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2006年3月 6日 (月)

牧師か神父か

 1891年4月24日金曜日の夕方、久しぶりにワトソン博士を訪ねてきたシャーロック・ホームズのようすは、どうも変だった。
 いつもより顔色が悪く痩せているように見えた。
 ホームズが打ち明けた話は驚くべきものだった。
「モリアーティ教授のことは、聞いたことがないだろうね」
「聞いたことがない」
「そう、そこが驚くべきところなのだ。この男はロンドン中に幅をきかせているのに、誰も名前を知らない。だからこそ犯罪史上最大の悪党になることができたのだ。……」
 ホームズの説明によれば、モリアーティ教授は「犯罪界のナポレオン」である。ロンドンの悪事の半分と迷宮入り事件の大部分は、モリアーティが黒幕で、手下に実行させているのだ。……

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 しかし、これでは『最後の事件』を全部翻訳することになってしまう。要するに、悪の巨魁モリアーティ教授とその一味を一網打尽にする絶好のチャンスがおとずれたのだが、ホームズ自身に身の危険があるので、しばらく大陸に身を隠したい、ワトソン、一緒に来ないか? 
 ワトソンは翌朝ヴィクトリア駅発の大陸行き連絡急行の一等車でホームズと落ち合うことにした。以下、新潮文庫の延原謙氏の訳文。

……心配なのはホームズの姿の見えないことである。大時計を見れば、発車まであと7分しかない。……イタリア人の老牧師が、片言の英語で、荷物はパリまでチッキにしたいのだという意味を、赤帽にのみこませようと骨折っているのに、口出ししてやったので二、三分かかった。で、またあたりを見回し、ふと車室の方を見ると、切符も見ないで赤帽は、いまの老イタリア人を私の車室に乗り込ませようとしている。私のイタリア語ときたら、この老牧師の英語以上に怪しげなものであるから、この車室が貸しきりであるのを説明なんかできっこない。仕方がないからあきらめて……

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「おいワトスン君、お早うの挨拶くらいしたらどうだい」という声がしたので、びっくりして振りかえった。ちょうど牧師もこちらへ顔をむけたところだったが、見ると顔じゅうのしわがたちまちなくなり、垂れさがっていた鼻はしゃんと起き、下唇はひっこみ、もぐもぐの口はきちんと結ばれ、どんよりした目はいきいきと冴え、まがった腰はしゃんと立ったのである。ホームズだ!

 いつもながら見事な変装である。きびきびした訳文もなかなかいい。
 しかし、この訳文、少し変なところはないだろうか? はっきり言えば、明らかな誤訳があるのだ。原文と対照しないでも、日本語だけ読んで分かるはずだ。

「イタリア人の老牧師」が間違いです。
 これは「神父」としなければいけません。
 新潮文庫の『シャーロック・ホームズの思い出』は昭和28年に出ていて、私の手元にある版は平成10年発行の第89刷である。その後改訂されたという話は聞かない。
 50年以上にわたって何万人もの読者が読んでいるはずだが、誰も指摘しなかったのだろうか?
 
 当たり前のことを説明する。キリスト教には(ローマ)カトリックとプロテスタントがあって(ほかにギリシャ正教もあるが)、前者の聖職者は司祭あるいは神父、後者の場合は牧師と呼ばれる。英語では司祭はpriest、牧師はふつうpastorである。神父はfatherであるが、これは司祭に対する尊称である。
 ここで原文をあげておこう。

I spent a few minutes in assisting a venerable Italian priest, who was endeavouring to make a porter understand, in his broken English, that his luggage was to be booked through to Paris. Then, having taken another look round, I returned to my carriage, where I found that the porter, in spite of the ticket, had given me my decrepit Italian friend as a travelling companion. It was useless for me to explain to him that his presence was an intrusion, for my Italian was even more limited than his English, so I shrugged my shoulders resignedly, and continued to look out anxiously for my friend. ……
  "My dear Watson," said a voice, "you have not even condescended to say good-morning."

 カトリックの神父とプロテスタントの牧師を混同するなんて、どういうことだ。
 日本人はキリスト教のことをよく知らないから混同するものだけれど、翻訳者が間違ってはいけません。教義上のむつかしい違いはいろいろある。我々素人としては、カトリックの神父は生涯独身だがプロテスタントの牧師はたいてい結婚する、これが大きな違いだ、と考えておけばよい。
 このvenerable Italian priestは牧師ではなく、神父である。priestという英語で牧師を指すことが絶対にないとは言い切れないけれども、ここは「イタリア人のお年寄りの神父さん」でなければおかしい。
 イタリア人なのにプロテスタントの牧師という場合がないとは言えない。しかしあまりに特殊すぎるだろう。「よぼよぼのイタリア人の神父さん」という一つの「典型」をとらえるからこそ、ホームズの変装の才が発揮できるのである。
 ホームズが牧師に変装したことがある。覚えていますか?
 ボヘミアの醜聞です。

 ホームズは寝室に消えたが、数分のうちに、愛想のいい、人の良さそうな非国教会派の牧師(an amiable and simple-minded Nonconformist clergyman)に変装してあらわれた。幅広の黒い帽子にだぶだぶのズボンと白ネクタイ、思いやりのある微笑と慈悲深い表情で人をのぞきこむ、その全体的印象は、名優ジョン・ヘアを除いては匹敵するもののないほど見事な変装ぶりだった。

