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2007年2月 9日 (金)

シャーロック・ホームズと「あの女」(2)

 西洋人の女嫌いの話でした。
 たとえば『意志と表象としての世界』のアルトゥル・ショーペンハウアー(1788-1860)は、大変な女嫌いだった。

Schopenhauer_1

 この人の場合、なぜ女が嫌いだったか、原因ははっきりしている。母親のせいだ。母親の友人であったゲーテが少年ショーペンハウアーの才能をほめ「天才だ」と言った。ところが母親は「一家に二人も天才がいるはずがない」と言って、息子を階段から突き落とした。これでは女嫌いにならない方がおかしい。もちろん結婚はしなかった。

 ショーペンハウアーの先生のイマヌエル・カント(1724-1804)も、女には縁がない人だった。ケーニヒスベルグ大学に学び、その大学の教授になり、研究と講義と規則正しい散歩で一生を終えた。女が入り込む余地はなかった。

 デカンショで言えばあとはデカルト(1596-1650)である。

Descartes_2

この人も、celibateだったかどうかはともかく、ずっと独身であった。カントのように一つ町にこもっていたのではなく、学校を終えた後は「世間という大きな書物」を読もうというので軍人になり、ヨーロッパ各地を遍歴した。その間に女遊びなどもしたかも知れない。しかし有名なウルムの炉部屋にこもったときは、一人きりだった。ガールフレンドが一緒にいたりしては「我思う、ゆえに我あり」どころでなくなってしまう。デカルトのように徹底的に考えることを自分の任務とする人間にとって、女などは気が散るだけの邪魔者である。繊細な機械に砂が入ったり高倍率の顕微鏡にひび割れができては困るように、強い感情などは禁物である。
 
 というわけで、西洋には、デカンショの三人、デカルト、カント、ショーペンハウアーの生涯を見ても分かるように、「女嫌い」という人間類型がある。(どうも偉い哲学者はほとんど独身のようだ。ソクラテスの奥さんが悪妻だったせいだろう。)

 ホームズもそういう「女嫌い」の一人であった。そのホームズがアイリーン・アドラーのことを、あるいはwomen一般のことを語るのには、どういう日本語がふさわしいか? (続く)

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