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2006年11月10日 (金)

コナン・ドイル伝(1)再録

 コナン・ドイルはアイルランドの血を受け、スコットランドに生まれ、長じてイングランドに住んだ。
 彼は感じやすい質だったから、この三国はいずれもその性格形成に与り、ドイルはアイルランド人の侠気と熱情、スコットランド人の誇りと気骨、イングランド人の一徹とユーモアを兼ね備えることになった。後年になると、侠気は烏滸の沙汰と評され、誇りは自惚れと見られ、一徹は頑迷の印だと非難されることもあったのだが、これについては追々述べて行くことにしよう。
 彼の祖父ジョン・ドイルは1815年にダブリンからロンドンに出てきて、間もなくH・Bの筆名で風刺画家として名をなした。前世代のギルレイやローランドソンの苛烈な風刺画への反動が始まっていた時期でもあり、ジョン・ドイルの感じのよい画風は流行の先駆けをなした。「祖父は紳士であり、紳士のために紳士を描いた」とコナン・ドイルは言う。ジョンの流儀は成功をもたらし、四人の息子はみな父親の才能を受け継いだ。長男のジェームズは『イングランド年代記』を書いて自ら色刷りの挿絵をつけ、後には『英国貴族名鑑』の編集に13年を空費した。次男のヘンリーは古い絵の目利きとして知られ、ダブリンのアイルランド国立美術館の館長となった。三男のリチャードはサッカレーの『ニューカム家の人々』の挿絵を描き、 『パンチ』誌の画家として名声を博し、その表紙をデザインした〔1849年から1956年までリチャード・ドイルの描いた表紙が使われた〕。
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 ここでは叙述の的を四男のチャールズに絞ろう。彼は公務員で、余暇に絵を描いていた。チャールズの絵のモチーフは幻想的だった。興が乗ると妖精を描き、陰鬱な気分のときはもっと「途方もなく恐ろしいもの」が画題になるのだった。
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これは彼の内部に秘められた力と狂気と優しさを表していた。 チャールズは十九歳でエディンバラ市の建設局に職を得て、1855年にメアリー・フォレーと結婚した。彼女もアイルランド人であり、パック家とパーシー家を通じてプランタジネット朝につながる家柄の出であった。二人はエディンバラ市のピカデリー・プレースで小さなフラットに住み、長男のアーサー・コナン・ドイルは1859年5月22日にここで生まれた。
 初めのうち、チャールズとメアリーは240ポンドの年俸だけでまずまず暮して行くことができた。しかしやがて女の子が三人男の子が一人生まれ、生活は苦しくなった。チャールズは頼りにならなかった。ときには絵が売れて50ポンドほどになることもあったが、彼はいわゆる「芸術家気質」の人で、仕事にはほとんど意欲がなく、家庭にもあまり関心を示さなかった。彼は雲の中に住んでいた。息子はのちに「父の欠点もある意味では高い霊性の反映だった」と書いている。絵はたいてい売るよりも進呈してしまい、お返しに好意として幾ばくかの金銭を得ることもあったのだろう。「父は背が高く長いひげを生やし、気品があった。父ほど物腰の上品な人はいなかった。ウィットがあり冗談も好きだったが、同時に繊細で感受性は鋭敏だったから、会話が下品になるとすぐに席を立つ勇気があった。……浮世離れした人で実務能力に欠け、家族はそのために苦しんだ」
 子供たちにとって幸いなことに、妻の方は芸術家気質ではなかった。夫と同じくアイルランド人でカトリックであったが、スコットランドの風土が彼女を非凡な(しかし英国北部では珍しくない)女性に鍛え上げていた。所得税課税最低限以下の収入で家族の衣食をまかなった上に教育まで受けさせたのは、まったく彼女の才覚だった。メアリーはケルト人らしく家系を誇り、長男もこの誇りを受け継いだ。エドワード・ヤング〔十八世紀の詩人〕の言うように「家柄自慢をする者は負債ばかりをこしらえる」ものだが、アーサーは先祖からの負債に利息を付けて完済したのである。
 幼いアーサーの環境は苛烈だったが、彼は頑健だった。七歳になると小学校に通い始め、二年の間、教師の体罰に耐えることになった。この教師はディケンズの登場人物を彷彿とさせたが、それで彼の与える苦痛が和らげられるわけではなかった。しかしこれは少なくともアーサーを鍛えてはくれた。休み時間には同じ年頃の少年たちとよく喧嘩した。何しろ闘争本能は旺盛だった。あるとき馬券屋の助手が重いブーツの入った袋で彼の脳天を殴りつけ、アーサーは気絶した。しかし彼はそれくらいではたじろがなかった。…………

 ヘスキス・ピアソンの『コナン・ドイル伝』のはじめの部分、第1章「ケルト人」の書き出し。再録です。
 このドイル伝の目次は

1 ケルト人
2 苦学生
3 ドクター・バッド
4 ドクター・ドイル
5 待ち時間
6 シャーロック・ホームズ
7 交友と名声
8 勇将ジェラール
9 行動の人
10 タイタニック
11 市井の人
12 晩年

 ペーパーバックで全188ページです。実はこのコナン・ドイル伝の翻訳は某社から刊行の予定があったのですが、おじゃんになって現在のところ宙ぶらりんです。もう少し訳してある部分があるので、順次このサイトに載せます(→平凡社から発売中です)。

 この伝記は1943年に書かれた初の本格的伝記ですが、ジョン・ディクスン・カーのものやジュリアン・シモンズのものよりはるかに上だと私は思います。

 グレアム・グリーンは本書の序文で、「著者ピアソン氏にはジョンソン博士に通じる特質がある」と書いています。これはわが国ならば「芭蕉に通じる云々」と言うくらいのもので、最上級の賛辞でしょう。

 コナン・ドイルの伯父リチャード・ドイルについては「連想美術館」というサイトをぜひ御覧下さい。ここに出ているリチャード・ドイルによる素晴らしいイラストを一つだけお借りします。

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