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2006年11月21日 (火)

ヘスキス・ピアソンのコナン・ドイル伝

Hesketh Pearson: Conan Doyle, His Life and Art
初版 Methuen & Co., Ltd, 1943
ペーパーバック Unwin Paperback, 1987(全188頁、索引5頁、写真8頁)

 アーサー・コナン・ドイルは、1859年に生まれ、1930年(昭和5年、満州事変の前年)に71歳で亡くなった。
 本書は、1943年に書かれた初の本格的伝記である。以後現在までに20冊以上のドイル伝が書かれている。
 1931年、ジョン・ラモンドという人がArthur Conan Doyle, A Memoirという伝記を出している。これは1972年に出た再版がアメリカのアマゾンならば入手できるようだ。著者はドイルが晩年に凝っていた心霊術の仲間らしい。

Panelfamily

 写真は1922年、ニューヨークでのドイル一家である。このときドイル夫人ジーンは48歳、次男デニス、三男エイドリアン、次女リーナ・ジーンがそれぞれ13歳、12歳、10歳であった。(先妻のもうけた長女メアリー・ルイーズは成人し、長男キングズレーは1918年に戦病死した。)
 このときからほぼ20年たって、遺族たちは、ドイルの死後に残された膨大な資料(この一部が2004年にクリスティーズでオークションにかけられた)をヘスキス・ピアソンに提供して伝記を書いてもらうことにした。

 ヘスキス・ピアソン(1887-1964)は、英国の有名な伝記作家である。船舶会社勤務後、1911年に演劇界に入り、俳優兼演出家となった。1920年代から文筆にも手を染めたが、1930年『ドクター・ダーウィン』(チャールズ・ダーウィンの祖父エラスムスの伝記)を刊行し、以後ピアソンの書く伝記はほとんどがベストセラーになった。
 主な伝記に『ギルバートとサリバン』(1935)、『トマス・ペイン』(1937)、『シェイクスピア』(1942)、『バーナード・ショー』(1942)、『コナン・ドイル』(1943)、『オスカー・ワイルド』(1946)、『ディケンズ』(1949)、『ディズレーリ』(1951)、『ホイッスラー』(1952)、『ウォルター・スコット』(1955)、『ジョンソンとボズウェル』(1958)、『チャールズ2世』(1960)、『アンリ4世』(1963)などがある。1965年、つまり死後に自伝Hesketh Pearson by Himselfが刊行された。

 ピアソンは、『スターク・マンローの手紙』と『わが思い出と冒険』を大いに利用したが、残された書類も徹底的に調査し、未刊のシャーロック・ホームズ譚、すなわち正典の61編目を「発見」した(これについては別稿で)。
 ヘスキス・ピアソンは本書の献辞で
「デニス・コナン・ドイル氏とエイドリアン・コナン・ドイル氏に感謝する。私はいわゆる心霊主義者ではなく、サー・アーサーの歴史小説については両氏と意見を異にする。それにもかかわらず、お二人は私が父君の残された書類を自由に閲覧し作品と書簡を引用することを許された」
と書いている。
 バーナード・ショー、ロナルド・ノックス、A・E・W・メイソン、イーデン・フィルポッツ、ラファエル・サバティーニなどがまだ存命であったから、彼らにも取材している。
 1943年に初版が刊行されると、グレアム・グリーンが絶賛した(序文参照)のをはじめ、オブザーバー紙では「この秀逸な伝記に新たなものを付け加えない限り、もはやコナン・ドイルについて本を書く余地はない」と評されるなど好評であった。
 しかし、遺族、特に父親を熱烈に尊敬していたエイドリアンは本書が気に入らなかった。グレアム・グリーンの言うように「実に壮快な伝記」「ドイルは生涯を通じてまことに実直で好感の持てる男であった」というのが多くの読者の反応であった。しかし、エイドリアンとしては、ドイルを頭が単純で精神的に未発達な男として描いたのが許せなかったらしい。
 エイドリアンは1945年にThe True Conan Doyleというパンフレットを刊行して本書に反論した。1955年になって、BBCラジオがホームズ生誕100年祭記念プログラムの一部としてヘスキス・ピアソンに講演を依頼すると、「ピアソンに出演させるなら、今後ホームズのドラマ化は許さない」と言って妨害した。
 遺族は改めてジョン・ディクスン・カーに資料を提供し、カーは2年間かかりきりになって1949年にドイル伝を上梓した。これは早川版で568頁の大冊である。こちらの方は気に入ったらしく、エイドリアンはカーと共著で1954年に The Exploits of Sherlock Holmes (『シャーロック・ホームズの功績』早川書房1958)を出している。(カーによるドイル伝については、また別に述べる。)
 そのほかにも2000年までに20余冊のコナン・ドイル伝が出ている。その中では1964年にフランス人ピエール・ノルドンが書いた
Sir Arthur Conan Doyle: L'Homme et L'Oeuvre
 の評判がいいようだ。私は英訳版を持っているが、何しろ大部なので全部は読んでいない。(しかし、この伝記の標題は妙ですね。「人と作品」というのはごくふつうの言い方ではある。しかし、ホームズはフロベールのジョルジュ・サンド宛て書簡を引用したことがあるはずだ。L'homme c'est rien ― l' oeuvre c'est tout.)

 2004年のクリスティーズの売り立ての結果、資料の大部分は大英図書館に収まったので、これを使って新しい伝記を書く人が出てくるだろう。
 ドイル伝がこれほど繰り返して書かれるのは、コナン・ドイルという人の生涯が波瀾万丈で面白いということもあるが、もう一つはイギリスでは伝記というジャンルの格が高いということもある。
 我々はむかし『野口英世伝』や『エジソン伝』の類を読まされ過ぎたせいだろう。伝記というと子供向けのもののように錯覚しているところがある。BiographyLifeなどの語は「伝記」と訳すべきものだが、「評伝」と訳してしまうことが多いようだ。
 たとえばペンギンブックスにPenguin Livesという叢書がある。仏陀や聖アウグスチヌスやナポレオンから、マーロン・ブランドやエルヴィス・プレスリーまで、伝記が揃っている。この翻訳が岩波から出始めているが、「ペンギン評伝叢書」というシリーズ名なのである。

「評伝」というのは「批評プラス伝記」であって意味が違うはずだが、何となく「伝記」よりも高級そうな響きがあるので使っているらしい。

 イギリスでは、小説より伝記の方がはるかに格が高い。たとえばジョンソン博士は、小説も一冊だけ書いたが、辞書の編纂のほか、伝記を書き伝記に書かれたために尊敬されているのである。
 ヘスキス・ピアソンという人は、日本で言えば司馬遼太郎が『国盗り物語』や『坂の上の雲』の代わりに『織田信長伝』や『秋山真之伝』を書いてベストセラーになったようなものだろう。あるいは日本がイギリスなら(というのも妙な仮定であるが)、一流作家の書いた吉川英治伝が何種類も出ているはずだ。
 

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