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2006年4月20日 (木)

モリアーティ元教授の職業(2)

Yalta_summit_1945_with_churchill2c_roose_2

〔ヤルタ会談の三首脳。写真をクリックすると拡大表示〕

 サンドハーストに入るのに、三度受験した。課目は五課目で、数学、ラテン語と英語は必須、それから選択科目として、私はフランス語と化学とを選んだ。…………

……サンドハーストの入試に二度失敗すると、私はハロー校にさよならをつげ、いよいよ決死の覚悟で「予備校」へと格を下げて入学した。このころジェイムズ大尉をはじめとした有能の士のやっている学校が、クロムウェル・ロードにあった。世間の評判では生来の白痴でない限り、この学校にいればかならず士官学校へ入れるということだった。この予備校は試験官の心理を科学的に研究していた。どの人ならどの問題では、大体どんな問いを出すということを、およそ大地を打つ鎚ははずれでも、はずれることがないという程度まで調べていた。彼らは問題やその答案の研究を専門的にやっていた。これは鳥の群れとぶなかへ、有効散弾をドンドン打ち込むようなもので、つねに命中率が高かった。(ウィンストン・チャーチル『わが半生』角川文庫中村祐吉訳)

 ウィンストン・チャーチル(1874-1965)は、ハロー校在学中の1891年にはじめてサンドハーストの陸軍士官学校を受験した(ホームズ死亡説が流れた年である)。この年は数学が2500点満点で500点足らずしか取れず、落第した。次の年は2000点を取ったが、ラテン語が2000点満点の400点くらいなので、もう一歩届かなかった。それで「予備校」で一年間勉強し、1893年に三度目の正直で合格した。
  
 サンドハーストの入試に二度失敗すると……の箇所。原文は

When I failed for the second time to pass into Sandhurst, I bade farewell to Harrow and was relegated as a forlorn hope to a "crammer."

 このcrammerという単語は、英和辞典にも出ているようだ。

リーダーズ英和  詰め込み主義の教師[学校, 教科書]

ランダムハウス英和 (受験生などのための)短期詰め込み主義の教師[教科書,学校],予備校,塾

 crammerというのは、要するに「予備校」である。「予備校教師/校長」を指す場合もある。「詰め込み主義の教師[学校, 教科書]」というと、「正規の学校だが詰め込み主義」という意味に取れる。そういう場合がないとは言いきれないが、まれでしょう。私は見たことがない。ランダムハウスの方が正しい。
 代々木ゼミナールや駿台のような予備校が昔のイギリスにあったのか? ああいう大規模なのはもちろんありません。必要がなかった。 

 昔のイギリスの大学は競争率が高くなかった。日本のように猫も杓子も大学へ行くということはない。中流階級以上の子弟だけが大学まで進んだので、入学試験はあったけれども、競争試験ではなく資格試験だった。
 ヴィクトリア朝の小説や伝記を読んでいて、大学入試がむつかしくて苦労したという話は見たことがない。よほどの劣等生でなければ、オックスフォードでもケンブリッジでもまず楽に入れたらしい。
 
 試験がむつかしくて競争が激しい学校は、サンドハーストの陸軍士官学校とダートマスの海軍兵学校、特に前者だった。
 士官学校はパブリック・スクール在学中に受験することができた。チャーチルが1891年に初受験で合格すれば、16歳で入学できたはずである。陸士の修業年限は1年半だから、20歳前に少尉に任官することができる。
 2度目もハロー校在学のまま受験して不合格だった。普通は18歳でパブリック・スクールを卒業するから、そのまま在学して3度目を受験することもできる。しかしそれでは合格の見込みがないので、予備校へ行ったのである。ハロー校は中退したわけではなく、籍は置いておいて勉強だけ予備校でしたのだろう。この辺の詳しいことは分からない。
 3度目は合格して18歳で士官学校に入学したのだから、浪人したわけではない。4度目の受験は問題外だった。チャーチル曰く。

……(試験官が)私が偶然一週間かそこら前に見ておいた問題を聞いてくれなかったら、この自叙伝もここで終わりを告げ、以後の章は書かれなかったであろう。私は国教会へ入って牧師となり、時代に対して剛胆な反抗的精神をもちながら、正統派の教義を説いたかもしれない。あるいはロンドン商業区へ入って一儲けしたかもしれない。あるいは植民地――現在自治領といわれる――でそこの人々を楽します、少なくとも慰撫する希望を抱いて渡ったかもしれない。そしてリンジー・ゴルドンやセシル・ローズ流の凄壮な生涯を送ったかもしれず、あるいはまた法律家となり、私の弁護のおかげで絞刑に処せられる人ができたかもしれない、現在罪を免れて悠々生活をしている人のなかで。

 crammerのおかげでヤマがあたったのである。ジェイムズ大尉というcrammer(予備校校長)は歴史を変えたと言えよう。彼がいなければヤルタ会談(1945年)はなかったのだ。
 ほかの試験のための予備校も少しはあったようだが、crammerと言えばまず陸士か海兵の予備校で、たくさんあった。ジェイムズ大尉についてチャーチルは言う。
 
--Thus year by year for at least two decades he held the Blue Ribbon among the Crammers.
こうしてジェイムズ大尉は20年以上もの間、予備校教師中の第一位を占めてきた。

 crammerが陸軍士官学校と海軍兵学校の予備校または予備校教師を指すことは、少し昔の本を読めばすぐ分かります。
 一つだけ例を挙げれば、バーナード・モンゴメリー陸軍元帥(1887-1976)は、北アフリカでロンメル将軍を破り、ノルマンディー上陸作戦の地上軍総司令官になった人で、ウェリントン以来の名将と言われたが、1958年に自伝を書いている。彼は1907年に士官学校の入試に合格した。

「私は170人中72位だった。あとになって、同級生の多くがこの試験に受かるために学校を早めにやめてcrammerへ行ったと聞いて、私は仰天した」

 チャーチルの場合のようにcrammerが「予備校教師」を指すときはcoachとも言う。
 ところが、これがあまり当たり前すぎるからでしょう、coachを辞書で引いても書いてない。
 Googleで"army coach"を検索してみると、アメリカのウェストポイント陸軍士官学校のフットボールのコーチの話ばかり出てくる。
 どこかで見たはずだ。懸命に捜して、ようやく一つだけ見つけました。(続く)

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