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2006年4月30日 (日)

シャーロック・ホームズのなかじきり

Spyportrait

これまで載せたもの
翻訳
(1) T・S・エリオットのホームズ論
(2) S・C・ロバーツ『トスカ枢機卿の死』
(3) ロナルド・ノックス『シャーロック・ホームズ文献の研究』*
(4) S・C・ロバーツ『ワトソン年代学の問題』*
以上は書斎の死体に掲載
(5) グレアム・グリーン『ヘスキス・ピアソンのコナン・ドイル伝への序文』*
(6) ドロシー・セイヤーズ『ドクター・ワトソンのクリスチャン・ネーム』*
(7) ヘスキス・ピアソン『コナン・ドイル伝』の抜粋――『コナン・ドイル伝』,『コナン・ドイルとボクシング1, 2』, 『オスカー・ワイルドとコナン・ドイル』
(8) エドマンド・ウィルソン『ホームズさん、巨大な犬の足跡だったのです』
(9) 英国紳士録におけるシャーロック・ホームズ
*印のものにはすでに翻訳あり。ただし入手困難または誤訳が多い。

エッセイ
(1) Watsonはワトソンかワトスンか
(2) 明智小五郎からシャーロック・ホームズへ
(3) 柔道か柔術か1-4 (まだ続きを書くつもり)
(4) アルペンスキーの元祖コナン・ドイル
(5) 牧師か神父か1, 2
(6) 四つの署名?
(7) 赤毛のでぶ1-3
(8) モリアーティ元教授の職業1-5

これから書きたいもの
翻訳
(1) S・C・ロバーツ『ワトソン博士小伝』
(2) S・C・ロバーツ『シャーロック・ホームズ論――創造、伝記、性格、女性に対する態度、音楽、ジョンソン博士との親近性』
(3) S・C・ロバーツ『メガテリウム・クラブの怪事件』――未発表の冒険 
(4) レックス・スタウト他『シャーロック・ホームズを語る――ラジオ座談会』
(5) マーシャル・マクルーハン『シャーロック・ホームズ対官僚制』
(6) ケネス・レクロス『奇妙な時代』
(7) ウィニフレッド・パジェット『父シドニー・パジェットの思い出』
(8) ドロシー・セイヤーズ『ホームズの大学生活』
(9) ドロシー・セイヤーズ『ドクター・ワトソンの結婚』
(10) ドロシー・セイヤーズ『アリストレテスの探偵小説論』
(11) ウィリアム・ジレット『シャーロック・ホームズの苦境』(一幕劇)
(12) コナン・ドイル、ウィリアム・ジレット『シャーロック・ホームズ』(四幕劇)
(13) アーサー・コナン・ドイル『シャーロック・ホームズへの手紙』(ストランド・マガジン1917年12月号)
(14) ジーン・コナン・ドイル『コナン・ドイルの思い出』
   すべて本邦未訳のはず。

エッセイ
(1) バリツとは何か?
(2) 刺青について
(3) ホームズの頭蓋骨
(4) ワトソンの学歴
(5) 正典について
(6) ホルダーネス公爵と蜂須賀侯爵
(7) 高名な?依頼人
(8) ホームズと「あの女」
(9) コナン・ドイル卿?
(10) ボクサー弾を100発
(11) コントラルト?

 遠大な計画なのですが、問題は暇がない(もう一つのものもない)こと。短いものからぼつぼつやって行きましょう。

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2006年4月29日 (土)

英国紳士録におけるシャーロック・ホームズ

Entry for Who's Who 1954 Edition, A & C Black

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HOLMES, Sherlock  ホームズ, シャーロック
 私立諮問探偵。1854年1月イングランドの地主の家系に生まる。フランスの画家シャルル・ヴェルネ*の曾孫。学歴--パブリックスクール、ケンブリッジ大学、ロンドン聖バーソロミュー病院。グアヤック・チンキ法に代わる血痕検査法を発見。1880年前後より私立諮問探偵業に従事。一時失踪し1891年5月4日スイスのライヘンバッハ滝にて死亡したとの誤報あり。1891-92年シゲルソンの仮名でチベットを探査。極東および中近東をも踏破。1894年4月ロンドンで業務を再開しモリアーティ教授の犯罪組織絶滅に成功。1903年サセックス州イーストボーン近辺の農園に引退し養蜂と哲学に専念。1914年海軍省の依頼で山東省にて秘密任務に従事。1912-14年アルタモントの仮名で対独諜報活動を行い、国際スパイ、フォン・ボルクの逮捕を導く。有名事件はジョン・H・ワトソン博士の記録、歴史小説家サー・アーサー・コナン・ドイルの編集により、緋色の研究(1887)、四人の署名(1890)、シャーロック・ホームズの冒険(1892)、最後の挨拶(1917)、シャーロック・ホームズの事件簿(1927)等に収録。著作--白面の兵士、獅子のたてがみ(事件記録)、実用養蜂便覧(付女王蜂分離関連所見)、犯罪学、音楽、科学に関する専門論文多数。犯罪捜査術大観全一巻の著述に取り組む。趣味--刑事学、犯罪文献、化学、音楽、バイオリン、ボクシング、フェンシング、バリツ、哲学、養蜂。住所--ベーカー街221B。クラブ--ディオゲネス。

*Antoine Charles Horace Vernet(1758-1836)はEmile Jean Horace Vernet(1789-1863)の父親。後者の妹がホームズの祖母であった。

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2006年4月27日 (木)

モリアーティ元教授の職業(5)

土屋朋之氏によればジャック・トレーシーの「シャーロック・ホームズ事典」にarmy coachの記述があるというのだ。その本なら私は原著の方を持っている。
Jack Tracy, The Encyclopaedia Sherlockiana, Doubleday & Company, Inc., 1977

Army coach, a private tutor who prepares men for entrance examinations into the officer corps, and officers themselves for examinations for promotion. Moriaty set up in London as an Army coach. (Final Problem)

アーミー・コーチ 下士官(menというのは将校以外の「下士官と兵」という意味である。officers and menで「将兵」)に将校への昇格試験の準備をさせ、あるいは将校に昇進試験の準備をさせる個人教師。モリアーティはロンドンでアーミー・コーチになった。

 というのだが、はて?

 これはトレーシー氏の間違いである。私はarmy coachは「当たり前すぎるから」辞書に書いてないのだと言ったが、そうではなかった。
 トレーシー氏はほかにも多くの著書のある有名なシャーロキアンである。それが間違うのだから恐ろしい。

 日本人に明治時代のことが分からないように、現代の英米人にはヴィクトリア朝のことが分からなくなっている場合がある。

 19世紀末の英国で陸海軍の将校になるには、どういう条件が必要だったか?
 第一に身分的に中流より上の階級であること、第二に金銭的には陸海軍からの俸給に頼らずに暮らせる余裕があることである。
 ウィンストン・チャーチルは1893年に3回目の受験で合格したが、第一志望の歩兵科には入れず騎兵科にまわされたので、父親から「厳しいお小言の手紙が来た」という。歩兵ならば従卒を一人、自前で雇えばよい。ところが騎兵では軍馬を揃えて馬丁を雇わねばならない。それだけ余計に金がかかるのである。もちろん歩兵でも騎兵でも俸給だけでは足りない。チャーチルは軽騎兵第四連隊という貴族的な連隊に入ったので、1896年に少尉としてインドにいたときには、年に500ポンドの仕送りを受けていた。
 俸給だけでやって行けないのは海軍も同じである。
『緋色の研究』を見てみよう。
 なぜE・J・ドレッバーを追い出さなかったのかと、レストレードが下宿屋の女将に質問すると、彼女は顔を赤らめてこう答えた。
「はい、最初の日にそう言ってお断りすればよかったのです。でも、とてもできませんでした。この不景気なときに、お一人一日一ポンド、週に十四ポンドもお支払いくださったのです。私は寡婦暮らしでございますし、海軍におります息子にもずいぶんとお金がかかります。……」
「海軍におります息子」とは海軍中尉アーサー・シャルパンティエである。この人物をレストレードはドレッバー殺しの容疑者として逮捕したのだった。
 海軍中尉の給料で母親と妹を養うのは無理で、逆にお金がかかるから、母親が下宿屋をやっていたのである。
 コナン・ドイル(1859-1930)は、自宅からエディンバラ大学医学部に通い、在学中から船医などのアルバイトをしなければならなかった。もちろん軍人を目指すような余裕はなかった。1891年になってストランド・マガジンに載せたシャーロック・ホームズの短編が大当たりしたので、弟のイネスを陸軍士官学校にやることができた。イネスは第一次世界大戦時には准将にまで昇進していたが、1919年に戦病死している。前年の1918年には、24歳の陸軍大尉だった長男のキングズレーが同じように戦傷が元で病死した。(この二人の死のショックでドイルは心霊術に凝るようになった。)
 
 陸軍の将校になるには難しい条件をクリアしなければならなかった。しかし、それでも志望者は多く、士官学校の定員はチャーチルが入学した1893年で1学年150人しかなかったから、競争率は高かった。
 チャーチルを教えたジェイムズ大尉、オウエン・ウィングレイブの先生のスペンサー・コイル氏、そしてモリアーティ教授などの「アーミー・コーチ」が活躍する余地があったのだ。

 ジャック・トレーシー氏の言うように下士官から将校に昇格する人もいないわけではなかったが、あくまでも例外だった。

『背の曲がった男』は、ロイヤル・マロウズ連隊の連隊長、ジェイムズ・バークリー大佐が変死した事件であった。バークリー大佐は一兵卒から身を起こして、インド大反乱(1857-59)で立てた武勲で将校に昇進し、かつては自分が小銃を担いでいた連隊の指揮官にまでなった人物だった。バークリー大佐は軍曹時代に結婚した。夫人のナンシーは旧姓をデヴォイといい、同じ連隊の軍旗護衛軍曹の娘だった。だから、当時まだ若かったこの夫婦が、新しく将校の社会に入っていったときには、交際の面で少々やっかいなことがあった。
 
 どう「やっかい」だったのか、ワトソンは具体的に説明しないが、将校と下士官の間には大きな懸隔があった。『吾輩は猫である』の苦沙弥先生が例を挙げている。

「英国のある兵営で連隊の士官が大勢して一人の下士官を御馳走した事がある。御馳走が済んで手を洗う水を硝子鉢へ入れて出したら、この下士官は宴会になれんと見えて、硝子鉢を口へあてて中の水をぐうと飲んでしまった。すると連隊長が突然下士官の健康を祝すと云いながら、やはりフィンガー・ボールの水を一息に飲み干したそうだ。そこで並みいる士官も我劣らじと水盃を挙げて下士官の健康を祝したと云うぜ。」

