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2006年11月22日 (水)

コナン・ドイル伝の邦訳

・ジョン・ディクスン・カー『コナン・ドイル』早川書房1962(原著1949)
・ジュリアン・シモンズ『コナン・ドイル』東京創元社1984(原著1979)
・ロナルド・ピアソール『シャーロック・ホームズの生まれた家』新潮社1983(原著1977)

 ジョン・ディクスン・カーの『コナン・ドイル』の書き出しは

 一八六九年の夏のある午後、エディンバラ市サイエンス・ヒル・プレース三番地の家で、台所のとなりの荒いみがかれた小さな食堂に、ひとりの中年ちかい紳士が、自分のかいた水彩画に向かって腰をおろしていた。彼は過去二十年の歳月を回想していたのである。
 背が高く、絹のような顎髭がチョッキにまでたれて、濃い髪の毛は額を横切って渦まいていたが、そのような異彩をはなつ容貌の人物にしては、態度が隠棲的で、気弱そうだった。身につけている衣服は、見すぼらしいながらも、妻が精いっぱい努力して、世間へ出ても体面がたもてるだけのものにしていた。ただ、ちらと横目で台所のほうを見やった彼の目には、独自の性格と、はるか戸外を見とおす洞察力とがひらめいていた。

「中年ちかい紳士」というのは、ドイルの父チャールズである。小説仕立てにしたわけである。

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 ディクスン・カーが『コナン・ドイル』を書くことになったのは、ドイルの三男エイドリアンと伝記作家ヘスキス・ピアソンが喧嘩したからである。だから彼はピアソンの二番煎じだけは避けなければならなかった。
 わざと『スターク・マンローの手紙』や『わが思い出と冒険』を利用せず、書き方を工夫して新味を出そうとした。しかし、どうもこれはグレアム・グリーンのいわゆる「伝記作家が興奮してしまっては、読者は信じられなくなる」ケースだったようだ。
 エイドリアンに遠慮しすぎたということもある。心霊学について、ディクスン・カーは次のように言う。

「心霊学に関しては、われわれは同調しても、同調しなくても、どちらでもよい。だが均衡の観念だけはもっていたいものである。この人のなかには、なにか、すこしばかり現実生活を超越したある資質、分析を超越したある閃きがあった。われわれはそれを感じとることができる。ほとんどそれに触れることができる。しかしそれは、あまりにも泥くさい凡俗の(この伝記作家のような)人間には、言葉に表現することができないのである。」

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 ヘスキス・ピアソンは、第12章「晩年」の冒頭で
「伝記作家の関心は現世にあって、来世はあずかり知るところではない。したがって私がドイルの心霊学への帰依を扱うのは、あくまで彼の性情がそこに行き着かざるを得なかったからに過ぎない。」
と言う。心霊学が馬鹿馬鹿しいことは読者にはよく分かっているので、糾弾したり嘲笑したりする必要はない。冷静に分析すればよいのであるが、その分析が息子エイドリアンを怒らせたのである。
 ピアソンによれば、ドイルはごく単純な男であって、カトリックの信仰を捨てたあと何か信ずるものが必要なので心霊術に凝るようになったのだという。あるいは、ドイルの恐怖小説を取り上げて、その欠点はグロテスクではあるが少しも怖くないことだという。なぜ怖くないかというと、ドイル自身が想像力に欠けるために実生活で一度も恐怖を感じたことがなかったからだという。しかしピアソンの筆致はあたたかく、読み終わって感じるのはドイルが70年の生涯を立派に生き抜いたことである。これで腹を立てたのは、エイドリアンがよほど熱烈な父親贔屓だったからだろう。

 ジュリアン・シモンズのドイル伝は、1979年の刊行時にすでに13冊のドイル伝が出ていたので、「ドイルの生涯を今日一般に見られているのとは異なる角度からながめ、あわせて、新しい世代のために、その業績を要約してみる」(著者はしがき)ことが目的であり、「シャーロック・ホームズの創造者」(第1章)としてのドイルに焦点を置いている。青年時代などは先行の伝記に任せるという方針らしく、悪友のバッド医師については3頁ほどの記述があるだけである(創元推理文庫で全176頁)。
 ヘスキス・ピアソンの場合は、祖父のジョン・ドイルが1815年にアイルランドからロンドンに出て来たところから語り始める。カトリックの学校でひどい体罰を受けている少年、アルバイトに励む医学生、流行らない医者がのちにホームズ譚の作者になることはまだ分かっていないので、ホームズの先取りをせずドイル本人に寄り添って叙述を進める。シモンズのものが「評伝」であるとすれば、ピアソンのものは英国式の本格的な伝記であると言える。

 ロナルド・ピアソールの『シャーロック・ホームズの生まれた家』(原著1977、新潮選書1982)は、ドイル伝とヴィクトリア朝時代史の研究を兼ねたものである。翻訳では、ドイルの父親の年収240ポンドは288万円というように、一々1980年代の日本円に換算してある。なるほど、子供が10人もいて年収288万円では苦しかっただろう。『ボヘミアの醜聞』の原稿料30ギニーは37万円である。『青いガーネット』から『ぶな屋敷』までは1編50ギニーすなわち63万円、6編で378万円だったという(換算率はどうやって算定したのだろう)。
 ただ、著者が現代の視点からドイルを裁くのに急で、どうも一昔前の左翼文芸批評の「……という限界があった」という口調を連想させるのが難点である。
「芸術の分野で、普通でないものを極端に嫌った中産階級の偏見をかつぐ代表者が、ドイルだといってよかった。」
「ドイルにとっては、悪いことは悪いと初めから決まっていたから、女性が参政権を持つことも悪いことでしかなかった。」等々
 ヘスキス・ピアソンは、ドイルが大英帝国主義のチャンピオンだったことや女性参政権など言語道断と考えていたことは十分承知しているけれども、淡々と事実を述べて評価は読者に任せるという態度を取っている。

 こうして見てくると、日本語で読めるふつうのドイル伝は「まだない」ことが分かる。
  ヘスキス・ピアソンのコナン・ドイル伝の抜粋は、

コナン・ドイル伝(1)再録~(8)。または
 カテゴリーのコナン・ドイル
をご覧下さい。

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コメント

こんにちは。ピアソンの伝記、一挙発表ですね。

17日の日記にあったドイル自伝第五章「有益な黙想を…酒を断つ決心をした」という箇所(新潮文庫p.69)ですが,原文は下記の通りです。

 I find that on the same day of fruitful meditation I swore off alcohol for the rest of the voyage.

 Conan Doyle "Memories & Adventures"Greenhill Books(1988),p.55.

この原書(上記の年発行の新版)、10年位前に英国のホームズ古書店から通販で購入。総額1万円はかからなかったと思います。以上、ご参考まで。

投稿: 熊谷 彰 | 2006年11月22日 (水) 12時35分

ありがとうございます。ドイル自伝、amazon.ukで買えば安いかも知れない。探してみます。

投稿: 三十郎 | 2006年11月22日 (水) 17時46分

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