« シャーロック・ホームズ、チベットへ行く(4) | トップページ | 名前について »

2006年9月11日 (月)

シャーロック・ホームズ、チベットへ行く(5)

 シャーロック・ホームズは、1891年、ラサに入り、チベットの支配者であるダライ・ラマ13世に謁見し、英国首相(保守党のソールズベリー)からの書簡を渡すことができた。ダライ・ラマ13世、本名トゥプテン・ギャツォはこのとき15歳だったが、きわめて聡明であった。(現在残っている13世の写真は、このときより10年ほど後のものと思われる。)

13th_dalai_lama_4

 チベットの「近代化」を援助したいという英国の申し出はことわったが、ダライ・ラマはホームズが気に入り、三日間宮殿にとどめて英国の風物や探偵業の話を聞いた。
 ホームズはダライ・ラマの玉璽の押された通行証を与えられ、ノルウェー人シゲルソンとしてチベット国内を自由に通行できるようになった。
 海抜3000メートルを越える高地でも、ホームズの頭脳の働きはいささかも衰えなかった。彼は密室事件を解決し、雪男の謎を解く。ラサの三大寺院の一つであるセラ寺では、修道士の殺人事件を解決した。『薔薇の名前』のウィリアム・オブ・バスカヴィルを思わせる活躍だった。

 ダライ・ラマを暗殺しようという企てがあった。ホームズはセバスチャン・モラン大佐をはじめ国際的に名の通った遠距離射撃の名手5人をリストアップして、所在を確認させた。
 その中に「ゴルゴ12」と呼ばれる日本人がいたという。しかし結局この人物は登場しなかったので、我々の知っている別のスナイパーとどういう関係にあったのかは不明のままである。(しかし、これが書いてないと苦情を言うのは筋違いだろう。いくらホームズでもまだ生まれていない人物のことまでは分からない。)

Golgo_1_1024

 ホームズは2年間チベットに滞在した。1893年、ホームズが去った後のチベットはどうなったか? 1933年、ダライ・ラマ13世は死去し、1935年に、二歳の少年テンジン・ギャツォが13世の生まれ変わりとしてダライ・ラマ14世に認定された。

Hh_child3

 ダライ・ラマ14世は1959年3月に中国の迫害を逃れてインドに亡命した。インドにチベット亡命政府を樹立し、1989年にはノーベル平和賞を受賞している。詳しくはダライ・ラマ法王日本代表部事務所のサイトで。14世は2006年11月に来日する予定である。

Hhdl_1

|

« シャーロック・ホームズ、チベットへ行く(4) | トップページ | 名前について »

コメント

水野と申します。初めましてよろしく。
拙著「シャーロック・ホームズ、チベットへ行く」を取り上げていただき、たいへん好意的かつ鋭いコメントをいただいて、有り難く
また光栄に存じます。鋭いという意味は、小生がいまなお気になっている点すべてについて触れられていたからです。その一つは、著者ワトスン、訳者小生、出版代理人ドイルを前提にしたあとがきと著作権表示であります。「ジャーロ」誌上その他でやりすぎとの批判を受けました.その二は「紺屋の白袴」であります。これの元になる英語表現はあるのかなと思いながら使ってしまったのですが、しいて言えば「医者の不養生」に相当する英語の格言はいくつかあるようです。その三はゴルゴ12です。一部の真面目な読者からは(R
・L・フィッシュのシュロック・ホームズではないのだから)「もっとマジメにやれ!」と叱責されました。今後ともよろしく。

投稿: 水野雅士 | 2006年9月14日 (木) 01時31分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/21109/3406011

この記事へのトラックバック一覧です: シャーロック・ホームズ、チベットへ行く(5):

» 中国によるチベット人大虐殺 [諸君!正論なき主張]
小泉総理の靖国参拝に対して、中国政府は過去の侵略うんぬんと言ってましたが、中国こそが侵略・大虐殺を行っている国だと思います。 中国には、「われこそは世界の中心であり、その外側の地は野蛮人の地である」という中華思想があるため、周辺諸国を侵略して、領土を広げて... [続きを読む]

受信: 2006年9月14日 (木) 23時52分

« シャーロック・ホームズ、チベットへ行く(4) | トップページ | 名前について »