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2006年3月25日 (土)

一筆書きの技

 ヘスキス・ピアソン(1887-1964)は、コナン・ドイル伝(1943)とオスカー・ワイルド伝(1946)を書き、前者にワイルドを後者にドイルをそれぞれ一節ずつ登場させた。
 
 ドイルやワイルドのような有名人ならば、当然ほかの多くの有名人とのつきあいがあるはずだ。これを一々詳しく書いていては切りがないので、さっと一筆で描き出してみせるというのが、英国の伝統的な伝記の技である。これがきれいに決まると、読者はイナバウアーを見るような快感を感じるのである。
 
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  ピアソンは、コナン・ドイル伝でもこれを駆使している。文学者だけでも、J・M・バリ、ジョージ・メレディス、バーナード・ショー、ウィルキー・コリンズ、ジェローム・K・ジェローム、ラドヤード・キプリングなど、数多くの有名人が顔を見せる。

 ドイルは1892年11月にジョージ・メレディス(1828-1909)を訪問している。メレディスはいつも自宅の庭の小高い丘の上にある四阿で執筆していて、ドイルが訪ねて行ったったときも、そこで話そうと言った。ドイルが先に立って丘を登った。あとからついてくるメレディスが滑って転んだが、助け起こしたりすれば「年寄り扱いするのか!」と激怒することは分かっているので、知らんぷりをしてどんどん登った。四阿に着くとメレディスは書きかけの小説を朗読してくれた。素晴らしいと思ったのでそう言うと、メレディスはそれならぜひ書き上げようと言う。『素晴らしき結婚』が完成したのは、ドイルがメレディスを助け起こさなかったお陰もあるのではないか、とピアソンは言うのである。
 カーライル(1795-1881)亡き後の英国文壇でメレディスが大御所扱いされるようになったのはなぜかというと、文章が難しすぎて読む者がいないので、競争相手になる心配はない、いくら祭り上げても大丈夫だ、と思われたからだという。

 メレディスは僕も少しのぞいてみて、難しいのに仰天したことがある。メレディスの英語はよく分からないのである。
 19世紀の英国人にすでに難しかったと知って安心した。夏目漱石はメレディスを愛読して小説の手本にしたというのだから、よほど読める人だったのだろう。

 この一筆書きの芸は英語の伝記の伝統である。
 僕はそんなにたくさん英語の伝記を読んだわけではないが、たとえば、バートランド・ラッセル(1872-1970)の自伝は実に面白かった。これは全3巻が1967年から69年にかけて出た。90歳を超えたラッセルにはもう恐いものなんかないから、何でもあけすけに書いているのもすごいが、98年の生涯に出会った有名人たちの肖像を一筆で描く芸が冴えている。

Russell

 たとえばケインズ。1914年、英国がドイツに宣戦布告した日、ラッセルが憂鬱な気分でケンブリッジの構内を歩いていると(彼はまもなく反戦運動で禁固刑を受けることになる)、ケインズが忙しげに先へ行く。呼び止めてどこへ行くんだと聞いた。友達のオートバイを借りに行くところだ、という答えである。戦争(まだ「第一次世界大戦」とは呼ばれていない)が始まって、大蔵省から戦時財政についてケインズ先生のご意見を至急お聞きしたい、すぐお出でいただきたい、と呼び出しがかかったというのだ。

 あるいは、ヴィトゲンシュタインについては、哲学史上有名な挿話がありますね。
 ある日、ヴィトゲンシュタインがラッセルの所へやってきて、深刻な顔でこう尋ねた。
ヴ「ラッセル先生、僕が馬鹿かどうか教えてください」
ラ「それを知ってどうする?」
ヴ「馬鹿でなければ哲学をやります。馬鹿ならば航空工学の研究に戻ります」
ラ「それなら、何か短い論文を書いてきたまえ。それを読んで判断しよう」
 一週間後、ヴィトゲンシュタインは論文を書いてきた。ラッセルはその論文の第一センテンスを読んで、言った。
ラ「ヴィトゲンシュタイン君、哲学をやりなさい」

Wittgenstein

 こういう英国式伝記の芸を見事に取り入れているのは、加藤周一の『羊の歌』である。たとえば片山敏彦のことは、平凡社版では129頁半ばから一節で描かれている。

 詩人の片山敏彦教授は、教科書にベルグソンの『形而上学序説』の独訳を用いた。「これは翻訳ですが、内容が実におもしろいのです」と片山教授は少し弁解するようにいった、「疑問を生じたときには、フランス語の原文を参照しましょう」。しかしドイツ語を三ヶ月習っただけの私たちのなかに、フランス語を読める者はひとりもいなかった。片山教授の授業は親切だった。教科書の内容は、私にわかった限りで、たしかにおもしろかった。片山教授は、ベルグソンとその考えを説明するのに、独仏の詩人や哲学者の名前を数限りなく引き合いに出した。その名前の大部分を私は知らなかったから、彼らとベルグソンとの関係が、どれほど密接なのか、どれほど漠然としたものであったのか、私にはわからなかったが、それらの名前は、少し甲高くせきこんだ声に乗って、実に甘美に、遠い理想の国の町の名前のように、私の耳に響いてきた。話す人の愛情――ともしそれをよぶとすれば――は、聞いている側にも伝わらずにはいなかったのであろう。…………(さらに2頁ほど続くが、一節である)

 野間宏が248-249頁に顔を出す。中島健蔵は二、三箇所に出てきたと思うが何頁と何頁だったか? 加藤周一著作集編集部は、第14巻羊の歌に人名索引を付けるべきだったと思う。
 
(ラッセル自伝は、翻訳が出ていて図書館や古書店で入手できるが、お勧めできない。手元に翻訳版がないので具体的には書けないが、要するにひどい出来である。原文を読んだ方がはるかに分かりよいはずである。)

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