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2007年2月21日 (水)

シャーロック・ホームズと「あの女」(4)--延原謙氏の訳文

 シャーロック・ホームズは彼女のことをいつでも「あの女(ひと)」とだけいう。ほかの名で呼ぶのを、ついぞ聞いたことがない。彼の視野のなかでは、彼女が女性の全体を覆い隠しているから、女といえば、すぐに彼女を思い出すことにもなるのだ。とはいっても「あの女」すなわちアイリーン・アドラーにたいして彼が恋愛めいた感情をいだいているというのではない。あらゆる情緒、ことに愛情のごときは、冷静で的確、驚くばかり均整のとれた彼の心性と、およそ相容れぬものなのだ。思うに彼は、推理観察をやらせては、世にたぐいなき完全な機械だけれど、こと恋愛となると、まるきり手も足も出ない不器用な男だった。やさしい感情上の問題なぞ、口にしたこともない。たまにいうかと思えば、必ずひやかしか罵倒まじりだった。やさしい感情、それははたから見てもまことに結構なもので、とりわけ人の意志や行為を覆う帷(とばり)を払いのけてくれる効果は大きい。けれども、訓練のゆき届いた推理家にとって、細心に整頓されたデリケートな心境のなかに、そうした闖入者を許すのは、まぎれをおこさせるものであり、その精神的成果のうえに、一抹の疑念を投ずることにもなるのである。鋭敏な機械のなかにはいった砂一粒、彼のもつ強力な拡大鏡に生じた一個の亀裂といえども、彼のもつような天性のなかに、激烈な感情の忍びいった場合ほどには、面倒な妨害となることはあるまい。そのホームズにしてなお、忘れがたき女性が一人だけあったのだ。その女性こそは、かのいかがわしき記憶にのこる故アイリーン・アドラーその人である。

 こうやって新潮文庫の1頁を写してみると、延原謙氏の翻訳がよくできていることに感心する。むろん「あの女(ひと)」はよくない。「あの女(おんな)」でなければならない。しかし「好みの問題でしょう」と言われると反論がむつかしい。まず、そこは置いておいて、ほかの部分を見ましょう。
 前にも述べたことがあるが、日本語が「古い」のがよい。たとえば

 思うに彼は、推理観察をやらせては、世にたぐいなき完全な機械だけれど、こと恋愛となると、まるきり手も足も出ない不器用な男だった。やさしい感情上の問題なぞ、口にしたこともない。

 私にはとうてい書けない日本語だ。「思うに」とか「世にたぐいなき」のような文語調は使えると思う。「推理観察をやらせては」が書けないのだ。「世にたぐいなき」と気張ったから「機械であるが」と重々しく続けたいところを「機械だけれど」と来る。大正時代の言葉遣いだ。こと恋愛となると「まるきり手も足も出ない不器用な男だった」もいいですね。同じ箇所を光文社文庫日暮雅通氏の「現代語訳」で見てみよう。

 思うに、彼はかつてこの世に存在したなかでも最も完璧な観察と推理の機械だが、こと恋愛になると、まるで場違いな存在になってしまう。人の情愛についても、あざけりや皮肉のことばを交えずに話すことなどはけっしてない。

 これで延原訳よりよくなったか? 私はそうは思わない。
 原文を見てみよう。

TO SHERLOCK HOLMES she is always the woman. I have seldom heard him mention her under any other name. In his eyes she eclipses and predominates the whole of her sex. It was not that he felt any emotion akin to love for Irene Adler. All emotions, and that one particularly, were abhorrent to his cold, precise but admirably balanced mind. He was, I take it, the most perfect reasoning and observing machine that the world has seen, but as a lover he would have placed himself in a false position. He never spoke of the softer passions, save with a gibe and a sneer. They were admirable things for the observer--excellent for drawing the veil from men’s motives and actions. But for the trained reasoner to admit such intrusions into his own delicate and finely adjusted temperament was to introduce a distracting factor which might throw a doubt upon all his mental results. Grit in a sensitive instrument, or a crack in one of his own high-power lenses, would not be more disturbing than a strong emotion in a nature such as his. And yet there was but one woman to him, and that woman was the late Irene Adler, of dubious and questionable memory.

「場違いな存在になってしまう」はhe would have placed himself in a false position.の訳として忠実であるかのごとくであるが、そうではない。延原訳の方が原文の意味に近い。(この点についてはあとで)

「人の情愛」は、明らかな間違いである。ホームズは決して情愛に乏しい男ではない。女嫌いだからといって、ハドソン夫人や女の依頼人に邪険にしたりはしない。弱いものにはやさしいのだ。passionという単語の読み違えですね。

 OEDによれば、passionは
Amorous feeling; strong sexual affection; love
  ということである。また複数のpassionsの形でamorous feelings or desires という意味であり、しばしばtender passionという、とある。
 本文ではsofter passionsと書いてあるがこれもだいたい同じことだ。softerというのは「女に関係のある」くらいの意味だ。softer sexと言えば「女」のこと。
 部分的に和訳を付ければ「愛欲」「色情」「欲情」「恋慕」くらいになるはずだ。延原さんのように「やさしい感情」と訳しておくのは無難であるが、「人の情愛」なんて間違いです。
 だいたい、このパラグラフ前半で何を言いたいのかというと、「ホームズは恋愛に無縁の朴念仁だ」ということだ。
 同じことを日本人が日本語で書くならば、「恋愛」なり「恋」なり「色事」なり、どれか一語に決めておいて、終始その一語を使って書く。「ホームズはアイリーン・アドラーに恋愛感情など持たなかった。…… 恋愛などは嘲笑していた」というように同じ単語を繰り返すことを厭わない。
 ところが英語のレトリックというのは厄介なもので、これでは野暮だというのですね。
 だから、はじめにlove (for Irene Adler)と言ったのを、後の方ではsofter passionsと言い換えているのだ。
 ヘーゲルのことを書くとして、いつでもHegelとばかり書いていないでときにはthe great German philosopherと言い換える。松井選手のことなら、Matsuiのほかに、the Japanese outfielderとかthe slugger nicknamed Godzillaとか書いたりする。英語ではよく使う手である。これくらいは分かって翻訳して欲しいものだ。
 
 話が逸れた。延原訳の言葉遣いが大正時代風であるということでした。(続く)

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