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2006年5月28日 (日)

博士号について

Souseki3

 二月二十一日に学位を辞退してから、二カ月近くの今日に至るまで、当局者と余とは何らの交渉もなく打過ぎた。ところが四月十一日に至って、余は図らずも上田万年、芳賀矢一二博士から好意的の訪問を受けた。二博士が余の意見を当局に伝えたる結果として、同日午後に、余はまた福原専門学務局長の来訪を受けた。局長は余に文部省の意志を告げ、余はまた局長に余の所見を繰返して、相互の見解の相互に異なるを遺憾とする旨を述べ合って別れた。
 翌十二日に至って、福原局長は文部省の意志を公けにするため、余に左の書翰を送った。実は二カ月前に、余が局長に差出した辞退の申し出に対する返事なのである。
「復啓二月二十一日付を以て学位授与の儀御辞退相成たき趣御申出相成候処已に発令済につき今更御辞退の途もこれなく候間御了知相成たく大臣の命により別紙学位記御返付かたがたこの段申進候敬具」
 余もまた余の所見を公けにするため、翌十三日付を以て、下に掲ぐる書面を福原局長に致した。
「拝啓学位辞退の儀は既に発令後の申出にかかる故、小生の希望通り取計らいかぬる旨の御返事を領し、再応の御答を致します。
「小生は学位授与の御通知に接したる故に、辞退の儀を申し出でたのであります。それより以前に辞退する必要もなく、また辞退する能力もないものと御考えにならん事を希望致します。
「学位令の解釈上、学位は辞退し得べしとの判断を下すべき余地あるにもかかわらず、毫も小生の意志を眼中に置く事なく、一図に辞退し得ずと定められたる文部大臣に対し小生は不快の念を抱くものなる事を茲に言明致します。
「文部大臣が文部大臣の意見として、小生を学位あるものと御認めになるのはやむをえぬ事とするも、小生は学位令の解釈上、小生の意思に逆って、御受をする義務を有せざる事を茲に言明致します。
「最後に小生は目下我邦における学問文芸の両界に通ずる趨勢に鑒みて、現今の博士制度の功少くして弊多き事を信ずる一人なる事を茲に言明致します。
「右大臣に御伝えを願います。学位記は再応御手許まで御返付致します。敬具」
 要するに文部大臣は授与を取り消さぬといい、余は辞退を取り消さぬというだけである。世間が余の辞退を認むるか、または文部大臣の授与を認むるかは、世間の常識と、世間が学位令に向って施す解釈に依って極まるのである。ただし余は文部省の如何と、世間の如何とにかかわらず、余自身を余の思い通に認むるの自由を有している。
 余が進んで文部省に取消を求めざる限り、また文部省が余に意志の屈従を強いざる限りは、この問題はこれより以上に纏まるはずがない。従って落ち付かざる所に落ち着いて、歳月をこのままに流れて行くかも知れない。解決の出来ぬように解釈された一種の事件として統一家、徹底家の心を悩ます例となるかも分らない。
 博士制度は学問奨励の具として、政府から見れば有効に違いない。けれどもというような気風を養成したり、またはそう思われるほどにも極端な傾向を帯びて、学者が行動するのは、国家から見ても弊害の多いのは知れている。余は博士制度を破壊しなければならんとまでは考えない。しかし博士でなければ学者でないように、世間を思わせるほど博士に価値を賦与したならば、学問は少数の博士の専有物となって、僅かな学者的貴族が、学権を掌握し尽すに至ると共に、選に洩れたる他は全く一般から閑却されるの結果として、厭うべき弊害の続出せん事を余は切に憂うるものである。余はこの意味において仏蘭西にアカデミーのある事すらも快よく思っておらぬ。
 従って余の博士を辞退したのは徹頭徹尾主義の問題である。この事件の成行を公けにすると共に、余はこの一句だけを最後に付け加えて置く。

夏目漱石「博士問題の成行」
――明治四四、四、一五『東京朝日新聞』――

 このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作ら れました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。(コピーさせてい  ただきました。お礼を申し上げます。ただし、ルビはすべて省きました。)

 漱石の博士号問題のあったのは明治44年、1911年である。もう「末は博士か大臣か」という時代ではなくなっていたけれども、まだ学位の権威は高く、漱石の辞退は大騒ぎになった。

 英国では、そんなに大した研究はしなかったらしいワトソンもドイルもずっと前に博士号をもらっている。
 ホームズの学生生活(2)の訳注で「論文の題目は残っていない」と書いたが、あれは私の間違い。エフティさんのご指摘があった。

