« crisisはいつも「危機」と訳してよいか | トップページ | コナン・ドイルとボクシング(2) »

2006年3月12日 (日)

コナン・ドイルとボクシング(1)

……21歳のドイルは身長6フィートをこえ、髪は茶色、眼はグレーで、肩幅が広く、胸囲は43インチあった。体重は「素裸で16ストーン[102キロ]をこえ」、力は雄牛のように強かった。彼はこの時期の自分の姿を出版された最初の長編小説『ガードルストーン会社』でおそらく無意識に描いている。「長く引き締まった脚と筋肉質の太い首の上の丸く力強い頭部は、アテネの彫刻家には恰好のモデルとなっただろう。しかし顔には整った東方の美はなかった。純朴そうな離れた眼といい、生えかかった口髭といい、これはあくまでアングロサクソンの目鼻立ちであった。……内気ではあるが力強く、整ってはいないが感じがよく、いかにも寡黙で口下手な男の顔であった。しかし世界地図を英国領の赤に染めてきたのは、能弁家などではなくこのような男だったのだ」。このような男はもちろんスポーツマンだった。ドイルは相手さえあればボクシングをする機会を逃さず、それに一時は大学のラグビー・チームでフォワードを務めた。時間があるときはずいぶん勉強もしたはずだが、グローブをはめて一勝負する機会があれば医学書などは放り出したようである。

85_1_sbl

……ところが1880年の初め、偶然にうまい話が舞い込んだ。ある日の午後、彼がエディンバラの自室で「医学生の生活に暗い影を落とす試験の一つ」に備えて勉強していると、カリーという知り合いの医学生が訪ねてきた。捕鯨船の船医をやってみる気はないかというのだった。月給は2ポンド10シリングで鯨油1トンにつき3シリングの歩合がつくという。カリーはいったんこの仕事を引き受けたのだが、間際になって行けなくなったので誰か代わりを探していたのである。ドイルはためらわなかった。カリーの道具一式を譲り受けて二週間後にはピーターヘッドの港に行き、2月28日に200トンの捕鯨船ホープ号に乗り組んで出航した。航海は7ヶ月にわたったが、その間医者として腕をふるう機会はほとんどなく、ドイルの仕事は主に船長のお相手をして刻み煙草がなくなれば補充してやることだった。実に気楽な生活だった。あるとき、料理人がラム酒で酔っぱらって三度続けてひどい食事を出した。腹を立てた船員が真鍮のシチュー鍋で彼の頭を殴りつけると、底が抜けて鍋の縁が襟巻のように首の回りを飾ることになった。ここではドイルのボクシングの腕が役に立ち、彼は人気者になった。航海第一夜に彼は料理人のジャック・ラムと手合わせしたが、ジャックはあとで一等航海士のコリン・マクリーンにこう報告した。「今度の船医のドイルは最高だぜ。俺の眼にあざを付けやがったんだからな」

ヘスキス・ピアソン『コナン・ドイル伝』より

|

« crisisはいつも「危機」と訳してよいか | トップページ | コナン・ドイルとボクシング(2) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/21109/1006805

この記事へのトラックバック一覧です: コナン・ドイルとボクシング(1):

« crisisはいつも「危機」と訳してよいか | トップページ | コナン・ドイルとボクシング(2) »