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2006年9月18日 (月)

柔道か柔術か(5)

Redh08

「午後からセント・ジェームジズ・ホールでサラサーテの演奏がある。どうだろうワトソン、患者の方は、二、三時間待たせておいても大丈夫だろう?」
「今日は体が空いている。仕事はそう忙しくはないのだ」
「じゃ帽子をかぶりたまえ。行こう。まずシティへ寄って行く。途中で昼食をとろう。プログラムにはドイツの曲が多いが、これはイタリアやフランスの音楽より僕の好みに合う。ドイツものは内省的だが、僕はいま大いに内省したいと思っているのだ。さあ行こう」

          1887(明治20)年10月29日(土) 赤毛連盟

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……先達「セント、ジェームス、ホール」で日本の柔術使と西洋の相撲取の勝負があって二百五十円懸賞相撲だというから早速出掛て見た。五十銭の席が売切れて這入れないから一円二十五銭奮発して入場仕ったが、それでも日本の聾桟敷見たような処で向の正面でやって居る人間の顔などはとても分からん。五、六円出さないと顔のはっきり分かる処までは行かれない。頗る高いじゃないか。相撲だから我慢するが美人でも見に来たのなら壱円二十五銭返してもらって出て行く方がいいと思う。ソンナシミタレタ事は休題として肝心の日本対英吉利の相撲はどう方がついたかというと、時間が遅れてやるひまがないというので、とうとうお流れになってしまった。その代わり瑞西のチャンピヨンと英吉利のチャンピヨンの勝負を見た。西洋の相撲なんて頗る間の抜けたものだよ。膝をついても横になっても逆立をしても両肩がピタリと土俵の上へついてしかも、一、二と行事が勘定する間このピタリの体度を保っていなければ負でないっていうんだから大に埒のあかない訳さ。蛙のようにヘタバッテ居る奴を後ろから抱いて倒そうとする。倒されまいとする。坐り相撲の子分見たような真似をして居る。御陰に十二時頃までかかった。ありがたき仕合である。翌日起きて新聞を見ると、夕十二時までかかった勝負がチャンとかいてあるには驚いた。こっちの新聞なんて物はエライ物だね。……

   1901(明治34)年12月18日(水) 夏目金之助より正岡常規へ

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 St. James's Hallは、現在も音楽会やスポーツの興業に使われているようだ。一円二十五銭の中等席でも「向の正面でやって居る人間の顔などはとても分からん」というのだから、かなり大きな会場らしい。しかし武道館ほどではないと思う。サラサーテのバイオリン独奏はビートルズの公演じゃないんだから。

 漱石は「日本の柔術使」と書いていますね。『坊ちゃん』でも『三四郎』でも柔道ではなく柔術だった(柔道か柔術か(1)参照)。柔道という呼び方が定着したのは昭和になって学校体育に採り入れられてからではないだろうか? 

 漱石が見たのはどうも一種のプロレス興業の走りのようですね。この辺はもう少し詳しく明日。

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