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2006年3月 7日 (火)

牧師か神父か(2)

(承前)シャーロック・ホームズ『最後の事件』の新潮文庫の翻訳では、カトリックの神父を間違えて(プロテスタントの)牧師と訳してしまっている。
 シャーロック・ホームズにはほかにも翻訳があるが、どうなっているだろうか?

ちくま文庫
イタリア人の老牧師が片言の英語で、荷物はパリまでチッキにしたいということを赤帽にわからせようとしていたので、その手助けで二、三分つぶしてしまった。

ハヤカワ文庫
イタリア人の老牧師が、怪しげな英語で、荷物をパリまで通しでチッキにしたいということを赤帽にのみこませようと苦労していたので、それを手助けするあいだに二、三分すぎた。

創元推理文庫
イタリア人の老牧師が、かたことの英語で、荷物をパリまで通しでチッキにしたいのだという意味を、荷物運搬夫にわからせようと骨折っていたので、これに口を出して二、三分すごしてしまった。

 いけません。延原こけたらみなこけたか。どうも困ったね。特に創元推理文庫には驚いた。訳者は阿部知二ですよ。「冬の宿」知ってます? 細川たかしの歌じゃないよ。岩波文庫に入っています。

学生である主人公はある家の2階を借りてひと冬をすごすが,いつしかその家族の憂鬱な生活にひきずりこまれてゆく.昭和10年前後の思想弾圧の時代を背景として,貧しさのなかではてしなくつづく夫婦の葛藤と青年たちの暗い青春を描いた阿部知二(1903‐1973)の代表作.知識人の問題を捉えたものとして,その後の文学に重大な影響を及ぼした――岩波書店のサイトより

 翻訳はもう一種類あった。河出書房から出ているシャーロック・ホームズ全集です。「イタリア人の神父」となっている。ああ、よかった。
 この河出の本は挿絵入りです。シドニー・パジェットがストランド・マガジンのために描いた絵を載せている。いかにもよぼよぼのお年寄りが黒いスータン(僧衣)を来て坐っている。

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これを見てまだ「牧師」なんて書く人はいないだろう。

 さらにもう一種類、今度は光文社から新訳シャーロック・ホームズ全集が出ます。『最後の事件』を収める『シャーロック・ホームズの回想』は2006年4月刊行予定とある。牧師になっているか、神父になっているか、楽しみですね。

 4月12日付記。光文社文庫版462頁、「イタリア人の老牧師」「よぼよぼのイタリア人牧師」でした。

 ハムレットの有名な台詞
To be, or not to be, that is the question.
の訳は、訳者によってずいぶん違う。

坪内逍遙 「世に在る、世に在らぬ、それが疑問ぢゃ」
福田恒存 「生か、死か、それが疑問だ」
小田島雄志「このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ」

 それぞれ解釈が違うが、もちろんどれが正しくどれが間違っているというわけではない。
 ちなみにドイツ語に訳すると
Sein order nicht sein, das ist die Frage.
 一義的に決まってしまう。解釈の余地はない。
 ハムレットにはほかにも松岡和子、大山俊一、木下順二、久米正雄、永川玲二、本田顕彰、横山有策などによる翻訳があって、この台詞の訳も少しずつ異なっているが、どれも間違いではない。ハムレットの翻訳には「誤訳はない」と断定してしまってよいと思う。これほど有名なテキストで注釈も揃っているものを誤訳するような翻訳者はまさかいないだろう。

 ところが、シャーロック・ホームズとなるとそうは行かないのですね。「正典」と呼ばれるほどのテキストなのに、翻訳はどうも間違いが多い。全部調べる時間はないけれど、少なくとも『最後の事件』には、現行の5種類の訳に共通の重大な間違いが二つある。ホームズが眉をしかめて「基本的なことだよ、小林君」と言いそうな間違いです。
 それぞれ一大論説が必要になるので、いずれまた。

シャーロック・ホームズについては書斎の死体もどうぞ。

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コメント

はじめまして! TBありがとう。
牧師か神父(司祭)かは基本ですよね。学生時代、下宿していたのですが、下宿の小母さん(や美人の娘さん)はカトリックの教会へ、下宿していたある学生はプロテスタントの教会へ(他に過激派の人もいたっけ)。小生は、プロテスタントの人に教会へ案内されて礼拝や説教の経験をしました。牧師さんは羊飼いを含意していることを初めて知ったものでした。
それにしても「翻訳blog」…。語学に(も)弱い小生には、ちょっと恐れ多いサイトです。こっそり、読ませてもらうかも。

投稿: やいっち | 2006年3月 8日 (水) 08時00分

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