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2006年12月 2日 (土)

ヴィクトリア女王の葬儀

1901(明治34)年1月23日(水)
 昨夜六時半女皇死去すat Osborne. Flags are hoisted at half-mast. All the town is in mourning. I, a foreign subject, also wear a black-necktie to show my respectful sympathy. "The new century has opened rather inauspicuously." said the shopman of whom I bought a pair of black gloves this morning.

2月2日(土)
 Queenの葬儀を見んとて朝九時Mr. Brettと共に出づ。
 Ovalより地下電気にてBankに至り、それよりTwopence Tubeに乗り換う。Marble Archにて降りれば甚だ人ごみあらん故next stationにて下らんと宿の主人いう。その言の如くしてHyde Parkに入る。さすがの大公園も人間にて波を打ちつつあり。園内の樹木皆人の実を結ぶ。漸くして通路に至るに到底見るべからず。宿の主人、余を肩車に乗せてくれたり。漸くにして行列の胸以上を見る。棺は白に赤を以て掩われたり。King, German Emperor等随う。

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 夏目漱石は身長158センチだったから、イギリス人の間に入っては見物できない。親切な下宿の主人が肩車してくれたのである。

 Kingというのは、ヴィクトリア女王崩御と同時に即位したエドワード7世(1841-1910)である。
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  German Emperorはヴィルヘルム2世(1859-1941、在位1888-1918)。この人はフリードリヒ3世とヴィクトリア(英ヴィクトリア女王の王女)の子である。ヴィクトリア女王は孫に当たるこの皇帝のことを常々「ウィリーは悪い子じゃない」と言っていたそうである。

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 1901年には、夏目漱石は34歳。前年9月に横浜を出航し渡英した。1902年12月にロンドンを発ち帰国の途についた。
 
 

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