オスカー・ワイルドとコナン・ドイル(1)
……最後の望みをかけてドイルは『マイカ・クラーク』の原稿をロングマン社に送ってみた。幸運にもアンドルー・ラングがこの原稿を読んで、出版すべきだと言ってくれた。1889年2月にこの本が刊行される直前に、ドイルはこう書いている。「この10年、懸命に書き続けてきたが、ペンで稼いだのは平均すると1年に50ポンドにもならない」しかし成功はすぐそこまで来ていた。『緋色の研究』はアメリカで海賊版がよく売れ、批評も好意的だった。リッピンコット社が、英国人の作家に何冊か書かせようと、編集者を派遣してきた。コーンヒル・マガジンの編集長ジェームズ・ペインがドイルに宛てた手紙が残っている。「先日、リッピンコットにあなたを推薦しました。うまく行くとよいのですが。病中、用件のみにて失礼」ドイルは夕食に招待され、一日医業を休んでロンドンに出かけた。相客はアイルランド人が二人だった。ギルという名前の下院議員と、もう一人はオスカー・ワイルドであった。「私には夢のような晩だった。驚いたことにワイルドは『マイカ・クラーク』を読んでいてくれた。しかも大いにほめてくれたから、私は除け者になったように感ぜずに済んだ。彼の会話は私に忘れられない印象を与えた。ワイルドは我々の上に高くそびえ立っていたが、我々の言うことに興味があるという顔をする術を心得ていた」この晩の食事の結果、ワイルドはリッピンコット社のために『ドリアン・グレイの肖像』を書き、ドイルは『四人の署名』を書いた。シャーロック・ホームズが再度登場したのである。
ヘスキス・ピアソン『コナン・ドイル伝』より
コナン・ドイル(1859-1930)
1887 緋色の研究
1889 マイカ・クラーク
1890 四人の署名
1891 ストランド・マガジン7月号に『ボヘミアの醜聞』
1892 シャーロック・ホームズの冒険
1893 ストランド・マガジン12月号に『最後の事件』、ホームズ死す。
1901 バスカヴィル家の犬
1903 ストランド・マガジン10月号に『空き家の冒険』、ホームズ復活。
1905 シャーロック・ホームズの帰還
1917 シャーロック・ホームズ最後の挨拶
1927 シャーロック・ホームズの事件簿
オスカー・ワイルド(1854-1900)
1881 詩集
1888 幸福の王子
1891 ドリアン・グレイの肖像
1892 ウィンダミア夫人の扇
1893 サロメ
1895 真面目が肝要 (クインズベリ侯爵に対する訴訟で敗訴)
1898 レディング監獄の歌
1905 深淵より(死後出版)
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