« シャーロック・ホームズと「あの女」(1) | トップページ | シャーロック・ホームズと「あの女」(2) »

2007年2月 8日 (木)

機械だー

 柳沢大臣の発言問題もどうやら峠を越したようですね。そういつまでもケシカラン、ケシカランと合唱しているわけにも行かないでしょう。
 柳沢さんの仰ったことは真理ですよ。
 柳沢さんのお母さんも奥さんも女であり、従って産む機械である。柳沢さんに限らない。誰でも同じである。女は産む機械であり、男は産むのに貢献する機械である。人間は男も女も機械である――というのは昔からある考え方だ。 
 たとえばデカルト(1596-1650)は、人間は精神と肉体から成っていて、肉体の方は機械だと見てよろしい、と考えていたらしい。「我思う、ゆえに我あり」というのは精神の方の話ですね。
 デカルト自身の機械、すなわち肉体は、あまり丈夫でなかった。1650年1月、デカルトはスウェーデンのクリスティーナ女王の宮廷に滞在していた。ところが、この女王が勉強好きで、朝寝が好きなデカルトに朝5時から哲学の講義をさせたから、たまらない。Renc3a9_descartes_i_samtal_med_sveriges__1

デカルトは風邪を引いて肺炎になり、2月に亡くなってしまった。勉強好きも普通の人ならよいけれど、女王様の場合は傍迷惑どころか、人類にとっての損失を招くことがある。

 ひょっとして精神も機械ではないかというのがド・ラ・メトリ(1709-1751)の『人間機械論』らしいですね。

 講談社の『現代哲学事典』によれば
 
 ハーヴィの血液循環論は人間の神秘性に対する一つの攻撃となり、それを直ちに受け継いだデカルト以来、人間の機構を、機械のアナロジーで説明する試みが盛んになった。そして機械の精巧化とともに、それはアナロジーというよりも、ことの本質を衝いた考えであるとする立場が一方において確立された。ラ・メトリの「人間機械論」はその代表的なものであったが、心身問題ともからんで、精神現象をメカニックに説明する可不可がしばしば論じられた。
 
 もちろん、石ノ森章太郎先生の『キカイダー』なども淵源はここにあるわけで、そう大騒ぎすることか?

|

« シャーロック・ホームズと「あの女」(1) | トップページ | シャーロック・ホームズと「あの女」(2) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/21109/5263157

この記事へのトラックバック一覧です: 機械だー:

« シャーロック・ホームズと「あの女」(1) | トップページ | シャーロック・ホームズと「あの女」(2) »