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2006年12月21日 (木)

柔道か柔術か(11) バーティツについて-4

 バートン=ライトは、こうして独自の格闘術「バーティツ」を開発し、ロンドンの繁華街シャフツベリー・アヴェニューに大きな道場を開いた。
 1902年には、あのザンドウ(サンドウ)の主宰するボディビル雑誌がこの道場を紹介している。
 バートン=ライトは、日本から二人の柔術家を呼び寄せた。タニ・ユキオとウエニシ・サダカズである。さらにスイス人のステッキ格闘家ヴィニーとアルマン・シェルピロというレスラーを雇って指導にあたらせた。
 ところが、そのうちにこのバーティツ道場はさびれはじめた。二人の日本人がそれぞれ自分の柔術道場を開いたのが打撃だったらしい。特にタニ・ユキオは、ミュージックホール・レスラーとしても大活躍した。(ミュージックホール・レスラーというのは、まずプロレスラーの走りである。どういうものかは別稿で。)
 
 このあたりはまだよく調べてないので、年代がはっきりしない。ただ、19世紀末から20世紀初めの英国では「日本人=強い」というイメージができていたようだ。だから「バリツ」という妙な名前ではあるが、日本式レスリングJapanese system of wrestlingが登場したのだ。(「日本の格闘技」なんて妙な訳語はいけません。)

1901年12月18日 夏目漱石、セント・ジェームズ・ホールで「日本の柔術使と西洋の相撲取の勝負があって二百五十円懸賞相撲だというから早速出掛て見た」。

1902年1月30日 日英同盟調印(-1923)

1903年 ストランド・マガジン10月号に『空き家の冒険』発表。

1904年2月8日 日本海軍駆逐艦、旅順港を奇襲攻撃。日露戦争開戦。

1905年5月27,28日 日本海海戦
       10月 ポーツマス条約締結

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