 紳士というのは単に「品格があって礼儀にあつい人」(広辞苑)などではなく、一つの階級だったことが分かる。

 バークリー大佐はインド大反乱で立てた武勲で出世したのであるが、ペーパーテストを全然受けなかったわけではないだろう。下士官にはない、将校特有の仕事があるとすれば、それは書類を扱うことだ。戦場や教練で兵士を動かすのは熟練した下士官にはたやすいことだが、書類の読み書きが難しいのである。だから、下士官を抜擢して将校に昇進させる場合には、筆記試験をしたに違いない。もちろん数学などの試験をする必要はなく、たとえば歩兵操典を暗記させるくらいでよかったはずだ。
 そのような試験の準備を手伝う人を、あるいは「アーミー・コーチ」と呼ぶことがあったかもしれない。しかし、下士官から将校への昇進自体が非常にまれなことであったから、そのようなコーチが商売として成り立つはずがない。

 モリアーティ教授の履歴を説明するのに、ホームズがset up asという語句を使っていることに注目しよう。

He set up as a baker/lawyer/doctor. パン屋/弁護士/医者を開業した。
 のように、asのあとには商売らしい商売が来るのである。
 モリアーティ教授は

---eventually he was compelled to resign his chair and to come down to London, where he set up as an amy coach.
とうとう辞職せざるを得なくなって、ロンドンに出て来て、陸軍士官学校受験予備校の教師になった。

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2006年4月25日 (火)

モリアーティ元教授の職業(4)

 ブログを読んでコメントを寄せてくださる方がいるのは有り難い。
 エフティさんからOwen Wingraveの邦訳がもう一種類あることを教えていただいた。創元推理文庫から出た『ねじの回転--心霊小説傑作選』に収録されている。国書刊行会のヘンリー・ジェイムズ作品集(7)も刊行中でした。

 国書刊行会といい、東京創元社といい、日本の出版社は凄いですね。こういう翻訳をよく出すものだ。
 
 小説では、スペンサー・コイル先生はオウエン・ウィングレイブから「陸軍士官学校を受験しない」と聞いて驚き、まずオウエンの伯母さんがベーカー街にいるのに相談しに行く。この伯母さんは独身の恐るべき女性である。
「彼女は気位の高い堂々たる女だった。やせてはいるがしかしぎすぎすしたところはなく、広い額と豊かな黒い髪をしていて、その髪は「高貴な」頭部をしていると無理もなく自分のことを考えている女性にふさわしく結われており、今ではところどころ白いものがまじっていた。」
  ベンジャミン・ブリテンのオペラではこの伯母さんは「ドラマティック・ソプラノ」である。(オウエンはテノールではなくバリトンである。)
 しかし、それよりも私はベーカー街というところが気になった。「コイル先生、ホームズに相談すればいいじゃないですか」と思ったのである。ところがよく考えてみると、これは1893年のことである。シャーロック・ホームズはライヘンバッハの滝壺の底に沈んでいることになっていた。ワトソンの前に姿を現して「実はチベットにいたんだよ」などと言うのは翌年になってからである。
 仮にホームズがいたとしても、これは相談しない方がよかった。オウエンがなぜ軍人になりたくないかという微妙な話は、ワトソンにはまったく理解できなかっただろう。ワトソンがこの話を書けば
The Adventure of the Reluctant Student
  というような標題になっただろう。ヘンリー・ジェイムズとはまったく違う話ができたはずだ。
 しかし冗談抜きに、ヘンリー・ジェイムズの小説は凄いです。ぜひ読んでみてください。翻訳でもよいし、原文もそれほど極端に難しくはない。

 もうお一人、土屋朋之氏がコメントを寄せてくださって、大いに助かります。おかげでarmy coachの意味を別の角度から見直すことができる。(続く)

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2006年4月24日 (月)

モリアーティ元教授の職業(3)

 coachという単語をcrammerの意味に用いている例を一つだけ見つけることができた。
 ヘンリー・ジェイムズ(1843-1916)が1893年にOwen Wingraveという小説を書いている。国書刊行会のヘンリー・ジェイムズ作品集7(昭和58年)に林節雄訳がある。

Owen Wingrave(1893) オウエン・ウィングレイブの悲劇 林節雄訳

「君は実際頭がどうかしているに違いないぞ!」スペンサー・コイルがどなり、一方若者は蒼白な顔をしてそこに立って、やや息を弾ませながら「もうほんとうに決心してしまったんです」とか「本当に何から何まですっかり考えて決めたことなんです」とか言っているのだった。彼らは二人とも青い顔をしていたが、オウエン・ウィングレイブの方は彼の指導教師がしゃくにさわるようなほほ笑みを浮かべていて、教師にはそれがまた無理もない極端な緊張の結果のしかめ面(この場に関係ないにやにや笑いのように見えたが)であることはまだ見て取れるのだった。

 これが書き出しである。もう少し先を読んでみると

……コイル氏は専門の「コーチ」であって、将来陸軍将校になろうとする若者たちに訓練を与えることを職業にしているのだった。一度に三人か四人の生徒しか取らず、その生徒たちに対して彼の職業上の秘密でもあり財産でもあるところの、絶妙の教育を施すのだ。その施設は大きなものではなかった。うちは大企業ではないのだと自分で認めたことであろう。彼の方法も健康もまた気質も、大量生産には向かなかった。そこで生徒をためつすがめつ吟味して、志願者を採用するよりは落とすことの方が多いのだった。……

……Mr Coyle was a professional 'coach'; he prepared young men for the army, taking only three or four at a time, to whom he applied the irresistible stimulus of which the possession was both his secret and his fortune.He had not a great establishment; he would have said himself that it was not a wholesale business. Neither his system, his health nor his temper could have accommodated itself to numbers; so he weighed and measured his pupils and turned away more applicants than he passed.  ……

 コイル氏はウィンストン・チャーチルを教えたジェイムズ大尉と同じ職業だった。 
 1893年に、コイル氏はcoachであり、ジェイムズ大尉はcrammerであった。
 coach=crammer=予備校教師
 1891年に、元教授でarmy coachのモリアーティがホームズと対決したのだ。

 大学を辞任せざるを得なくなったモリアーティ教授はロンドンに出て来て、army coachすなわち陸軍士官学校を受験する学生のための予備校の教師となって数学を教えるようになったのだ。
 個人教師や家庭教師がおかしいことはすでに述べた。軍「関係」の学校の教師もナンセンスである。
 モリアーティは予備校教師になっていたのだ。お得意の二項定理などを黒板の前で教えている先生がまさか「犯罪界のナポレオン」だなんて誰も思わないだろう。絶好の隠れ蓑ではないか。

 小説をもう少し見ておこう(原文はここ)。 
 コイル氏が「君は頭がどうかしている」とどなったのは、オウエン・ウィングレイブが陸軍士官学校の受験をやめるといいだしたからだった。
 オウエンは優秀な生徒で合格疑いなしだった。しかもウィングレイブ家は300年にわたって陸軍軍人を輩出してきた武人の家柄である。彼の父親はワトソンも従軍した第2次アフガン戦争(1878-79)でアフガニスタン人にサーベルで頭を割られて戦死している。
 コイル先生はオウエンを説得してくれと頼まれ、夫人とともにウィングレイブ家の古い屋敷に泊まることになる。ヘンリー・ジェイムズの小説であるから、もちろん、その晩恐ろしいことが起こるのである。ベンジャミン・ブリテン(1913-76)がこの小説を1970年にオペラにしている。(続く)

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2006年4月20日 (木)

モリアーティ元教授の職業(2)

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〔ヤルタ会談の三首脳。写真をクリックすると拡大表示〕

 サンドハーストに入るのに、三度受験した。課目は五課目で、数学、ラテン語と英語は必須、それから選択科目として、私はフランス語と化学とを選んだ。…………

……サンドハーストの入試に二度失敗すると、私はハロー校にさよならをつげ、いよいよ決死の覚悟で「予備校」へと格を下げて入学した。このころジェイムズ大尉をはじめとした有能の士のやっている学校が、クロムウェル・ロードにあった。世間の評判では生来の白痴でない限り、この学校にいればかならず士官学校へ入れるということだった。この予備校は試験官の心理を科学的に研究していた。どの人ならどの問題では、大体どんな問いを出すということを、およそ大地を打つ鎚ははずれでも、はずれることがないという程度まで調べていた。彼らは問題やその答案の研究を専門的にやっていた。これは鳥の群れとぶなかへ、有効散弾をドンドン打ち込むようなもので、つねに命中率が高かった。(ウィンストン・チャーチル『わが半生』角川文庫中村祐吉訳)

 ウィンストン・チャーチル(1874-1965)は、ハロー校在学中の1891年にはじめてサンドハーストの陸軍士官学校を受験した(ホームズ死亡説が流れた年である)。この年は数学が2500点満点で500点足らずしか取れず、落第した。次の年は2000点を取ったが、ラテン語が2000点満点の400点くらいなので、もう一歩届かなかった。それで「予備校」で一年間勉強し、1893年に三度目の正直で合格した。
  
 サンドハーストの入試に二度失敗すると……の箇所。原文は

When I failed for the second time to pass into Sandhurst, I bade farewell to Harrow and was relegated as a forlorn hope to a "crammer."

 このcrammerという単語は、英和辞典にも出ているようだ。

リーダーズ英和  詰め込み主義の教師[学校, 教科書]

ランダムハウス英和 (受験生などのための)短期詰め込み主義の教師[教科書,学校],予備校,塾

 crammerというのは、要するに「予備校」である。「予備校教師/校長」を指す場合もある。「詰め込み主義の教師[学校, 教科書]」というと、「正規の学校だが詰め込み主義」という意味に取れる。そういう場合がないとは言いきれないが、まれでしょう。私は見たことがない。ランダムハウスの方が正しい。
 代々木ゼミナールや駿台のような予備校が昔のイギリスにあったのか? ああいう大規模なのはもちろんありません。必要がなかった。 

 昔のイギリスの大学は競争率が高くなかった。日本のように猫も杓子も大学へ行くということはない。中流階級以上の子弟だけが大学まで進んだので、入学試験はあったけれども、競争試験ではなく資格試験だった。
 ヴィクトリア朝の小説や伝記を読んでいて、大学入試がむつかしくて苦労したという話は見たことがない。よほどの劣等生でなければ、オックスフォードでもケンブリッジでもまず楽に入れたらしい。
 
 試験がむつかしくて競争が激しい学校は、サンドハーストの陸軍士官学校とダートマスの海軍兵学校、特に前者だった。
 士官学校はパブリック・スクール在学中に受験することができた。チャーチルが1891年に初受験で合格すれば、16歳で入学できたはずである。陸士の修業年限は1年半だから、20歳前に少尉に任官することができる。
 2度目もハロー校在学のまま受験して不合格だった。普通は18歳でパブリック・スクールを卒業するから、そのまま在学して3度目を受験することもできる。しかしそれでは合格の見込みがないので、予備校へ行ったのである。ハロー校は中退したわけではなく、籍は置いておいて勉強だけ予備校でしたのだろう。この辺の詳しいことは分からない。
 3度目は合格して18歳で士官学校に入学したのだから、浪人したわけではない。4度目の受験は問題外だった。チャーチル曰く。

