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2006年4月12日 (水)

四つの署名?

 theについて(2)――四つの署名? にオスカー・ワイルドのサイトの管理人lazyさんのコメントをいただいた。ありがとうございます。(Oscar Wilde~最初の現代人~は素敵に面白いサイトです。必見)

 延原謙氏が新潮文庫『四つの署名』の訳者あとがきで題名について触れているのは見たか――というご指摘である。
 灯台もと暗し。見てなかった。
 新潮文庫の『四つの署名』の182頁、訳者延原謙による解説には、こう書いてある。

 ここに訳出したのは、ドイルとしてはホームズ物語の第二作にあたるThe  Sign of Fourであって、最初発表されたのは1890年2月号のリピンコット・マガジンであった。そのときはFourのまえにtheがついていたが、後に単行本にするとき、作者がこれを取りさったといわれる。探偵小説にあっては、題名の付け方も作者の苦心するところで、題名を見て内容のわかるようなのはむろん困るし、そうかといってまるで無関係な題もつけられない。そこでまあおや何だろう? と読者の好奇心なり探索欲なりを刺激するような題を選ぶことになるであろう。
 その意味でおそらく冠詞をとりさったのであろうと思うのだが、日本訳の題名を『四つの署名』としたのもけっしてうまくないと考えている。サインにはほかの意味もあるので、「おや何だろう?」の原因にもなるが、署名という日本語にはほかの意味がないからである。それでも昔やったように、『四人の署名』とするよりは、いくらか勝っているだろうか。

Lipp6

 なるほど。
 The Sign of FourをThe Sign of the Fourと比べると、theのない方が多義的な解釈を許すのかも知れない。theなしの方は、the付きの方の意味を含み、そのほかにも何か別の意味があり得るような感じがする。「まあおや何だろう?」ということになるか。
 延原氏がはじめ『四人の署名』と訳していたとは知らなかった。『四つの署名』は、確信犯的に意味を曖昧にしたのか。しかしこちらの方が「いくらか勝っている」だろうか? 
 訳題の付け方はむつかしい。むかしの新潮文庫では、Blue Carbuncleがたしか『青い紅玉』となっていて、おやおやと思ったものである。1989年にご子息の延原展氏が改訂したときに現在の『青いガーネット』に改めたらしい。
『冒険』の中では、『花婿失踪事件』という題はどうにかならないものか? Case of Identityを直訳して『正体の事件』では駄目だろうな。あまりに「まあおや何だろう」の度が過ぎる。しかし、正体という語を使って何とか題が付けられないか。
『花嫁失踪事件』も同じように「題名から内容がわかるようなの」であって、よくない。これはほかの人が訳しているように『独身の貴族』でいいだろう。
『犯人は二人』も同じ理由でちょっと困る。『チャールズ・オーガスタス・ミルバートン』というカタカナの名前を題名にするには、1953年になってもまだ抵抗があったのだろうか。明治時代には、題名どころか本文中の登場人物の名を変えてしまうこともあった。たとえば「ジャック」では男女の別も分からないというので、召使だったら「権助」としてしまう。イボンヌという女が悪者の一味だったら「いぼ子」にするのである。
 そういう黒岩涙香流と「現代語訳」の中間が半世紀以上前の延原謙訳なのだろうか。『白銀号事件』は、今なら延原氏も『シルバーブレイズ』とするだろう。
 延原氏の場合、訳題の付け方だけでなく、訳文自体も幾分古めかしくて、そこが好ましいのである。ホームズはできるだけ原文で読みたいが、日本語で読むとすれば、これくらいの古さがちょうどよい。ホームズの英語自体、かなり古めかしいもので、現代の探偵なら依頼者に対して
Pray be precise as to details.
 なんて、言わないだろう。
 そういう古い英語をそのまま古い日本語に訳せるかというと、それは不可能である。延原氏もこの部分は「どうぞそのときの様子を正確にお話しください」とごく普通に訳している。しかしホームズやワトソンには、少なくともテレビの吹き替えのような日本語だけはしゃべって欲しくないと思うのである。

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コメント

大変勉強になるブログです。ちょっと半可通なことを書かせてください。1.Blue Carbuncleについては、日本シャーロック・ホームズクラブのある会員が「紅玉ではおかしい」ということを論文に書き、それが公に認められた結果、『青いガーネット』に落ち着きました。2.「おや何だろう」の興趣を殺いでいるのは何と言っても『まだらの紐』です。ご存知の通りBandという単語が放浪するロマの「一群」を指していると匂わせておいて実は「紐」に見えた蛇だった、わけですので、「紐」と書いてしまってはネタばれに近い反則を犯していることになるのですね。と言ってもこのストーリーは動物犯人の推理小説として有名すぎるので今更どうこう言うのも変かもしれません。3.。『チャールズ・オーガスタス・ミルバートン』と『花婿失踪事件』については同感です。昨今『ソア橋』のソアはThoreで、北欧神話に出てくるトール(Thore)が橋の守り神であることから、『トール橋』と訳されています。4.『緋色の研究』のStudyも文脈上「習作」と訳すべきと思われることから『緋色の習作』と訳されることも多くなりました。これからも刺激的な指摘を期待しております。

投稿: 土屋朋之 | 2006年4月12日 (水) 21時51分

『花婿失踪事件』について河出版全集の注を再度チェックしてみたところ、a case of mistaken identity(人違い)という言い回しのもじりだとのこと。リーダーズ英和辞典では、That's a case of mistaken identity.、オックスフォード英英辞典では、She's innocent;it's a case of mistaken identity.なる例文が載っていました。ここからmistakenという単語を取り除くとEnglish Native Speakerにはどんなイメージを与えるのでしょうね。

投稿: 土屋朋之 | 2006年4月19日 (水) 21時42分

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