 オックスフォード全集『思い出』《入院患者》注釈によると
 ドイルが博士号取得のため提出した論文タイトルは次の通り。
 'An Essay upon the Vasomoter Changes in Tabes Dorsalis'
 「脊髄癆における血管運動神経の変化に関する試論」
 またD・スタシャワーによるドイル伝 "Teller of Tales" penguin  books (2000)によると論文提出後の1885年7月、ドイルはエジンバラまで出かけ、口頭試問(oral exam)を受けて博士号をゲットしたそうです。

 読んでコメントを下さる方がいるのはありがたい。最新のドイル伝まで読んでおられるのですね。どうも畏るべき人がいるものだ。このドイル伝は私も読んでみなくては。

 しかし、博士はそう大したものではなかったらしいというのは、大筋で正しいと思う。
 これに比べるとドイツの学位制度は大変だった。社会学者マックス・ウェーバー(1864-1920)は1889年にベルリン大学で博士号を取得した。夫人マリアンネによる伝記(みすず書房)では

 彼のゴールドシュミットに捧げられた大部の学位請求論文『中世商事会社史序論』は……すでに立派な学問的著作たるの実を挙げ、その成果をウェーバーは彼の最後の社会学上の著述のなかにも組み入れたのである。「そのためには私は数百冊ものイタリアやスペインの法規集を通読しなければならず、それよりもまずそれらの書物を或る程度理解できるくらいに両国語を習得しなければならなかったが、……」(学位審査ではテオドール・モムゼン(1817-1903)がウェーバーと徹底的に討論した。)……(モムゼンは言った)「しかしいよいよ自分が墓場へ向かわなければならないとき、<息子よ、私の槍を持て、私の腕にはもうそれは重すぎる>と誰にもまして私が言いたいのは、私の高く評価するマックス・ウェーバーに向かってであろう」……

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 ドイツの博士号は学者になるための必要条件で、このあと更に教授資格論文を書いて、ウェーバーは1894年、29歳でハイデルベルグ大学教授になる。
 もちろんドイツの大学でも一般学生はそれほど熱心に勉強したわけではない。ビールを飲んで楽しく過ごしていたらしい。
 しかしドイツ式の博士制度は、英国のジェントルマン流の学問と比べて大きな成果をあげた。英語や英文学研究でもドイツの方が進んでいたくらいだった。漱石が個人教授を受けたクレイグ先生は、ドイツのシュミットが1874年に出版したShakespeare Lexiconを越えるものを作ろうとしていたが、遂に完成を見ずに亡くなった。シュミットの辞典は今でもシェイクスピアを読むには欠かせないらしい。

 このドイツ式の博士制度を輸入したのがアメリカである。博士号が学者になるための必要条件であるというのは変わらないが、現代では博士は大量に作られるから、玉石混合で、ノーベル賞クラスの研究もあれば、かなりいい加減なのもあるらしい。会社員や役人で博士号を持っている人も随分いるという。
 
 日本の場合は、文科系ではまだ博士の方が教授より偉い場合が多いらしい。少し前の話になるが、1975年、すでに慶應大学教授になっていた文芸評論家江藤淳が『漱石とアーサー王伝説』で文学博士号を受けたときは、論敵の大岡昇平が「漱石で博士号をもらうなんて」と冷やかした。
 理科系では、所定の課程を終えて論文を書けば(レフリーのいる雑誌に英語で書くのだから簡単ではないが)博士号は得られるので、大分アメリカ式に近づいてきているらしい。

 今では文科でも理科でも少なくとも「学問は少数の博士の専有物となって、僅かな学者的貴族が、学権を掌握し尽すに至る」という大層なものではないようだ。
 それはそれとして、漱石の啖呵は痛快ですね。
「それより以前に辞退する必要もなく、また辞退する能力もないものと御考えにならん事を希望致します。」というのは、英語で言えば
Please note that I had had neither need nor ability to decline the offer before that.というようなことになりますか。ともかく英語式、非日本的発想ですね。

『ホームズの学生生活』の続きですが、肝心のところで疑問点が出てしまった。当方はオックスフォードやケンブリッジに留学したことがないので、よく分からないところがある。もう少し調べます。
 お金をいただいている(「薄謝」なのが遺憾)翻訳なら徹底的に調べます。編集者に調べてもらうという手もある。しかしこの場合は趣味ですから、最終的に分からなければそのまま訳して「分かる方教えてください」ということにするつもり。

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コメント

はじめまして。内田樹先生のHPからお邪魔しましたが、とてもためになる文章を読む機会をいただいたと嬉しく思いました。いただきものは全ていただくということが普通になっていますが、今も全く解決されていない、生きている問いですね。

投稿: bun | 2007年6月18日 (月) 20時59分

ありがとうございます。内田先生の本はいいですね。

投稿: 三十郎 | 2007年6月19日 (火) 13時37分

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