……(試験官が)私が偶然一週間かそこら前に見ておいた問題を聞いてくれなかったら、この自叙伝もここで終わりを告げ、以後の章は書かれなかったであろう。私は国教会へ入って牧師となり、時代に対して剛胆な反抗的精神をもちながら、正統派の教義を説いたかもしれない。あるいはロンドン商業区へ入って一儲けしたかもしれない。あるいは植民地――現在自治領といわれる――でそこの人々を楽します、少なくとも慰撫する希望を抱いて渡ったかもしれない。そしてリンジー・ゴルドンやセシル・ローズ流の凄壮な生涯を送ったかもしれず、あるいはまた法律家となり、私の弁護のおかげで絞刑に処せられる人ができたかもしれない、現在罪を免れて悠々生活をしている人のなかで。

 crammerのおかげでヤマがあたったのである。ジェイムズ大尉というcrammer(予備校校長)は歴史を変えたと言えよう。彼がいなければヤルタ会談(1945年)はなかったのだ。
 ほかの試験のための予備校も少しはあったようだが、crammerと言えばまず陸士か海兵の予備校で、たくさんあった。ジェイムズ大尉についてチャーチルは言う。
 
--Thus year by year for at least two decades he held the Blue Ribbon among the Crammers.
こうしてジェイムズ大尉は20年以上もの間、予備校教師中の第一位を占めてきた。

 crammerが陸軍士官学校と海軍兵学校の予備校または予備校教師を指すことは、少し昔の本を読めばすぐ分かります。
 一つだけ例を挙げれば、バーナード・モンゴメリー陸軍元帥(1887-1976)は、北アフリカでロンメル将軍を破り、ノルマンディー上陸作戦の地上軍総司令官になった人で、ウェリントン以来の名将と言われたが、1958年に自伝を書いている。彼は1907年に士官学校の入試に合格した。

「私は170人中72位だった。あとになって、同級生の多くがこの試験に受かるために学校を早めにやめてcrammerへ行ったと聞いて、私は仰天した」

 チャーチルの場合のようにcrammerが「予備校教師」を指すときはcoachとも言う。
 ところが、これがあまり当たり前すぎるからでしょう、coachを辞書で引いても書いてない。
 Googleで"army coach"を検索してみると、アメリカのウェストポイント陸軍士官学校のフットボールのコーチの話ばかり出てくる。
 どこかで見たはずだ。懸命に捜して、ようやく一つだけ見つけました。(続く)

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2006年4月19日 (水)

モリアーティ元教授の職業(1)

 ホームズの宿敵モリアーティ教授の経歴は特異なものだった。『最後の事件』でホームズはワトソンにこう説明している。
Fina03_1  
 モリアーティは生まれもよく、立派な教育を受けた。その上、驚くべき数学の才能を天から授かっていた。21歳のときに二項定理に関する論文を書いて全ヨーロッパの評判になった。このおかげでさる地方大学に数学教授の席を得て、どこから見ても前途は洋々だった。ところがこの男には悪魔的な遺伝的性質があったのだ。その血管に流れている犯罪者の血は、並はずれた頭脳によって矯正されるどころかますます助長され、一層危険なものになった。大学町に彼を巡る黒い噂が広まり、とうとう辞職を余儀なくされた。彼はロンドンに出てきて、そこで(where) he set up as an army coach. ここまでは世間にも知られていることだが、これから先は僕が自分で調べ上げた事実だ。

 英語のまま残した部分はどういう意味だろうか? army coachとは何か? 現在入手できる各種の翻訳では

(1) 新潮文庫「……ロンドンへ出て軍人相手の家庭教師をはじめた」
(2) ちくま文庫「……ロンドンに出て陸軍軍人の個人教師となった」
(3) 河出書房「……ロンドンに出て来て、軍人の家庭教師をして身を立てた」
(4) 光文社文庫「……ロンドンで陸軍軍人の個人教師になった」(陸軍軍人の個人教師に「アーミー・コーチ」とルビ)
(5) 東京創元社「……ロンドンへ出てきて軍隊関係の教師になった」
(6) 早川書房「……ロンドンへ出て軍隊関係の学校の教師になった。」

 全部駄目である。大間違いのコンコンチキである。
『最後の事件』は1891年のことである。この時代の英国の陸軍軍人(armyだから陸軍)がどういうものだったかを考えないから、こんなとんでもない間違いをするのだ。
 
 まず(1)から(4)まで。軍人が家庭教師/個人教師について数学を勉強するなんて馬鹿なことがあるか! 
 職業軍人には一定程度以上の頭脳が必要だから、士官学校の入学試験科目に数学がある。しかしそれは入学するまでのことだ。ウィンストン・チャーチル(1874-1965)は、1893年に士官学校の入試に合格すると、数学とは「永久に絶縁した」という。(自伝『わが半生』My Early Life)

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 チャーチルは騎兵科だった。砲兵科ならば入学後も数学をやらされたかも知れない。弾道の計算に必要だから。
 しかし、卒業して少尉に任官してから家庭教師/個人教師について数学なんか勉強するはずがない。そんな間抜けなやつが軍人では、大英帝国が滅びてしまう。
 軍人は命がけの商売である。数学なんぞできなくて一向に差しつかえない。いざというときに卑怯な振舞をしなければよいのだ。
 日露戦争で機関銃の恐るべき威力が実証される前であるから、チャーチルなどはナポレオン戦争時代と同じようにサーベルを振りかざして騎兵突撃をする訓練ばかり受けたはずだ。

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 だから、乗馬の訓練はした。あるいは馬術の個人教師についたかも知れない。しかし、モリアーティ先生が教えることができるのは、もちろん数学しかない。
 それに、家庭教師/個人教師説では説明できないことがある。

Now I have come round to you, and on my way I was attacked by a rough with a bludgeon. I knocked him down, and the police have him in custody; but I can tell you with the most absolute confidence that no possible connection will ever be traced between the gentleman upon whose front teeth I have barked my knuckles and the retiring mathematical coach, who is, I daresay, working out problems upon a black-board ten miles away.
それからこうして君のところへやって来たわけだが、途中で棍棒を持ったチンピラに襲われた。殴り倒して警察に引き渡してやったが、そいつの前歯で僕はこの通り拳固をすりむいたのだ。しかし、そのチンピラと、十マイルも離れたところで黒板に向かって問題を解いている大人しい数学教師との間に、何らかの関係があるなんてことは、絶対に分からない。これは断言できる。

 つまり、十マイル離れたところで「黒板に向かって問題を解いている」のだから、アリバイがある、というのである。家庭教師や個人教師ではなくて、学校の教師なのである。
 新潮文庫は「黒板に向かって問題を解いている家庭教師」と訳している。たしかに生徒一人が相手でも黒板に向かうことが絶対にないとは言い切れない。しかし、これは辞書にcoach=家庭教師と書いてあるのにこだわりすぎた間違いだ。辞書に何と書いてあろうとも、家庭教師などは間違いです。辞書を訂正しておいてください。
 驚いたのは、ほかの本がretiring mathematical coachを「退職した数学教師」などと訳していることだ。とんでもない。退職した数学教師なら、retired mathematical coachである。retiringは(1)内気な、大人しい、引っ込み思案の (2) これからまもなく退職する、のいずれかの意味である。
 過去分詞と現在分詞の意味の違いというのは、基本的なことだよ、ワトソン君。英文法の本を読み直して復習したまえ。

 いや英文法以前の問題だ。日本語だけで間違いは分かる。いま黒板に向かって問題を解いている人がどうして「退職した数学教師」か? 立派な現役の数学教師じゃないか。

 (5)と(6)が残った。
 まずarmyだから陸軍であることは上述の通り。(5)「軍隊関係の教師」はあまりに漠然としている。(6)「軍隊関係の学校」って何だ? 士官学校? しかしここでは上述のように数学はほとんど教えない。何より、黒い噂が立って大学を辞めた人間を陸軍士官学校が雇うはずがない。士官学校ではないが、ともかく「軍隊関係」の学校? そんなのは翻訳とは言いません。試験の答案じゃないんだから。

 それでは、モリアーティ教授はどういう学校の先生になったのか? これは辞書でarmyやcoachを引いても分からないのである。英和辞典で駄目なら、OEDを引けばよいかというと、これも駄目である。OEDはコト典ではなくコトバ典であるから、こういう具体的なことは書いてない。
 ここは辞書を離れて、19世紀末の英国の教育界の事情を具体的に調べなくてはならない。『最後の事件』とほぼ同時代に数学で苦労していたチャーチルのケースを手がかりに考えてみましょう。
 その上で、army coachの訳語が分かるように、英和辞書を「どう訂正すればよいか」を考えておきましょう。これには、文献の証拠を挙げるつもりです。(続く)

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2006年4月17日 (月)

自転車嬢の危難

 一八九四年から一九〇一年までの八年間は、シャーロック・ホームズは、とても多忙な身であった。
 この八年間に、公の事件で重大なものは、一つとしてホームズのところに、持って来られなかったものはなかったし、またその外に私的の事件で扱ったものは、無数で、その中でも、実に錯綜した難問題で、颯爽たる役目をやったものもたくさんあった。この雑多の仕事の中では、もちろんその大部分は、赫々たる成功を収めているのであったが、しかしまたその二三のものでは、全く避けがたい、不可能な失敗に終ったものもあった。こうして無数の興味ある事件の記録を、私は山積するほどたくわえてあるし、またその中の大部分には、私自身も関与しているので、まずどれから読者諸君の前に提供しようかと云うことは、私にとってはとても心迷いがされて、容易に決断のつかないことは想像してもらいたい。しかし私はやはり、以前からの習慣を踏襲して、事件の選択方針としては、事件が残忍で興味があったと云うことよりも、むしろその解決方法が実に巧妙で劇的であったと云う見地からしてみたいと思う。
 こう云う理由から私はまず読者諸君の前にチャーリントンの、一人歩きの自転車乗り嬢であった、ヴァイオレット・スミス嬢の事件を、持ち出そうと思う。この事件は我々の探査が、意外から意外へと外れて、更に全く思いももうけなかった、悲劇のクライマックスを示した、全く意想外の興味ある事件だったものである。私の友人の有名を成さしめた事柄については、毎度お断りする通り、詳細に発表することは許されない事情にあるが、しかし私の浩翰な犯罪秘記の中でも、こうした小さな物語を書く上から云って、この事件は一段と際立った出色の点があると思われるのである。

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 ちょっと珍品を見ましょう。青空文庫から、三上於菟吉訳『自転車嬢の危難』の初めの部分を引用させていただく。(京都大学電子テクスト研究会に感謝します。)底本は平凡社の世界探偵小説全集第4巻シヤーロツク・ホームズの帰還、1929年初版である。
 ドイルは1930年まで存命であった。戦前は翻訳の著作権についてやかましいことは言わなかった、要するに訳し放題だったらしい。
 三上於菟吉とはどういう人かというと、平凡社世界大百科事典

三上於菟吉 1891‐1944(明治24‐昭和19)
小説家。埼玉県に生まれた。早稲田大学英文科中退。粕壁中学在学中から《文章世界》などの投書家として知られ,1915年《春光の下に》を自費出版した。この小説は朝鮮独立運動を題材としたため発禁,翌年《悪魔の恋》で通俗小説畑にはいった。出世作は《敵討日月双紙》(1925)で,これは外国小説の翻案になる時代物であり,同趣向の作品に《元禄若衆》(ワイルドの《ドリアン・グレーの肖像》による),《戦国英雄》(ユゴーの《エルナニ》による)がある。そのほか好評の作品に《白鬼》《雪之丞変化》《日輪》などがある。大衆性のなかに近代批評精神をのぞかせている点が特色である。妻は女流作家長谷川時雨(しぐれ)。  長谷川 泉
(c) 1998 Hitachi Digital Heibonsha, All rights reserved.