Scan07

 アイリーン・アドラーも騙されるほど見事な変装ができたのは、やはり「典型」をとらえたからでしょう。非国教会派の牧師でいかにも冷酷そうな人だっているかも知れない。しかし、ここでホームズはふつうの人の思い描いている「非国教会派の牧師さん」のイメージを再現してみせたので、これが変装の要諦なのだ。

 外国の宗教のことはなかなか分からないものだ。日本とは事情が違うのだから、そういつも厳密にキリスト教の教義に合わせるわけには行かない場合もある。
 たとえばPopeはふつう「ローマ法王」という。もちろん正しくは「教皇」ですね。「法王」は「法皇」の類推で作った日本語だ。厳密にはおかしい。後白河法皇は「仏法」に帰依する「法」皇なのだから。
 だから「ローマ法王」なんてとんでもない、とカトリック教会が怒るかというと、そんなことはないようだ。「教皇」と言った方がいいけれど、「キョーコー」なんてふつうの日本人には分からないから、ローマ法王でもやむを得ないと考えているようだ。この間、新しくベネディクト16世が即位されたとき、西洋人の神父さんが日本語で「法王さま」と言っているのがテレビに映ったこともある。

 しかし、カトリックの神父とプロテスタントの牧師は区別しなくてはならない。この二つを混同するようでは西洋文学なんか読む意味がないだろう。

 新潮文庫は50年以上混同してきた。ほかの翻訳はどうなっているだろうか? (牧師か神父か(2)に続く

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コメント

トラバありがとうございました。
映画ではよくあります。
こないだ観たのは最悪のたとえです。
「牧師はカレン神父だ」と訳されており瞬間???
劇場でもよくあることです。
しかしホラーでキリスト教を扱った映画はどうなのかなぁ・・
また確認してみようか・・
あまりに多く当たり前なのでそのことは無視するようにさえしています。
ところでスピルバーグはきちんとしていると思います。
「ミュンヘン」ではカトリックが十字を切ることを演出していました。
字幕に注意して観ましたがその映画ではキリスト教を匂わす描写はあるものの字幕(セリフ)にはなく、
カトリック、プロテスタントの区別がきちんとしていました。
さすがです。
「レジェンド・オブ・ゾロ」では明らかに教会の神父なのに、
セリフが「牧師様」でした。字幕のせいだと思ったら、
映画の演出にも??
ごっちゃにしていました。
字幕だけではなくハリウッドの監督でも間違うことが不思議です。

投稿: eigahujin | 2006年3月11日 (土) 10時33分

 『喜びと希望』へのコメントとトラックバックありがとうございます。この、誤訳のことは、ズ~ット以前からショウもないなと思っていただけに、これだけ、しっかりとコメントしてくださる方がいて、うれしいです。
 もっとも、ラテン語の授業で、教えてくださった司祭が、「悪法も法なり」は誤訳で、「悪法」ではなく「酷法」だというようなことをおっしゃっていました。『聖書』からの引用でよく用いられる「心の貧しい人」も、正確に言えば、誤訳なんですよね。ギリシャ語をそのまま訳すと「霊において貧しい人」となります。
 ま、文化や習慣の全く違うところを訳すのは大変ですが、神父と牧師は間違えないようにしてもらいたいのと、「わたしにとって酷な法律」を「悪法」にするのも、ちょっといただけないような気がします。 

投稿: omasico | 2006年3月13日 (月) 07時33分

はじめまして。
このブログを今更ながら発見し(高島先生の情報を探していて見つけました)、面白くて貪り読んでいるところです。

ところで、「牧師か神父か」で少々気になるところがありました。
それは「だから『ローマ法王』なんてとんでもない、とカトリック教会が怒るかというと、そんなことはないようだ。『教皇』と言った方がいいけれど、『キョーコー』なんてふつうの日本人には分からないから、ローマ法王でもやむを得ないと考えているようだ」という部分です。
カトリック中央協議会のWebサイトによると、「たびたびマスコミ各社に『ローマ教皇という名称を使ってください』とお願いしていますが、残念ながら実現していません」とのことで、本音はやはり「教皇」としてほしいようです。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/memo/pope.htm

もっとも、日本における初期の宣教に、カトリック自ら仏教からの借用語を多用していましたが。

投稿: gm | 2009年4月21日 (火) 00時14分

カトリック教会としては当然でしょうね。「教皇」が正しいのだからそう直せばよいので、看護婦と看護師などとは比べられないほど重要なのに。日本政府が頑迷に「法王」に固執しているらしいですよ。
神様のこともはじめは「大日」と訳していたらしい、という話をあとの方で「トスカ枢機卿補遺」に書きました。変なところがあればチェックして下さい。
宗教のことは、専門家というか、その宗旨の人でなければ分からないところがありますね。

投稿: 三十郎 | 2009年4月21日 (火) 03時30分

賞のことですが、僕なら断らない。芥川賞でもレコード大賞でも貰えれば貰いたいw。

投稿: 三十郎 | 2010年9月10日 (金) 15時31分

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