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2007年3月19日 (月)

ガンジーの実像?

 晩年になって、彼の禁欲の誓いの守り方に、非難が寄せられた。周知の通り、彼は、絶えず献身的な若い女性に取り巻かれていた。彼は、彼女らを自分のベッドで寝させるのが習慣となり、彼を暖めるために、服を脱いで彼の裸体に身体をぴったり寄せて寝るよう要求した。ニルマル・クマル・ボーズという弟子が、この変わった習慣を暴露した。問いつめられたガンジーは、最初は、裸の女性を横にして眠るということを公然と否定し、その後、それはブラフマーチャリヤの実験であると言った。ボーズは、何ら精神性のない実験のために女性の身体を利用するのは、女性の軽蔑であると反論した。
 ガンジーは、若い女性に自分の身体を洗ってもらい、マッサージをしてもらった。正統ヒンドゥー教徒も、厳しい禁欲を課されていた弟子達も、これにショックを受け、ガンジーのブラフマーチャリヤの解釈を嘲笑した。ガンジーの姪アバ・ガンジーは、ボーズの暴露を確認し、結婚してからもガンジーと寝ることを習慣にしていることを認めた(1) 。もう一人の姪マヌも、1962年から1967年にかけて厚生大臣をつとめた女医スシラ・ナヤルも、ガンジーを暖めた女性であった。スシラ・ナヤルは、最初はブラフマーチャリヤはいっさい問題にされなかったと断言した。ガンジーがそれを言い出したのは、人がこの習慣を聞きつけ、許しがたいと思うようになってからである。彼の傍らに生活していた若い女性は、彼とかなり曖昧な関係を持っていたようである。マドレーヌ・スレイド、別名ミラベンは、敬愛のしるしに長い髪を切り、別離のたびに心を痛めた。もう一人の女性は、ある日、裸になり、ガンジーの腕に抱かれた(3)。ドゥルヴェの伝記も、ガンジーの周囲には一種の女性のとりまきが会ったことを認めている(4)。

(1)V・メヘター『マハートマー・ガンジーとその弟子たち』200-201頁
(2)同前、203頁
(3)同前、221-222頁および213頁
(4)C・ドゥルヴェ『ガンジーとインドの女性』パリ、1959年、128頁

(以上は白水社文庫クセジュ『ガンジーの実像』p.p.154-155  本文に注(2)はない。)

 どうもこれは困ったものだ。こういうことではない。
 この本は、岩波新書1冊分ほどのボリュームでガンジーの生涯と思想を要領よくまとめようとしたものである。もちろん、ガンジーを「要領よくまとめる」ことはできない

「スキャンダラスな言動をもあきらかにしつつ、ガンジーを世界史上における重要な政治家として読み解いた画期的な評伝」というのが、カバーに書いてある宣伝文句である。
 しかし「スキャンダラスな言動をもあきらかにし」というのは、上の部分だけであって、これが