「私の友人の有名を成さしめた事柄については、毎度お断りする通り、詳細に発表することは許されない事情にあるが」のところは、もちろん誤訳です。原文を見ないでも間違いと分かるはず。謎を「詳細に発表することは許されない」といって説明しないで残したのでは、探偵小説が成立しない。プライヴァシーを守るためなら登場人物を仮名にすればよいのだ。
 原文は

It is true that the circumstance did not admit of any striking illustration of those powers for which my friend was famous, but there were some points about the case which made it stand out in those long records of crime from which I gather the material for these little narratives.

 結構むつかしい。戦前は、旧制高校の英語の教科書としてホームズをよく使ったらしい。例文を挙げたりして丁寧に説明すれば、この一文だけで30分近くかかりますね。
 ちくま文庫の井村氏訳は正解。延原氏訳は残念ながら間違い。

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2006年4月16日 (日)

赤毛のでぶ(3)

  ともかく、がっしりとでぶは、区別しなければいけません。
 しかし、こういう細かい誤訳は、神経質な読者ならちょっと気になるところだけれど、ホームズの場合は読めてしまうのである。ジョン・ル・カレは「19世紀と20世紀はじめのほかの大作家とは違って、シャーロック・ホームズは翻訳に耐える」という。つまり少々の誤訳や拙訳があっても大丈夫ということだ。何しろ話が面白いから、細かい傷はあまり目立たない。すらすら読める。
 これがたとえばジェイン・オースティンとなるとそうは行かない。下手な翻訳では読めたものではない。ジョージ・メレディスとなると、よほど上手に訳してもらっても読めないだろう。

 あるいは、エミリ・ブロンテの『嵐が丘』については、岩波文庫の旧版の阿部知二訳が「文学から遠い日本語」であることを、別宮貞徳氏が詳しく書いている(『特選誤訳迷訳欠陥翻訳』)。

 別宮氏の指摘を受けて(だと思う)、岩波文庫は2004年に河島弘美氏による改訳版を出している。アマゾンのカスタマー・レビューを見てみると

アンチ熱血教師氏
 読書が好きな私だけど、『嵐が丘』だけは、これまでどうしても読み通せなかった。高校でも、短大でも、図書館には必ずこの小説は備えてあったし、自分で文庫を買ったこともある。世界文学の名作で、最上の恋愛小説だと、誰もがいうので、一生懸命に読もうとしたけど、何故かいつも挫折。諦めかけていたとき、岩波文庫で新訳が出たのを知った。訳者の名前に驚いた。だって、私の愛読書の『ラフカディオ・ハーン』の著者ではないか!早速読んだ。親しめる訳文のお陰で、すらすらと最後まで読めた。しかもすごく楽しめた。生まれて初めて、『嵐が丘』が傑作だと納得できて嬉しかった。同じ原書でも訳者でこんなにも違うものなのも初めてわかった。

kobeprof氏
 旧版の岩波文庫の訳は、私が大学生の頃でも通読するのが辛かったのですが、河島氏の訳は予想を超えて読みやすい訳文になっており、これなら読書離れの著しい今の若い読者でも、愛と復讐の激しいこの小説の面白さがよく味わえることでしょう。これだけ正確でしかもこなれた訳文を生み出した訳者の苦心が偲ばれます。ヒースクリフとキャサリンの情熱に圧倒されながら、物語の展開を追っていけます。世界文学屈指の名作、とは知りつつも、実際に読み通したことのない少なからぬ読者にとり、この新訳の登場で作品が身近かなものになったことは、喜ばしいことです。

 阿部知二訳はそんなにひどかったのか。ところが同じ人が創元推理文庫でホームズを訳している。
 
 去年の秋のある日、シャーロック・ホームズをたずねてみると、彼は、頑丈で赤ら顔の、髪の毛の燃えるように赤い、年輩の紳士と熱心に話しこんでいた。じゃまをした詫びをいって私が引きさがろうとすると、ホームズはとつぜん私をとらえて部屋のなかにひきこみ、扉を閉めた。

 これなら、読めないことはない。ジョン・ル・カレの言う通りだ。

 ル・カレは「ホームズがいなければ、私はジョージ・スマイリーを創り出すことはできなかっただろう」と言う。9歳で寄宿学校にいたときに(1940年)、低学年生徒談話室で朗読してもらった『バスカヴィル家の犬』の一節は、60年以上たった今も耳に残っていると言う。(New Annotated Sherlock Holemsの序文)

「足跡ですか?」
「足跡です」
「男のですか、女のですか?」
 モーティマーは妙な顔をして私たちを見てから、急に声を落として、ほとんどささやくように答えた。
「ホームズさん、巨大な犬の足跡だったのです」

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2006年4月15日 (土)

ストップ・ザ・コイズミ?

 theについて(1)で、STOP THE KOIZUMIはおかしいだろうと書いたら、Zarathustraさん、雑談日記さん、カナダde日本語の美爾依さんなどから、コメントやトラックバックをいただいた。

 美爾依さんのおっしゃるように
the Koizumi administrationはオーケーである。

 これは、Koizumiが形容詞としてadministrationを修飾して、「特定の政権」の意味にするから、「定」冠詞を付けるのである。theはKoizumiにではなく、administrationに付く。Koizumiという固有名詞にtheを付けるのは、原則としてありません。

 The Philippinesは、固有名詞に付いているのではないか? これはthe United Statesのtheと同じである。「連合した州全部(すなわち特定)」に定冠詞を付けるように、「フィリピン群島全部」に定冠詞を付ける。「全部のthe」と言ってもよろしい。

They are teachers of our school.
They are the teachers of our school.
  の違いは? 前者は数人を指して「我が校の先生方」と言うのに対して、後者はたとえば先生全部の集合写真を指して言う場合である。

 単数の固有名詞なのにtheが付く場合がある。オランダのハーグはThe Hagueという。これはオランダ語でDen Haagと冠詞を付けるからである。オランダ語の文法までは知りません。

 というような理屈なら、お手の物である。むかしは予備校で文法も教えていたから。
 しかし、実際に英語を書くとなると、冠詞にはほとほと悩ませられる。分からん。
 私の場合は、美爾依さんと違って、日本の田園に住んでいるから、英語を話す土人をつかまえるのは困難だ。Native speakers of English are not available. 実に不便だ。

 ところで、なぜストップ・ザ・コイズミとか、その元のストップ・ザ・サトウとか、変な英語まがいの言い方ができたのか? 少々調査して(周りの年寄りに聞いただけですが)、分かりました。

 昭和20年代に「ストップ・ザ・ミュージック」というラジオ番組があった。もちろんまだテレビはない時代で、人気番組だった。戦後、「進駐軍」がラジオ放送を振興しなければならないと言い出して、番組の内容まで指導したらしい。アメリカにはこういう番組があるから真似しなさいといって作らせた番組がかなりあるようだ。
 そのうちの一つがストップ・ザ・ミュージックであった。「お冨さん」とか「酒は涙かため息か」とか「聖者が街にやってくる」とか、曲目までは責任を持てませんが、ともかくレコードのはじめの方をかけて、番組に参加したリスナーに何という曲か分かったら「ストップ」と言わせて、「ザ・ミュージック」をストップする。曲目を言い当てた人には賞金でも出したのだと思う。
 当たり前のことだが日本人には英語の語感がないから、この番組が人気を呼ぶと、「----を止めろ」というのを「ストップ・ザ・----」というのではないか、というような感覚ができてしまった。
 1967年になって美濃部亮吉氏が東京都知事選に立候補したときも、まだこの感覚が残っていて、「ストップ・ザ・サトウ」のキャッチコピーを作る奴がいて、受け入れられた。

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 と、まあ、こういうようなことであるらしい。
 いずれにせよ、英語まがいはやめるべきだ。みっともない。日本人同士意思の疎通を欠くのはあほらしい。

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2006年4月14日 (金)

赤毛のでぶ(2)

 でぶといえば大事な人を忘れてはいけない。ホームズの兄マイクロフトである。ワトソンはマイクロフトをどう描いているか? 『ギリシャ語通訳』を見てみよう。ワトソンはディオゲネス・クラブではじめてマイクロフトに会った。

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Mycroft Holmes was a much larger and stouter man than Sherlock. His body was absolutely corpulent, but his face, though massive, had preserved something of the sharpness of expression which was so remarkable in that of his brother.
マイクロフト・ホームズは、シャーロックよりずっと背が高く、太っていた。完全な肥満体だった。しかし、その厚ぼったい顔には、弟の方の特徴である鋭い表情に似たものがあった。

 stouterを「がっしり」と訳せないことは明らかである。
 stouterと言っておいて、absolutely corpulentと言い直している。OEDのstoutの定義にinclined to copulence(太り気味)とあるのが、実際の用法に即した適切な定義であることが分かる。

 それではやせでもデブでもない「がっしり」した人物としては、誰がいたか? 『赤毛連盟』にも一人出てきましたね。
 ウィルソン氏は助手のヴィンセント・スポールディングのことをホームズに聞かれて

Small, stout-built, very quick in his ways, no hair on his face, though he's not short of thirty.
小柄ですが、がっしりした体格で、万事にきびきびしています。三十を超していますが、顔にはひげがありません。(光文社文庫版)

 と答えている。stoutが過去分詞builtを修飾する副詞の役割を果たすので、ここではより原義に近い意味になっている。

 もう一人、がっしりした人がいた。ワトソンである。

He was a middle- sized, strongly built man -- square jaw, thick neck, moustache, a mask over his eyes.
中背でがっしりした男でした。顎が角張り首が太く、口髭を生やし眼はマスクで覆っていました。

『チャールズ・オーガスタス・ミルバートン』である。容疑者の一人の人相をレストレードがこう描写した。
 もう一度『赤毛連盟』の挿絵を見てみると、やせのホームズ、デブのウィルソン氏、がっしりのワトソンと三類型が揃っていることが分かる。ところで、この挿絵をシドニー・パジェットのものと書いたのは、間違いでした。土屋朋之氏が指摘して下さった。パジェットの挿絵ならSPのサインがある。これはJosef Friedrichが1906年に描いたイラストでした。

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 それに、コナン・ドイル自身が、「がっしりした」体格だった。
 ヘスキス・ピアソンは『コナン・ドイル伝』(1943年)でこう書いている。

