ガンディーと使徒たち(5)
ヴェド・メータ『ガンディーと使徒たち――偉大なる魂の神話と真実』新評論 262頁
スシーラ・ナーヤル博士はガンディーの主治医だった。彼女は西洋医学の教育を受けていて、一九六二年から六七年まで五年間インドの保健衛生相を務めたが、ガンディーの弟子の中で最も正統派で、禁酒法を支持し産児制限の方法としては禁欲だけが道徳的に認められるという意見である。彼女の家はデリー市周辺部のやや寂しいところにある。彼女は六十歳くらいの背の低い太った丸顔の女性だった。赤みを帯びた黒髪がやや白くなり、しわの寄った白いカーディーの布に黄色で縁取りしたサリーとかすかに緑色の混じった白のカーディーのチョリを着ている。私たちは彼女の居間兼食堂に坐って話した。周囲の壁にはガラス戸の戸棚が並び、陶器や人形、彫像、本など雑多なものが詰め込まれている。隅に古い冷蔵庫があってモーターの音がやかましい。一方の壁にサンダル履きの足の木彫がかかっている。ガンディーの足であろう。至る所にスシーラ自身の写真がある。ガンディーと、ネルーと、仏像と並んで写したものだ。
「バプーの隣に寝るのは何も特別のことではなかったのです。バプー自身の口から聞いたけれど、ノーアカーリーで初めてマヌに一緒に寝てくれと頼んだとき、二人は一つの布団をかぶって服を着たまま寝たのです。初めての夜も、マヌは彼のベッドに入るとすぐにいびきをかき始めたそうです。しばらく経ってからバプーは彼女に言いました。『私たちはいつムスリムに殺されるかも知れない。だから二人とも純潔の究極的なテストをするべきだ。最も純粋な犠牲を捧げなければならない。二人とも裸で寝よう』彼女は『もちろんそうしましょう』と言った。私はバプー自身の口から、彼も彼女も少しも欲情を感じなかったと聞いています。マヌはノーアカーリーでバプーに奉仕したかった。死の危険に満ちた最悪の場所だったから。でも、マヌが来るよりずっと前から私はバプーと一緒に寝ていました。お母さんと寝るのと同じです。彼が『背中が痛い。押して欲しい』というと、私が押すか彼の背中の上に横になって、彼はそのまま寝てしまいます。初めのころはブラフマチャリヤの実験だなんて言わなかった。自然療法の一部なんです。あとになって彼が女性と――マヌやアバーや私と――肉体的接触をしているではないかと言う人が出てきて、それからブラフマチャリヤの実験という考えが出てきたんです。ブラフマチャリヤのことはもう聞かないでくださいね。これ以上言うことはないから。あなたはボースみたいに嫌らしいことばかり考える人じゃないでしょう?」
ラーラジーはその通りですというように咳払いするが何も言わない。
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7時起床。すっかり体調が良くなったので、本を読みながら風呂に入り、納豆1パック [続きを読む]
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コメント
はじめまして、トラックバックありがとうございました。
こちらからも入れさせてもらいました。
「マハトマ」「ネタジ」の足跡から、政治と歴史を考えますと夜も眠むれず、昼寝をしそうでございます。
投稿 三井田孝欧 | 2006年3月24日 (金) 00時48分