Mahatma Gandhi and His Apostles 
ガンディーと使徒たち――偉大なる魂(マハトマ)の神話と真実

 のmisquotation(引用間違い)なのだから困る。
 やはり、ここは我田引水になるけれども、ガンディーと使徒たちを見ていただきたい。

[ガンディーと使徒たち p.p.248-250]
 ノーアカーリーにおけるガンディーの個人的危機を描いて最も信頼できるのは、ニルマール・クマール・ボースの『ガンディーとの日々』である。ボースはガンディーのベンガル語通訳としてシュリランプルに同行し生活をともにした。ボースは昔からの弟子ではなく左翼のインテリである点で、随行者の中でユニークだった。彼はカルカッタ大学の教職にあったが、ガンディーの通訳としてノーアカーリーに行くために休暇を取って来ていた。結果的に彼はどの随行者よりも客観的な見方ができた。ノーアカーリーではガンディーは真夜中に震えながら目を覚ました、とボースは言う。震えが収まるまでしばらく体を押さえていてくれ、とガンディーは隣に寝る者――ふつうは女性だった――に頼んだ。「自分のベッドに寝てくれと彼は女性に言った。夜具を共にしようと言うこともあった」とボースは書いている。「そして自分がほんのわずかでも性欲を感じないか、相手の方はどうかを確かめようとした」ガンディーはこのような女性との接触は「ブラフマチャリヤの実験」なのだと言った。「神の宦官」となるために必要だというのである。しかしボースの意見によれば、これは一種の無意識の搾取であった。実験に使われる女性はある意味で劣等者として扱われるからである。まわりの女性たちは誰もがガンディーと自分は特別な関係だと思いこみ、自分が彼の心に占める位置に敏感で彼の愛を失うことを恐れていたから、少しでも冷たくされるとたちまち「ヒステリーになった」。ボースは言う。「このプラヨーグ〔実験〕はガンディー自身にとっての価値は別として、少なくとも相手の心には傷を残した。彼女たちはガンディーの実験に加わる精神的な必要はなかったからだ」ブラフマチャリヤの実験は道徳的に有害ではないかとボースは直言した。これに対してガンディーは、自分を抱いたり隣に寝たりしても悪い影響は受けていないと女性たちが言っていると答えた。ブラフマチャリヤの実験は性の放棄の究極のテストである。のみならずノーアカーリーの暴力に対するヤグニャ〔贖罪〕なのだとガンディーは言った。さらにガンディーは、ボースが彼の女性との関係に「いわれのない疑い」を抱いているのだと非難した。ボースはこの問題に悩み続け、突然ガンディーのもとを去ってカルカッタに帰った。議論は手紙で続けられた。ボースはガンディーの手紙を本に載せている。

 私にとっては女性に触れぬことがブラフマチャリヤなのではない。今していることは私には新しいことではない。……実験の前提に女性の劣等性があるとお考えになるとは驚かざるを得ない。もし私が色情を持ちあるいは相手の同意なく女性を見れば、そのとき女性は劣等者であろう。私の妻は私の欲望の対象だったとき、劣等者であった。私の隣に裸で妹として寝るようになってからは、彼女はもはや劣等者ではなかった。かつてのように妻ではなく他の妹であっても同じことではないか。隣に裸で寝る女性に対して私がみだらなことを考えるなどと思わないでいただきたい。AあるいはB(ボースによる匿名)のヒステリーは私の実験とは関わりがないと思う。彼女たちはこの実験の前から多かれ少なかれヒステリーだったのだ。

 ボースは納得しなかった。彼はフロイトの説をあげて「私たちはしばしば無意識の動機によって全く意識せぬ別の方向に動かされるのです」と返事を書いた。これに対してガンディーは、自分はフロイトという人の著作については少しも知らない、彼の名前は前に一度どこかの教授の口から聞いたことがある、と答えた。ガンディーはフロイトのことをもっと知りたいと言ってきたが、ボースはこの問題をこれ以上追求しなかったようだ。
 ボースは私が会ったとき七十二歳でガンの手術後の回復期だったが、ぜひ私に会ってガンディーのことを語りたいということだった。
…………

  ヴェド・メータがニルマル・クマール・ボースに会ったのは1970年代のことだった。
 メータはこの「ブラフマチャリアの実験」の相手になった女性たちにも会って話を聞いている。

「ガンジーの実像」はMahatma Gandhi and His Apostlesの訳題として我々も候補に挙げたのである(我々というのは新評論の敏腕女性編集者Yさんと訳者のことである)。しかし、この本はガンジーの「スキャンダラスな言動を明らかにする」ものではないのだから、やはり不適当だろうと思った。偉大なる魂(マハトマ)の神話と真実という副題はYさんが考えたのだった。

 このほかに「ブラフマチャリアの実験」に触れている本には、エリク・エリクソンの『ガンディーの真理――戦闘的非暴力の起源』がある。第2巻の257頁から261頁にかけて、エリクソンはボースの手記を引用してこの問題を論じている。

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