 21歳のドイルは身長6フィートをこえ、髪は茶色、眼はグレーで、肩幅が広く、胸囲は43インチあった。体重は「素裸で16ストーン[102キロ]をこえ」、力は雄牛のように強かった。彼はこの時期の自分の姿を出版された最初の長編小説『ガードルストーン会社』でおそらく無意識に描いている。「長く引き締まった脚と筋肉質の太い首の上の丸く力強い頭部は、アテネの彫刻家には恰好のモデルとなっただろう。しかし顔には整った東方の美はなかった。純朴そうな離れた眼といい、生えかかった口髭といい、これはあくまでアングロサクソンの目鼻立ちであった」

 16ストーンというと、正典では『スリークォーターの失踪』に登場するシリル・オーヴァートンの体重である。
 
  思った通りで、電報のすぐあとから発信人がやって来た。ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジのシリル・オーヴァートンという名刺が来場を告げたのは、若い巨漢だった。骨と筋肉のかたまりで体重は16ストーンほどあった。戸口をふさぐくらい肩幅が広い。感じのよい顔立ちだが心労で憔悴した表情で、私たちを見くらべた。

 オーヴァートンはケンブリッジ大学ラグビー・チームのキャプテンである。失踪したのはスリークォーターであるが、本人は体重が100キロ以上あるのだからフォワードだろう。

 ドイルという人は油断がならない。自画像を紛れ込ませているのだ。ドイル自身、エディンバラ大学のラグビー・チームで一時はフォワードを務めた。アルバイトで忙しくて続けられなかったのだ。ケンブリッジ大学のフォワードでキャプテンというのはうらやましい身分だと思っただろう。
 ドイルはラグビーのほかに、ボクシング、クリケット、サッカー、ゴルフ、射撃、自動車などスポーツは万能選手で、アルペン・スキーの元祖でもあった。
 ボクシングについては、『黄色い顔』で「ホームズは彼の体重では最も優秀なボクサーの一人だった」という。ホームズの体重はどれくらいだったか? 彼は身長6フィート、すなわち183センチをやや越えるぐらいであるが、非常にやせているのでそれよりもずっと背が高いように見える、というのが『緋色の研究』のときのワトソンの観察である。ミドル級(約72kg)だろう。(当時は、フェザー、ライト、ミドル、ヘビーの4階級だった。)プロボクサーのマクマードは、背が低くて胸板の厚い男だが(『四人の署名』)、ホームズと同じ階級だったから、プロとアマで3ラウンド戦ったのである。長身のホームズが得意の「クロスヒット」を相手の顎に浴びせて有利に闘いを進めたらしい。
 ホームズが「彼の体重では」最も優秀なボクサーの一人だというのは、たとえば30キロも重いドイルが相手なら、また話は別ということらしい。
 体重がものをいうのはボクシングだけではない。『ブラックピーター』では、ホームズはいくら頑張っても天井からぶら下がった豚の死体を銛で突き通すことはできなかった。だから、ホプキンズ君、君がつかまえたあの貧血質の若者に、あんなものすごい凶行ができるかどうかを考えなくちゃいかんよ、というのであった。果たして犯人は……
 これもドイルが自分の経験から書いているのだ。1880年2月、エディンバラ大学医学部の学生だったドイルは200トンの捕鯨船ホープ号に船医として乗り込んで、7ヶ月の航海に出発した。医者としての仕事はほとんどなかったが、ドイルは鯨獲りに大変な手腕を発揮したので、船長は、来年もホープ号に乗ってくれるなら、今度は船医兼銛打ちとして二人分の給料を払うと申し出た。さすがにこれは勉強に差しつかえるので断ったのである。
 当時の捕鯨は、メルヴィルの『白鯨』(1851)のころと変わらなかった。小さなボートに乗って鯨に近づき、銛を打ち込むのである。銛打ちは筋骨たくましい大男でなければならなかった。

 エーと、何の話でしたっけ。そうそう、がっしりとでぶは区別しなければならない、ということだった。(続く)

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2006年4月13日 (木)

赤毛のでぶ(1)

  昨年秋のある日のこと、わが友シャーロック・ホームズを訪ねてみると、年輩の紳士と何やら熱心に話し込んでいた。相手の男はがっしりした体格で赤ら顔、しかも燃えるように赤い髪をしている。
               日暮雅通訳 光文社文庫 2006年

去年の秋のある日のこと、訪ねてみるとシャーロック・ホームズは、非常に体つきのがっしりしたあから顔の、髪の毛の燃えるように赤い年輩の紳士と、何事か熱心に対談中であった。
               延原謙訳 新潮文庫初版 1953年

I had called upon my friend, Mr. Sherlock Holmes, one day in the autumn of last year and found him in deep conversation with a very stout, florid-faced, elderly gentleman with fiery red hair.
             Arthur Conan Doyle  Strand Magazine 1891

 有名な『赤毛連盟』の冒頭部分である。
 光文社文庫版にも新潮文庫版にも誤訳があることは、すぐに分かると思う。

 stoutという単語を「がっしりした体格で」「体つきのがっしりした」と訳しているのが、誤訳である。
 これは、「太った」「デブの」「肥満体の」「恰幅のよい」「でっぷりした」などでなければならない。「がっしり」ではありません。
 さて、どう説明すればよいか?
 まず、シドニー・パジェットの挿絵を見よう。

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 この絵はうまいですね。やせたホームズとデブのウィルソン氏の対照がよく分かる。
「いや、シドニー・バジェットがどんな絵を描こうが、がっしりだ」と頑張らないでください。冒頭の引用部分は光文社文庫では57頁ですが、59頁になると次のような描写がある。

恰幅のいい依頼人は、いささか得意そうに胸を張ると、大外套の内ポケットから汚れてしわだらけになった一枚の新聞を取りだした。
The portly client puffed out his chest with an appearance of some little pride and pulled a dirty and wrinkled newspaper from the inside pocket of his greatcoat.

この訪問客はどう見たところで、でっぷり太った、尊大な態度で鈍重な感じの、どこにでもいるありふれた英国商人にすぎない。
Our visitor bore every mark of being an average commonplace British tradesman, obese, pompous, and slow.

 同じウィルソン氏をはじめはstoutと描写し、次にportly、その次にobeseという形容詞を使っている。
 つまり、こういうことだ。
 太っていることを表す一番普通の言葉はfatである。上の三つの文では、どれもfatを使ってもよいはずだ。

・----a very fat, florid-faced, elderly gentleman with fiery red hair.
・The fat client puffed out his chest----
・----an average commonplace British tradesman, fat, pompous, and slow.

  しかしこれではあまりに芸がないので、fatの類義語stout, portly, obeseを使ったのだろう。類義語としてはほかに、corpulent, overweight, chubby,plump などがある。ただ、chubbyやplumpは少しニュアンスが違って、ウィルソン氏には使えないかも知れない。――というようなことは当たり前で説明の必要もないと思っていたのだが……

 辞書を引いてみましょう。OED(Oxford English Dictionary)にはどう書いてあるか。

 stoutの語義の1番目はProud, haughty, arrogant.である。Often coupled with proud.(proudと併用することが多い)と書き添えてある。ただし、この用法はobsoleteである。現代では使われていない。OEDは語義を頻度順ではなく、古い順に本質的な語義を先頭に並べている。例文はたくさんあるが、たとえば1593年の例として、シェイクスピアのヘンリー6世から
As stout and proud as he were Lord of all.

 stoutの語義をずーっと見て行くと、6番目に「がっしり」にあたる意味が出てくる。
Strong in body; of powerful build
ただしNow only U.S. dial. (今では米国の方言のみで使う)と書き添えてある。
 これも例文がたくさんあるが、1882年のマーク・トゥウェインのStolen White Elephantという小説
Your word  'stout' means 'fleshy'; our word 'stout' usually means strong.
あなた方がstoutというのは「太った」という意味だが、同じ言葉が我々の方では「がっしり」という意味だ。
というようなことでしょう。原本に当たってみないと分からないが、たぶんアメリカ人とイギリス人がstoutの語義を論じているのだと思う。
 いずれにせよ、「がっしり」という意味では、現在は普通には使わないことがはっきりしたはずだ。

 さらに下の方まで見て行くと、ようやく12番目になってデブが出てきた。
Of persons: Thick in the body, not lean or slender; usually in unfavourable sense, inclined to corpulence; often euphemistically = corpulent, fat.

 要するにstoutとは太っていることだ。in unfavourable senseというのだから、デブというような響きである。fatを使った方がよく分かるが、少し遠慮して、本来の意味はproudであり、昔は「がっしり」の意味にも使われたstoutを使う。これがeuphemistically(婉曲に)ということである。これも例文を見れば、stoutが「がっしり」の意味ではないことが納得できるはずだ。

1899 Lady M. Verney Verney Mem.
His military bearing is giving way to a slouching gait as he grows older and stouter. 
昔はいかにも軍人らしい物腰だったのに、年を取って太ってくると前屈みのだらしない姿勢で歩くようになる――というような意味でしょう。

 昔は英和辞典にstoutの意味として「がっしり」だけしか書いてなかったのだろう。だからそう訳したのも無理からぬところがある。
 しかし今ではわざわざOEDを見るまでもない。高校生用の英和辞典にもstout=デブは書いてあるのだ。三省堂のグローバル英和辞典。

stout
(1) 頑丈な, がっしりした, 丈夫な, 強固な.
a ~ wall 頑丈な壁.
a ~ ship がっしりした船.
~ laborers 屈強な労働者たち.
(2) (婉曲)太った, でっぷりした,([類語]中年太りなどを遠回しに表す語;→fat)
"You're getting a little ~,” the wife told her husband. 「あなた少し太目になってきたわね」と妻が夫に言った.

