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2006年9月11日 (月)

シャーロック・ホームズ、チベットへ行く(4)

 ホームズはノルウェー人の探検家シゲルソンとしてチベットの首都ラサに入り、ダライ・ラマ13世(1876-1933)と数日を過ごした。
 チベットには17世紀以来イエスズ会の宣教師が訪れて布教を試みていたが、外国人の入国はきわめて困難であった。平凡社世界大百科事典の「チベット探検」の項目によると

 19世紀は清朝のチベット進駐により,チベットに入るのがもっとも難しい時代だった。イギリスのインド政庁は,パンディット(カシミールのヒンドゥー教徒)を訓練し,秘密裡にチベットの測量を行わせた。そのころチベット北部には,あいついでロシアの探検家が潜入したが,その中心人物は N. プルジェワリスキーだった。そのほか19世紀末には,W. W. ロックヒル,デュトルイユ・ド・ラン,グルナール,リトルデール夫妻,シュラーギントウェイト兄弟らが次々にチベットを探検したが,とくに大きな業積をあげたのは S. ヘディンだった。彼は1900年と1906‐08年の2回にわたってチベットを探検し,トランス・ヒマラヤを発見したが,ラサには入れなかった。ところがこの聖都ラサには,日本の河口慧海が1901年3月,単独潜入に成功し,同年末,成田安輝もラサ入りに成功した。 (長澤 和俊)

 以下ウィキペディアなどを参考にして記す。
 河口慧海(1866-1945)は黄檗宗の僧侶であったが、漢訳仏典に疑問を覚え、インドの仏典の原初形態をとどめているというチベット語訳仏典(直訳が多い)を求めて、チベットに潜入した。

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 1900年、ダラウギリ山を越えて鎖国中のチベット北西部に入った。あるときは支那人、あるときはチベット人に化け(日本人だと分かれば殺されるおそれがあった)、チベット全土を踏破し、1901年ラサに入ってダライ・ラマ13世とも何度か会っている。彼はセラ寺で修業していたが素性がばれそうになり、1902年にチベットを脱出した。
 1904年に『西蔵旅行記』を刊行した。現在は『チベット旅行記』の書名で入手可能であるが、あまりに凄い内容なので、出版当時はチベット入国自体が作り話なのではないかと疑われたほどだった。同書を河口師自身が英訳した"Three Years in Tibet"が1909年にロンドンの出版社から刊行された。

 ホームズのチベット入国は河口慧海よりも10年早かったことになり、『シャーロック・ホームズ、チベットへ行く』の意義は大きい。

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受信: 2006年9月17日 (日) 17時37分

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