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2007年1月30日 (火)

ガンジーの非暴力

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 卑怯か暴力かのどちらかを選ぶ以外に道がないならば、わたしは暴力をすすめるだろうと信じている。だからこそ、1908年にわたしが瀕死の暴行をうけたときに、もしわたしの長男がその場に居合わせたとしたら、彼はどうすべきであったか――逃げ出してわたしを見殺しにするべきか、それとも、彼の用いることのできる、また用いようと思う腕力に訴えてわたしを護るべきであったかと訪ねたとき、わたしは息子に、暴力に訴えてもわたしを護るのが彼の義務であると語ったのである。
(『ヤング・インディア』1920年8月11日号)

 弱い者にかぎって、自分が臆病であるために、自分自身の名誉や配下の者の名誉を護ることができなくなったときに、会議派の信条とかわたしの助言を隠れ蓑にしてきたことは、わたしもしばしば指摘してきたところである。非協力運動が最高潮に達したときに、ペディア付近で起こった事件のことを思い出す。村人が何人か略奪に遭った。彼らは、妻も子も所持品も略奪者のなすがままにして逃亡したのである。わたしがこのように責任を顧みなかった彼らの卑劣さを非難すると、彼らは臆面もなく、非暴力を言い訳にした。わたしは公然と彼らの行為を非難して言った――わたしの非暴力主義は、非暴力のことは考えるいとまもなく、ただ女や子供達の名誉を守った者たちのふるった暴力と完全に調和する、と。非暴力は臆病をごまかす隠れ蓑ではなく、勇者の最高の美徳である。非暴力を行うには、剣士よりはるかに大きな勇気が要る。臆病は全く非暴力と相容れない。
(『ヤング・インディア』1926年8月12日号)

『ヤング・インディア』はガンジーが刊行した週刊新聞。訳文はみすず書房『わたしの非暴力』森本達雄訳による。

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