 物語の冒頭に「がっしりした赤毛の……」と書いてあれば、はじめて読む読者ならば、たとえばニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜選手(身長185センチ、体重100キロ弱、まさにがっしりしている)を思い浮かべ、まず彼を外人にし、それから赤毛にし、次に年寄りにしてみるかも知れない。
 ところがしばらく読んで行くと、まず「恰幅のいい依頼人」とあり、次に「でっぷり太った」と書いてあるので、頭の中のイメージを修正しなければならない。これが困るのである。

 stoutを「がっしり」と訳するのはやはり誤訳だろう。神父と牧師を混同する(「牧師か神父か」)ほど致命的な間違いではないが、誤訳であることに変わりはない。
 赤毛連盟が書かれたのは100年以上の昔である。明治時代に日本語に訳されたはずで、それ以後、何十種類も翻訳が出ているだろう。1950年代に延原氏が間違えて、さらに半世紀以上たってまだ間違っていては、新訳を出す意味がないではないか。(続く)

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2006年4月12日 (水)

四つの署名?

 theについて(2)――四つの署名? にオスカー・ワイルドのサイトの管理人lazyさんのコメントをいただいた。ありがとうございます。(Oscar Wilde~最初の現代人~は素敵に面白いサイトです。必見)

 延原謙氏が新潮文庫『四つの署名』の訳者あとがきで題名について触れているのは見たか――というご指摘である。
 灯台もと暗し。見てなかった。
 新潮文庫の『四つの署名』の182頁、訳者延原謙による解説には、こう書いてある。

 ここに訳出したのは、ドイルとしてはホームズ物語の第二作にあたるThe  Sign of Fourであって、最初発表されたのは1890年2月号のリピンコット・マガジンであった。そのときはFourのまえにtheがついていたが、後に単行本にするとき、作者がこれを取りさったといわれる。探偵小説にあっては、題名の付け方も作者の苦心するところで、題名を見て内容のわかるようなのはむろん困るし、そうかといってまるで無関係な題もつけられない。そこでまあおや何だろう? と読者の好奇心なり探索欲なりを刺激するような題を選ぶことになるであろう。
 その意味でおそらく冠詞をとりさったのであろうと思うのだが、日本訳の題名を『四つの署名』としたのもけっしてうまくないと考えている。サインにはほかの意味もあるので、「おや何だろう?」の原因にもなるが、署名という日本語にはほかの意味がないからである。それでも昔やったように、『四人の署名』とするよりは、いくらか勝っているだろうか。

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 なるほど。
 The Sign of FourをThe Sign of the Fourと比べると、theのない方が多義的な解釈を許すのかも知れない。theなしの方は、the付きの方の意味を含み、そのほかにも何か別の意味があり得るような感じがする。「まあおや何だろう?」ということになるか。
 延原氏がはじめ『四人の署名』と訳していたとは知らなかった。『四つの署名』は、確信犯的に意味を曖昧にしたのか。しかしこちらの方が「いくらか勝っている」だろうか? 
 訳題の付け方はむつかしい。むかしの新潮文庫では、Blue Carbuncleがたしか『青い紅玉』となっていて、おやおやと思ったものである。1989年にご子息の延原展氏が改訂したときに現在の『青いガーネット』に改めたらしい。
『冒険』の中では、『花婿失踪事件』という題はどうにかならないものか? Case of Identityを直訳して『正体の事件』では駄目だろうな。あまりに「まあおや何だろう」の度が過ぎる。しかし、正体という語を使って何とか題が付けられないか。
『花嫁失踪事件』も同じように「題名から内容がわかるようなの」であって、よくない。これはほかの人が訳しているように『独身の貴族』でいいだろう。
『犯人は二人』も同じ理由でちょっと困る。『チャールズ・オーガスタス・ミルバートン』というカタカナの名前を題名にするには、1953年になってもまだ抵抗があったのだろうか。明治時代には、題名どころか本文中の登場人物の名を変えてしまうこともあった。たとえば「ジャック」では男女の別も分からないというので、召使だったら「権助」としてしまう。イボンヌという女が悪者の一味だったら「いぼ子」にするのである。
 そういう黒岩涙香流と「現代語訳」の中間が半世紀以上前の延原謙訳なのだろうか。『白銀号事件』は、今なら延原氏も『シルバーブレイズ』とするだろう。
 延原氏の場合、訳題の付け方だけでなく、訳文自体も幾分古めかしくて、そこが好ましいのである。ホームズはできるだけ原文で読みたいが、日本語で読むとすれば、これくらいの古さがちょうどよい。ホームズの英語自体、かなり古めかしいもので、現代の探偵なら依頼者に対して
Pray be precise as to details.
 なんて、言わないだろう。
 そういう古い英語をそのまま古い日本語に訳せるかというと、それは不可能である。延原氏もこの部分は「どうぞそのときの様子を正確にお話しください」とごく普通に訳している。しかしホームズやワトソンには、少なくともテレビの吹き替えのような日本語だけはしゃべって欲しくないと思うのである。

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2006年4月 9日 (日)

theについて(2)--四つの署名?

(承前)英語でも、theを付けるべきかどうかが一義的に決まらない、どちらでもよろしい、口調がよい方にする、という場合があると思う。

 たとえば、コナン・ドイルの『四人の署名』は、はじめは
The Sign of the Four
 として発表され、後に
The Sign of Four
と改題された。ドイルは「どちらでも意味は同じだ。ただ後者の方が口調がよい」と思っていた――と私は思うのである。

 アメリカのリッピンコット社の編集者がオスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』とコナン・ドイルの『四人の署名』を一晩で手に入れた話は、ヘスキス・ピアソンがワイルド伝とドイル伝で描いている。(オスカー・ワイルドとコナン・ドイル(1)(2)参照)
 同じ話をジョン・ディクスン・カーのコナン・ドイル伝は次のように描いている。

『リピンコット・マガジン』という雑誌は、フィラデルフィアのJ・B・リピンコットとロンドンのウォード=ロックの両社から同時に発行されていたが、そのアメリカの編集者が『緋色の研究』を読んで、もう一つシャーロック・ホームズを主人公とする物語を書いてもらって同誌に全編発表したいと思い立ち、ロンドンでいっしょに食事をしながらその問題を相談したい、と言ってきたのである。これは見逃せない好機だった。その食事の席で彼はオスカー・ワイルドに会った。まだ劇作の成功に狂い立たないころのワイルドだった。コナン・ドイルは、シャーロック・ホームズ物語を書くと約束した。こうして1890年2月号の『リピンコット』の英米両版に、『その四人の署名」(The Sign of the Four)が発表されるにいたったのである。
 彼自身はそれを単に『四つの署名』(The Sign of Four)と呼ぶ方を好んだ。しかし、われわれは、ひめやかな、音調のよいほうの呼び方をすることにしよう。彼は当時『その四人の署名』については、手紙にも、備忘録にも、日記にも、まるでふれていないが、それは別に驚くにはあたらない。というのは、当時彼は、もっぱら『白衣団』に心を打ちこんでいたからである。
(Johon Dixon Carr, The Life of Sir Arthur Conan Doyle, 1949  大久保康雄訳『コナン・ドイル』 早川書房 1962)

 しかしtheの有無だけでそんなに大きく意味が違うものだろうか? 「その四人の署名」はいいとして、theを外せば「四つの署名」という意味になるだろうか? 常識的には「四つの署名」なら(The) Four Signsのはずだ。
 ディクスン・カーは、The Sign of the FourとThe Sign of Fourを比べて、前者の方が「ひめやか」で「音調のよいほうの呼び方」だと言っているだけである。(「音調がよい」はたぶんeuphonicだろう。「ひめやか」というのは、はて英語で何と書いてあったのだろう?)「四つの署名」という意味に変わるというのは、訳者の解釈にすぎない。

The Sign of (the) Fourとはそもそも何であったか? コナン・ドイルの原文にかえって検討してみる必要があるだろう。

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「ショルトー少佐は、父の特別に親しいお友達でした。父の手紙には少佐のことがたくさん書いてありました。二人ともアンダマン島で部隊を指揮しておりましたから、一緒に仕事をすることが多かったようでございます。ところで、父のデスクの中から、誰にも分からないおかしな紙が出てまいりましたの。取るに足りないものでしょうが、ひょっとしてご覧になるかと思って、持ってまいりました。これでございます」
 ホームズはその紙を注意深く拡げて膝の上でしわを伸ばした。二重拡大鏡を取り出して隅から隅まで丁寧に調べていった。
「インド産の紙だ。しばらくピンで板にとめてあった。この図は広間や廊下や通路がたくさんある大きな建物の一部の見取り図のようだ。一箇所に小さな十字が赤インクで書いてある。その上に「左から3.37フィート」。これは鉛筆書きで消えかかっている。左隅に奇妙な象形文字みたいなものがある。十字を四つ、横につないで一列に並べたみたいだ。その横に、ひどく乱雑な字で書いてある。「The sign of the four――ジョナサン・スモール、マホメット・シン、アブドゥッラー・カーン、ドスト・アクバル」いや、どうも、これが事件とどんな関係にあるかは、見当がつかないな。しかし、重要な書類らしい。札入れにでも大切にしまってあったのでしょう、裏も表もきれいだから」

「ともかく、二度目の会合で話はついた。今度は、マホメット・シン、アブドゥラー・カーン、ドスト・アクバルもみんな顔を揃えた。改めて相談して、段取りを決めた。まず二人の将校にアグラの砦の地図を渡す。壁の宝物を隠したところに印を付けるのだ。ショルト少佐がインドへ行って確認する。宝の箱を見つけたら、そのままにしておいて、ヨットに食料を積んでラトランド島の沖にまわしておく。あっしらは何としてもそれに乗り込むんだ。少佐の方は軍務に戻る。それからモースタン大尉が賜暇を願い出て、アグラであっしらと落ち合う。そこでいよいよ宝物の分配だ。大尉がショルト少佐の分も持ち帰る。こういうことを全部取り決めて、考えられる限り、口で言い表せる限りの最も厳粛な誓いを立てて、固く約束しあった。あっしは一晩中、紙とインクを相手に徹夜して、朝までに同じ図面を二通こしらえて、アブドゥッラー、アクバル、マホメットとあっしの the sign of fourを書いた」

 メアリー・モースタン嬢が持ってきてホームズに見せた紙片にはThe Sign of the fourと書いてあったのだ。ところが、ジョナサン・スモールは、「the sign of fourを書いた」と言っているではないか。
 この地図を作ったのはインド大反乱(1957-59)のあとでスモールが服役しているときであった。ホームズ、ワトソン、アセルニー・ジョーンズの三人を相手に思い出話をしているのは1888年のことらしい。数十年の間にtheが消えてしまったのだ。
「the fourでも単なるfourでも意味は同じ」とスモールは考えた。そしてコナン・ドイルもそう考えたのである。
 
 この署名は普通の署名とは違う。普通なら四人がそれぞれ自分の名前を書くはずだ。しかし、この場合は、三人のシク教徒は字が書けなかった(少なくとも英語は書けなかった)ので、ジョナサン・スモールが代表として「ひどく乱雑な字で」The sign of the four--Jonathan Small, Mahomet Singh, Abdullah Khan, Dost Akbarと書き、これに×印を四つ書き足して署名にしたのである。四人が一体となって一つの署名を書いたのだから、訳は「四人の署名」になるはずだ。
 普通に英語なりインド語(?)なりで各人が自分の名前を書いたのなら、The four signsであって、これは「四つの署名」と訳しても「四人の署名」と訳してもよいだろう。

 私は子供のとき延原謙氏の訳でホームズを読み始めたから、ずっと「四つの署名」だと思っていた。しかし、よく考えてみると、上のように「四人の署名」になるはずである。
theは付けても付けなくても意味は同じ、あとはどちらが口調がいいかだけ、という場合があるらしい。ディクスン・カーはtheを付けた方が「音調がよい」というのだが、ドイル自身は反対の意見だったのだ。

 むかし、日本語がよくできるドイツ人に質問されて困ったことがある。「学校へ行く」ですか「学校に行く」ですか? どちらが正しいんですか? 「どちらでもよろしい」。しかし二つ言い方があるのなら意味が違うはずだ。どう違うのですか? そんなことを聞かれても困りますよね。どうも、このtheの有無は同じようなケースではないかと思うのだけれど、違うだろうか?

