赤毛のでぶ(3)
ともかく、がっしりとでぶは、区別しなければいけません。
しかし、こういう細かい誤訳は、神経質な読者ならちょっと気になるところだけれど、ホームズの場合は読めてしまうのである。ジョン・ル・カレは「19世紀と20世紀はじめのほかの大作家とは違って、シャーロック・ホームズは翻訳に耐える」という。つまり少々の誤訳や拙訳があっても大丈夫ということだ。何しろ話が面白いから、細かい傷はあまり目立たない。すらすら読める。
これがたとえばジェイン・オースティンとなるとそうは行かない。下手な翻訳では読めたものではない。ジョージ・メレディスとなると、よほど上手に訳してもらっても読めないだろう。
あるいは、エミリ・ブロンテの『嵐が丘』については、岩波文庫の旧版の阿部知二訳が「文学から遠い日本語」であることを、別宮貞徳氏が詳しく書いている(『特選誤訳迷訳欠陥翻訳』)。
別宮氏の指摘を受けて(だと思う)、岩波文庫は2004年に河島弘美氏による改訳版を出している。アマゾンのカスタマー・レビューを見てみると
アンチ熱血教師氏
読書が好きな私だけど、『嵐が丘』だけは、これまでどうしても読み通せなかった。高校でも、短大でも、図書館には必ずこの小説は備えてあったし、自分で文庫を買ったこともある。世界文学の名作で、最上の恋愛小説だと、誰もがいうので、一生懸命に読もうとしたけど、何故かいつも挫折。諦めかけていたとき、岩波文庫で新訳が出たのを知った。訳者の名前に驚いた。だって、私の愛読書の『ラフカディオ・ハーン』の著者ではないか!早速読んだ。親しめる訳文のお陰で、すらすらと最後まで読めた。しかもすごく楽しめた。生まれて初めて、『嵐が丘』が傑作だと納得できて嬉しかった。同じ原書でも訳者でこんなにも違うものなのも初めてわかった。
kobeprof氏
旧版の岩波文庫の訳は、私が大学生の頃でも通読するのが辛かったのですが、河島氏の訳は予想を超えて読みやすい訳文になっており、これなら読書離れの著しい今の若い読者でも、愛と復讐の激しいこの小説の面白さがよく味わえることでしょう。これだけ正確でしかもこなれた訳文を生み出した訳者の苦心が偲ばれます。ヒースクリフとキャサリンの情熱に圧倒されながら、物語の展開を追っていけます。世界文学屈指の名作、とは知りつつも、実際に読み通したことのない少なからぬ読者にとり、この新訳の登場で作品が身近かなものになったことは、喜ばしいことです。
阿部知二訳はそんなにひどかったのか。ところが同じ人が創元推理文庫でホームズを訳している。
去年の秋のある日、シャーロック・ホームズをたずねてみると、彼は、頑丈で赤ら顔の、髪の毛の燃えるように赤い、年輩の紳士と熱心に話しこんでいた。じゃまをした詫びをいって私が引きさがろうとすると、ホームズはとつぜん私をとらえて部屋のなかにひきこみ、扉を閉めた。
これなら、読めないことはない。ジョン・ル・カレの言う通りだ。
ル・カレは「ホームズがいなければ、私はジョージ・スマイリーを創り出すことはできなかっただろう」と言う。9歳で寄宿学校にいたときに(1940年)、低学年生徒談話室で朗読してもらった『バスカヴィル家の犬』の一節は、60年以上たった今も耳に残っていると言う。(New Annotated Sherlock Holemsの序文)
「足跡ですか?」
「足跡です」
「男のですか、女のですか?」
モーティマーは妙な顔をして私たちを見てから、急に声を落として、ほとんどささやくように答えた。
「ホームズさん、巨大な犬の足跡だったのです」
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