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2007年2月25日 (日)

シャーロック・ホームズと「あの女」(5) 延原謙氏の訳文(2)

 延原謙というのはどういう人であったか。幸いウィキペディアに記載がある。

延原 謙 (のぶはら けん、本名: 延原 謙(ゆずる)、1892年9月1日 - 1977年6月21日) は、翻訳家。岡山県出身。早稲田大学理工学部卒。別名は小日向逸蝶。妻は作家の勝伸枝。岸田國士の義弟。1928年「新青年」、1932年「探偵小説」の編集長。後、中国に渡って事業を起こすも、終戦によって財産を失う。帰国後は「雄鶏通信」編集長。コナン・ドイルの『シャーロック・ホームズ全訳』など、多くの翻訳作品がある。

 同じ1892年(明治25年)生まれの文学者には、芥川龍之介(-1927)、佐藤春夫(-1964)、吉川英治(-1962)がいる。生年が近い人は、三上於菟吉(1891-1944)、直木三十五(1891-1934)、獅子文六(1893-1969)、江戸川乱歩(1894-1965)などである。
 明治45年=大正元年=1912年、大正15年=昭和元年=1926年である。芥川の『鼻』が漱石の絶賛を受けたのが大正5年(1916年)である。
 延原訳のホームズは大正時代の日本語だと言えるだろう(延原氏の本格的な活躍は昭和に入ってかららしいが)。「推理観察をやらせては」などという言葉遣いは「大正時代の口語」だったのだと思う。今なら誰でも「勉強をする」というが、当時は「勉強をやる」という言い方が優勢だったのではないか。
 同時代の翻訳日本語がどういうものであったかは、以前に見た三上於菟吉訳『自転車嬢の危難』からもその一班をうかがうことができる。これは1929年に平凡社の世界探偵小説全集に収録された。
 三上於菟吉訳をもう一つ、今度は『株式仲買店員』(訳文は1930年刊)の初めの方を見てみましょう。貴重な日本語資料を提供してくださる青空文庫に感謝します。

 結婚してからほどなく、私はパッディングトン区にお得意づきの医院を買った。私はその医院を老ハルクハー氏から買ったのであるが、老ハルクハー氏は一時はかなり手広く患者をとっていたのであった。しかし寄る年波とセント・ビタス・ダンスをする習慣があったためすっかりからだを悪くしたので、だんだんお客をなくして淋れてしまった。世間の人と云うものは、病人を治療する人間は、その人自身が健康でなくてはならない。そしてもしその人が病気になっても自分の医薬ではなおることが出来ないのを見ると、その人の治療上の力を疑いはじめる、と云うそうした傾向を持っているものであるが、これはむしろ当然な話である。つまりそれと同じような理由で、ハルクハー氏は次第に医院をさびれさせていって、私がその医院を買うまでに一年に千二百人からあった患者が三百人ほどもないくらいにまで減ってしまった。けれども私は、私の若さと体力とに自信があったので、二三年の間には昔と同様に繁盛するだろうと確信していた。

 いかかですか? なかなか乙な酢豆腐でげしょう? 
 延原訳は次の通り。

 結婚後まもなく、私はパディントン区に医者の株を買った。私にそこを譲ったファークァー老は、ひところは内科一般で盛大にやっていたのだが、何分よる年波でもあり、持病の舞踏病が思わしくないので、患者がめっきり減ってきた。
 いったい世間というものは、医者は他人の病をなおすくらいだから、自分はいつでも無病息災であるべきだと、まア自然そんな風に思いこみがちのもので、それが病気になって、自分の手当でなおしきれないとなると、何だ医者のくせにと、その人の一般的な手腕まで白眼視しだすものだ。ファークァー老もそんなことから自然に患者をなくして、ひところは年に千二百ポンドもあった収入が、私の買ったころには三百ポンドあまりに落ちてしまった。だが私は、自分の若さと元気いっぱいの精力をもってすれば、二、三年を出でずして昔日の反映を取り戻してみせる自信が十分あったのだ。

 三上訳「セント・ビタス・ダンスをする習慣があったため」というのが珍妙ですね。1930年ころの日本人ならば、「どういうことだろう? しかし西洋人ならわけの分からない変な習慣がある人もいるのだろう」と思ったかも知れない。
 三上訳は1200と300という数字を患者の人数だと解釈している。これはもちろん延原訳が正しい。コナン・ドイル伝を見ると、ドイルの友人バッド医師はインチキ療法で大繁盛していて「年に5000ポンドからの収入」があった。ドイルはバッドと喧嘩別れしてからポーツマスで開業したが、医業の収入が300ポンドを超えることはなかった。
 三上訳は、誤訳もさることながら、日本語のセンスがちょっと変ですね。古いのは構わないけれど、安定を欠いているのは困る。次の箇所を改めて比較してみましょう。

 世間の人と云うものは、病人を治療する人間は、その人自身が健康でなくてはならない。そしてもしその人が病気になっても自分の医薬ではなおることが出来ないのを見ると、その人の治療上の力を疑いはじめる、と云うそうした傾向を持っているものであるが、これはむしろ当然な話である。

 いったい世間というものは、医者は他人の病をなおすくらいだから、自分はいつでも無病息災であるべきだと、まア自然そんな風に思いこみがちのもので、それが病気になって、自分の手当でなおしきれないとなると、何だ医者のくせにと、その人の一般的な手腕まで白眼視しだすものだ。

 延原訳がこなれていることがよく分かる。
 しかし、その延原謙氏でも、牧師か神父かモリアーティ元教授の職業についてはとんでもない間違いをしているのだ。まことに翻訳恐るべし。

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