 シャーロック・ホームズの本文は、http://camdenhouse.ignisart.com/canon/index.html
をご覧ください。挿絵もここにあります。
 ホームズについては、書斎の死体も見てください。

 シク教徒については、エンカルタ百科辞典を引用しておきます。(セポイの反乱はインド大反乱の別名)

 イギリス統治下のインドでは、1857年におこったセポイの反乱に際してのシク教徒の忠誠により、イギリスはシク教徒に対し、優先的に土地の無償払い下げをおこなった。さらにシク教徒は軍人・警官として高い評価をうけ、富を手にいれた。第1次世界大戦以後、イギリス政府とシク教徒との関係は何度か悪化した場面もあったが、全体的には平和がたもたれていた。しかし1947年のインド独立によってシク教徒は特権をうしない、パンジャブ州はインド領とパキスタン領に2分された。
 パキスタン領のシク教徒は、イスラム教徒とのきびしい戦いのすえ、1965年にインドに移住した。長年にわたる要求運動に応じて、66年にインド政府はパンジャービー語を公用語とするパンジャブ州を設立した。現在でも、インドに1600万人以上いるシク教徒のほとんどがパンジャブ州の出身である。
 しかし自治の拡大を要求するシク教分離主義者によるテロに対抗し、インド政府は1984年6月に軍を派遣してゴールデン・テンプルを奪取した。シク教徒はこの武力行使に対する報復をちかい、同年10月31日におこったインディラ・ガンディー首相の暗殺には護衛兵の中のシク教徒が加担した。
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2006年4月 7日 (金)

theについて(1)

 英語を書くときに一番困るのが、冠詞ですね。何しろ日本語にはないのだから、どうもよく分からない。
 間違えることもある。今でもよく覚えている間違いは、「地球温暖化」を
the global warming
  と書いてしまったことだ。もちろんtheは要らない。普通はたとえば

What does the greenhouse effect have to do with global warming?

What is causing global warming?

What is the best source of scientific information on global warming?

Are humans contributing to global warming?

(Union of Concerned Scientistsのホームページhttp://www.ucsusa.org/global_warming/science/global-warming-faq.htmlより)

のように、単にglobal warmingでよろしい。
 しかし書いたときは何となくtheを付けた方がいいような気がしたのです。

 和文英訳の仕事では、たいてい英語を母語とする人がチェックしてくれる。しかし、このときは納期が迫っていてチェックなしだった。だから私が訳したthe global warmingが間違ったまま印刷され、たぶんインターネットにも載っているはずだ。
 どうも困ったものだが、仕方がない。一応意味は通じるのである。

 この、余計な定冠詞を付けるという間違いは割合によくあるらしい。私以外にも間違えている人がいるかも知れない。
 ちょっとインターネットで探してみると、ありました。どうも日本語を英訳した文献に多いようだ。
 たとえば
平成14年度 地球環境国際研究推進事業
「国際産業経済の方向を含めた地球温暖化影響・対策技術の総合評価」要約書
 という文書とその英訳が財団法人地球環境産業技術研究機構というところから出ている。英訳部分にthe global warmingが頻出する。

The knowledge about the impacts of the global warming is still limited.

The damage from the global warming will be uncertain because the knowledge of the impact mechanism is limited and the measures of adaptation affect the amount of the damage.

This shows that it is important that we evaluate measures of mitigation and adaptation of the global warming.

To research the impacts of the global warming systematically by studying literatures and hearing experts in the global warming.

To summarize the qualitative factors of the global warming and to make consistent scenarios.

 どれもglobal warmingにtheは要らないはずだ。
 訳者は日本人だろう。私と同じである。いや、私より大分下手かな。余計なtheを省いても、英語として変なところ、意味不明のところが残っている。私ならこういう英語は絶対に書きません。

 不定冠詞のaと定冠詞のtheの違いはよく分かる。しかしこれに無冠詞が加わって3種類になるとどうも使い分けが飲み込めない。私は、theを付けるべきかどうか迷ったときは、Googleでフレーズ検索してみることにしている。大体これで分かります。

 冠詞でもドイツ語などの方が使い方が分かりやすいように思う。「地球温暖化」はドイツ語なら

die globale Erwaermung または
die Erderwaermung

 普通は定冠詞を付けるのだと思う。
 ドイツ語の場合、固有名詞にも定冠詞がつくことがある。

若きウェルテルの悩み
The Sorrows of Young Werther
Die Leiden des jungen Werthers

 ドイツ語では冠詞に性、数、格を表すという役割もあるから、付ける方が多く、固有名詞にも付くのだろう。

 日本人が英語を使うとき「何となくtheを付けたい」という気分は抜きがたくあるらしい。偽メール問題がやかましかったころ、「世に倦む日々」というサイトが面白いのでよく見ていたのだが、ここに大きな字で
STOP THE KOIZUMI
 と書いてあるのが気になったものだ。
 これが英語のつもりならば、KOIZUMIという固有名詞にTHEを付けるのはやはり間違いだろう。
 このサイトでは2005年10月24日に
STOP THE KOIZUMI - 改革ファシズムを止めるブロガー同盟
 を提案したらしい。
「STOP THE KOIZUMI」のキャッチコピーは、ある年齢以上の方はすぐにピンと来るだろうけれど、35年前の革新都知事の政治史からヒントと着想を得た。
 というのだが。
 そう言えば、STOP THE SATOというのを聞いたことがあるような気がする。

 しかし、STOP THE KOIZUMIという言い方は嫌だな。
 まずコイズミに定冠詞を付ける理由が分からない。冠詞を省いてSTOP KOIZUMIとすればよいのかというと、さて、英語のSTOPという動詞はそういう使い方をするのだろうか?
 要するに英語まがいを使おうとするからよくないのだ。日本人なんだから日本語で言え。

小泉を倒せ
小泉くたばれ
打倒小泉 
小泉が嫌いだ

  どれもストップ・ザ・コイズミよりはるかによいと思う。

 しかし、英語でも、theを付けるべきかどうかが一義的に決まらない、どちらでもよろしい、口調がよい方にする、という場合があると思う。(続く)

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2006年4月 2日 (日)

「ホームズさん、巨大な犬の足跡だったのです」

                     エドマンド・ウィルソン
         Houn00
『アクセルの城』の文芸批評家エドマンド・ウィルソン(1895―1972)は、1944年から45年にかけて、書評主幹を務めていた『ニューヨーカー』誌に3編の探偵小説論を書いた。

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(1) "Why Do People Read Detective Stories?"――1944年10月14日号
(2) "Who Cares Who Killed Roger Ackroyd: A Second Report on Detective Fiction"――1945年1月20日号
(3) "Mr. Holmes, They Were the Footprints of a Gigantic Hound"――1945年2月17日号

(1) と(2)には翻訳がある。
(1) 「探偵小説なんかなぜ読むのだろう?」みすず書房2005『エドマンド・ウィルソン批評集2 文学』所収 中村紘一訳
(2)「誰がアクロイドを殺そうが」成甲書房2003『ミステリの美学』所収 松井百合子訳

 (1)でエドマンド・ウィルソンは「私の周りには探偵小説の愛読者が多く、盛んにあれこれと品定めをしあっているが、私には何のことだかさっぱり分からない」ので、自分もこのジャンルのものを読んでみることにしたという。しかし、レックス・スタウトはてんで駄目(ネロ・ウルフの食事シーンだけはまずまず)、アガサ・クリスティという人は随分たくさん書いているらしいが自分はもう一冊たりとも読みたくない、ダシール・ハメットの『マルタの鷹』に至っては新聞の連載漫画のレベルだ――という調子で探偵小説否定論を述べたので、読者から抗議の投書が殺到した。これに答えて書いたのが(2)である。今度はドロシー・セイヤーズの『ナイン・テイラーズ』を読んでみたが、これは「今までに読んだ一番退屈な小説の一つだった」。ただレイモンド・チャンドラーの『さらば愛しき女よ』はまずまず読ませる。ウィルソンは結論として、探偵小説を読む習慣は愚かで有害な悪癖として「まずクロスワードパズルと喫煙の中間辺り」であろうと言う。

 その四週間後に書いたのが(3) で、本稿はその翻訳である。

 四週間前の私の探偵小説論は前回以上にすさまじい反響を呼び、百通以上の投書をいただいた。しかし今回は、私の批判に賛成するという人がほとんどだった。不賛成だという手紙も少し来たが、その中にはずいぶん過激なのもあった。あるご婦人は追伸として「エドマンドという名前の男はみんな虫が好かなかった」と書いてきた。また別のご婦人の手紙には、「探偵小説を出さない出版社からいくら貰ったの?」とあった。このような激烈な反応を見ると、いよいよ私の確信は強まるのである。探偵小説は習慣性の薬物であって、中毒患者は死に物狂いになるから恐い――これは賛成の手紙の多くも認めていることである。前回、終りの方で少々説教じみた調子になった。あれはむろん冗談である。ところが真面目に取った読者もおられるらしい。ずっと中毒でしたが、お説を拝読して、これからは二度と探偵小説は読まないと誓いを立てました、などとおっしゃる。旧友の古典学者兼考古学者などは、自分もこの麻薬の虜であったが、ド・クインシーのひそみにならって『探偵小説中毒者の告白』を書くつもりだと言明した。どうも困ったものである。

 ところで私も告白しなければならない。昨年の秋このジャンルをのぞいてみてから、自分が中毒になってしまったのだ。私の場合は、毎晩シャーロック・ホームズを読んで寝る癖がついてしまった。子供のとき読んだきりの本家コナン・ドイルを最近の亜流と比べてみるつもりなのだ。しかしシャーロック・ホームズのどこがよいかというと、私の場合は、当節の新製品の消費者とはまったく別の理由をあげるのである。私の論点は一つである。シャーロック・ホームズはそれなりに立派な文学であるが、昨今流行のミステリは違う――と言いたいのである。ホームズが文学であるのは、トリックやパズルのためではない。メロドラマが精彩を放っているからでもない。そういうものはほかの探偵小説にもある。そうではなくて、イマジネーションとスタイルのためなのだ。コナン・ドイルが『事件簿』の序文で述べているように、これはおとぎ話なのだ。とびきり面白くてすこぶる上質のおとぎ話なのだ。
 シャーロック・ホームズ譚は、『アリス』やエドワード・リアの『ナンセンスの絵本』と同様に、別に本業がある男が気楽に書いたものである。

