは1891年5月4日に死亡したとされた。3年後の1894年4月5日に彼はワトソンの前に姿を現し、実はチベットなどにいたと言うのだが、このことをドイルが読者に説明したのは1903年になってからである。

 1894年にコナン・ドイル自身は何をしていたか? 彼は家族とともにスイスに滞在していた。ヘスキス・ピアソンの『コナン・ドイル伝』の第9章「行動の人」のはじめの部分を見てみよう。

 一家は1894年の夏をマローヤで過ごし、冬になってダヴォスに戻ってきた。95年のはじめに、ドイルはあるスポーツをスイスに導入した。これはやがて当地の主要な娯楽となったのであるが、お陰で大もうけした地元住民が先駆者に金銭で報いた形跡はない。それどころか、礼一つ言わなかったようだ。ドイルはナンセンの『スキーによるグリーンランド横断記』に感銘を受け、スイスは理想的なスキー場になると思ったのである。ダヴォスの商人、ブランガー兄弟が彼のスキー熱に感染して、ノルウェーから用具を取り寄せた。何でも火付け役は人気を呼ぶもので、はじめのうち三人が七転び八起きするのを見て住民たちは大いに楽しんだ。しかし一ヶ月たつと彼らはかなり上達して喜劇の段階を脱した。三人はヤコブスホルンに登頂して、ダヴォスの町では彼らに敬意を表して旗が掲げられた。下山路では「ときどき墜落した」が、実に爽快だった。これなら峠を越えてアローザまで行ってみるのも悪くない。冬の間、アローザへ行くには、これまでなら汽車を乗り継いで大回りするほかはなかったのである。しかしスキーのことはまだよく知らなかったから、自分たちの才覚だけが頼りだった。今度は快適どころか、ときには身の毛もよだつ恐怖を味わった。ドイルは自伝にこう書いている。「やがて切り立った断崖があらわれた。夏にはジグザグの道がついているのだろう。ほとんど垂直で、かろうじて雪が積もれるだけの勾配があった。降りるのはとても無理だと思ったが、ここまで来る間にブランガー兄弟は工夫の才を身につけていた。兄弟はスキーを外し、革紐で結び合わせて一種のソリを作った。このソリに腰を下ろし、崖から跳び出すと、すさまじい雪煙を立てて滑り落ちていった。無事下について、今度は私に降りてこいと手招きする。二人にならって私はスキー板に坐り跳び出す準備をした。ところが恐ろしいことが起こった。スキー板が尻の下から逃げ、斜面を滑り落ち、大きく跳びはねながら下の雪の中に消えてしまったのである。何たることだ。ブランガー兄弟は数百フィート下から茫然と私を見上げていた。しかし、ここでどうすればよいかというと、選択肢は一つしかない。私はそれを選んだ。崖の縁から跳び出し、しゃがんだ姿勢のまま落ちていった。勢いを殺すために手と足をできる限り拡げていた。一分後、私は雪まみれになってガイドたちの足下に転がっていた。スキー板は何百ヤードか離れたところで見つかったから、結局何も害はなかったのである」アローザのホテルで宿帳に名前を書くとき、ブランガー兄弟の一人が「コナン・ドイル、シュポルテスマン」と書いた。

 アルペン・スキーの発祥については別の説もあるようだ。
 オーストリアのマチアス・ツダールスキー(1856-1940)もナンセンのグリーンランド横断記(ドイツ語版1891年刊)を読んで感銘を受け、アルプスの急斜面で使えるスキー術を研究した。彼は1897年に著書Die alpine Lilienfelder Skifahrtechnik(アルペン・リリエンフェルト・スキー滑降術)を出版した。これは長い一本杖を持って滑るスキーである。
 コナン・ドイルはこれより2年早くスイスでスキーを始めたのであるから、少なくともアルペン・スキーの創始者の一人であると言うことはできるだろう。

 シャーロック・ホームズについては書斎の死体もご覧下さい。

Ski1

3月11日付記 「みっちょん」さん(コメント欄)からコナン・ドイルのスキー姿の写真を見せていただきました。上の写真はそのうちの1枚。やはり一本杖を使ったのですね。隣の女性はドイル夫人でしょう。同氏のサイトThe World of Holmesは必見。東郷元帥がストランド・マガジンに登場していたなど、貴重な情報あり。

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コメント

トラックバックありがとうございます。

ドイルがクリケットだけでなく、まさかアルペンスキーまで嗜んでいたとは。。。
マルチタレントな人は昔もいたのですね。

投稿: しゅん | 2006年2月20日 (月) 15時50分

The World of Holmesの中にコナン・ドイル
のスキー姿をアップしてあります。宜しかった
らご覧ください。
http://homepage2.nifty.com/shworld/03h_s_paget/vol.8/vol.8_ski/ski.html

投稿: みっちょん | 2006年3月10日 (金) 19時39分

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