ところが、ひとたび生を享けると作者の手を離れて独自の命を持つようになった。コナン・ドイルは歴史小説が自分の本領だと考えていたから、これは真剣になって書いた。しかしホームズとワトソンは傀儡でお笑い草だが、金のためには仕方がないと思っていた。だから書くときにもあまり注意を払わず、その結果矛盾だらけになったが、わざわざ直す気はなかった。ワトソンのクリスチャン・ネームを忘れてしまい、新しいのを付ける。アフガニスタンの戦場で受けた傷の位置を変えてしまう。はじめは文学に無知というのがホームズの性格の特異点だったのに、あとになるとペトラルカやメレディスを論じさせる。一度など話の途中で季節を7月から9月に変えてしまったこともある。(ホームズがいかに生命力に富んでいるかは、このような矛盾に説明をつけようとするファンが出てきたことでも分かる。彼らはホームズとワトソンを実在人物扱いして揣摩憶測を重ね、これを『ガス燈に浮かぶ横顔』という一巻にまとめている。)ドイルはだんだん主人公に我慢がならなくなってきて、ストランド・マガジンの連載の二巡目が終わると殺してしまった。彼を片付けるのにまったく手配などはしてなかったし、やり口はいかにも軽佻であった。しかしシャーロック・ホームズは瓶から出た魔神だった。いったん出てしまえば、もう元に戻せない。いつでもご主人様のご用を果たすことができる。ドイルもやがてホームズを生き返らせ、彼を主人公に据えてさらに5冊の本を書くことになった。後にも先にもはじめて本物の魔法を見つけたのだ。
 この魔法はどこから呼び出したのか? どんな要素が魔法を作ったのか? もちろんポーがいたし、R・L・スティーブンソンの新アラビア夜話があった。『二輪馬車の冒険』や『贅沢な邸宅の冒険』からは、ホームズ譚の標題だけでなく、人を意外な場所に拉し去って奇怪な事件を目撃させるという手法も借りている。しかしドイルはスティーブンソンに比べれば「文学的」でなかったのに、もっと充実した成果を得た。これはスティーブンソンの洗練された東洋風味やきらびやかな幻想とはまったく別の特性のおかげなのである。まず、スティーブンソンは性格造形に弱かったのに対して、ドイルはリアルな人物を二人も作ってみせた。さらに、コナン・ドイル流の幻想は、スティーブンソンに比べて洗練を欠くが、はるかに生き生きしている。彼のイマジネーションの力がよく表れているのは、奇妙なことに終局が不十分で竜頭蛇尾に終わる物語の方なのである。若い女が、田舎の邸宅に仕事がある、髪の毛を短く切り、鋼青色の服を着てくれれば高給を払う、と言われる。彼女は決まった時間に決まった場所に坐らされ、その家の主が次々と面白い話をして笑わせる。ギリシャ語の通訳を仕事にしている男が突然馬車で誘拐され、ロンドン市内の陰気な屋敷に連れ込まれる。家具は豪華なもので白い大理石の高いマントルピースがあり、日本の鎧が飾ってある。眼鏡をかけた男(クスクス笑う癖がある)がギリシャ語の通訳をしろと命ずる相手は、青白く痩せこけた男で、監禁されているらしい。顔中一面に絆創膏だらけである。

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 この『ぶな屋敷』と『ギリシャ語通訳』のいずれも、出だしはきわめて喚起力が強いのに尻すぼみになっている。なぜ顔中に絆創膏を貼っているのか、説明は不十分である。
 ワトソンがこの「不思議な事件には……なお謎が残っている」などと言うものだから、読者は、ひょっとしたらまだ裏の裏があって探偵が解明しそこなったのではないか、と思ってしまう。しかしイメージの力はまことに強い。この強力なイメージは、ヴィクトリア朝ロンドンの退屈な表面との対照、乖離から来ている。
 ここでドイルの活用しているのは、スティーブンソンのなめらかな話芸とはかけ離れたものだ。ドイルは英国の伝統によっている。ロビンソン・クルーソー以来、英語の小説術は平々凡々日常的な語りで興奮と驚異を創り出すことに長けている。異様な要素は何も含まない状況の中にある、「邪悪な」(ドイル愛用の語である)ものの存在を我々に実感させることができるのだ。たとえば『海軍条約事件』はどうだ。ドイルがこの作品を『ギリシャ語通訳』のあとに置いたのはむろん注意深く計算してのことだ。外務省の若い職員が重要な条約を託され、夜遅く残って事務室で筆写している。残業しているのは彼一人で、部屋への出入り口は階段が直接街路に通じているだけである。彼の手元に条約があることは外務大臣しか知らない。やがて彼はベルを鳴らして小使を呼ぶ。コーヒーを持ってこさせようというのだ。ところが現れたのは見知らぬ女である。大柄で下品な顔つきでエプロンをしている。小使の家内です、コーヒーはすぐに持ってこさせますと言うが、しばらくたってもコーヒーは来ない。どうしたのかと下へ見に行く。小使は居眠りしている。

Nava04_1

そのとき頭上でベルが鳴って小使は目を覚ます。
「湯が沸くのを待つ間につい寝込みまして」
小使は彼の顔を見て、それからまだ頭上で鳴っているベルを見上げた。驚きが顔に広がった。
「あなた様はここにいらっしゃる。いったい誰がベルを鳴らしたんで?」
「ベル、ベルがどうした?」
「お部屋のベルです。お仕事なさっておった部屋のベルです」
 この二つの出来事、女の出現と鳴り響くベルの音は、真面目な顔で語られ、我々に激烈なショックを与える。もちろん二階に戻ってみると誰もいない。海軍条約は消えている。
 構成も文体も秀逸である。現代の水増しした小説などとは比べものにならない。もっとも、ストランド・マガジンが短篇小説に要求する長さの制約から、ドイルが終りの方を少々端折っているのではないかという感じがすることもある。ホームズの「推理」にはトリックだけでなくウィットがある。会話にもウィットがある。ワトソンとホームズのやり取りだけでなく、ずいぶん芝居がかった台詞でも、ドイルは効果をちゃんと計算しているから、決して単なる荒唐無稽にはならない。たとえば『第二の汚点』の終結部はどうだ。
「ホームズさん、これには少々裏があるようですな。手紙が状箱に戻ったのはどうしてです?」
 ホームズはにっこりして、鋭く見つめる首相の目をかわした。
「私どもにも外交上の機密はございます」と彼は言うと、帽子をつまみ上げ、ドアに歩み寄った。
 むろん文章は月並みの極みである。しかしその月並みの繰り出し方が一種独特の調子を醸し出している。著者が手際よくさっさと話を進めるから、我々は退屈する危険がない。状況と登場人物の月並みぶりもうまく機能して全体の効果を高めている。前述のような諸要素の配置の妙だけではなく、背景がまた絶妙である。ロンドンでは絨毯を敷き詰めた陰鬱な部屋や黴臭い空き家、田舎の古い(あるいは新しい)屋敷には必ず車寄せに植え込みがある。登場人物は、癇癖の強い猛獣専門のハンターや意気盛んな貴婦人まで、背景と同じ雰囲気を帯び活気に満ちていて、あのパンチとジュディの猛烈な人形たちと同じように、その単純な役割で強い印象を残すのである。しかしホームズ譚全体を覆っているのは、父親が子供のために出任せに話をして聞かせるときのような、無責任なコメディの雰囲気である。アライグマとオポッサムとマックロカラスが木の洞で仲良く暮らしておりました――というのはアルバート・ビゲロー・ペイン(1861-1937)が作った話であるが、あれを思い浮かべればよろしい。夜ごと聞き手を愉しませて寝る前に寛がせるために、話し手は何でもでっち上げることができる。モリアーティ教授、あの科学的大犯罪者が科学的名探偵を追い詰める。これは、お話も少々長くなってきたから切り上げ時だというので、思いついたのである。二人が互いに相手を出し抜こうと知恵を絞る死闘は、有り得可からざることだから面白いのだ。一部のホームズ専門家は後期の二短編集を軽んじているようだが、私はその評価には与しない。たしかにプロットは少々お粗末かも知れないが、ドイルはここでまず自分が大いに楽しんでいて、実に剽軽な味を出している。『瀕死の探偵』など素晴らしいではないか。ホームズは南洋の熱病に罹った振りをして、ワトソンには診察させないと言う。

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「事実は事実だ、ワトソン。結局のところ、君はただの町医者で経験も少ない。腕も大したことはない。こんなことを言うのは僕だって苦痛だが、君が言わせたのだ」「私はひどく傷ついた」とワトソンは言う。ときにはワトソンが捜査を引き受けてヘマをするというのも実にいいアイデアではないか。反対に、ホームズがワトソンに代わって語り手役を務めることもある。ホームズは、ワトソンが舞文曲筆を事とするのが気に入らないから自分がやってみせるというのである。(ところで、私は、クリストファー・モーレー氏がすでに示唆していることではあるが、レックス・スタウトの偉大なる探偵ネロ・ウルフのお手本を発見した。一番面白い登場人物の一人、シャーロックの兄マイクロフトである。彼もまた天才なのだが、太りすぎて鈍重になってしまい、事件に取り組むには、誰かがデータを全部揃えて持ってきてくれないと駄目なのである。)
 
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 そして、これはすべて木の洞の中で起きることなのである。あの「ぬくぬくした危険」の雰囲気――という語句はモーレー氏がはじめて使ったのだと思うが、彼がホームズ論集『シャーロック・ホームズとドクター・ワトソン』の序文で使ったこの語句がまさにぴったりではないか。ホームズとワトソンは、寝ずの番をし、現場に踏み込んで犯人を逮捕し、無事にベーカー街に戻ってくる。居間に落ち着いて、女将に朝食を持ってこさせ、二人でゆっくりと事件を論じ合う。法と秩序は揺るがない。英国の警察は見事に治安を守っている。世界中にこれほど勇敢で忠実な者たちはいない。ただ彼らを指導する知者、科学の精神を持ったロマンティックな人物がいればよいのである。事件には毎回必ずきちんと決着がついて、すべて収まるべきところに収まる。ホームズ自身、かつてはコカイン中毒だったのに、ワトソンの指導よろしきを得てちゃんと治っているではないか。この世界では、依頼人は必ず事件の説明が済んだときに見計らったようにやって来る。ホームズとワトソンは遅れも混乱もなくどこへでも出かけることができる。『ギリシャ語通訳』の中の一挿話がこの定時性の好例である。ギリシャ語通訳は、謎の家へ連れて行かれたあと、またしばらく馬車に乗せられてから解放される。
「私を乗せてきた馬車は見えなくなりました。一体ここはどこだと思ってあたりを見回していると、暗闇の中を誰かがこちらにやって来た。近づいてきたのをよく見ると駅のポーターでした」

Gree06

「ここはどこだろう?」
「ウォンズワース・コモンです」
「市内へ汽車はあるだろうか?」
「一マイルほど歩けばクラパム・ジャンクションでさあ。ヴィクトリア行き最終にちょうど間に合います」
 というわけで、おかしなギリシャ人どもがロンドンで何をしようが[ウィルソンの勘違い。悪者は英国人]、ちゃんと英国人のポーターがいて、彼に聞けば汽車をつかまえることができるのだ。最新流行のミステリでは、このポーターが実はポーターではなかったということになる。彼はどういうわけか絨毯を敷き詰めた部屋にいた男どもとつながりがあって、通訳は最終列車には乗せてもらえない。さらに果てしないトラブルに巻き込まれるのだ。同じように、若い女に鋼青色の服を着せ髪の毛を短く切らせて自分の冗談で笑い転げさせる男は、実はクラフト・エービングかフロイトの症例になるような精神異常である。現代では「邪悪な」という言葉は、ミステリの中でもまず使われない。これは、スパイ、殺人、裏切り、神経症などがあくまで例外的な出来事だということを示しているのだから。

ホームズについては書斎の死体も見てください。 
 

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