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2007年4月 3日 (火)

シャーロック・ホームズ小伝(2)

                                             S・C・ロバーツ

 しかしホームズの幼少時の教育についてはほとんど知られていない。パブリックスクールに行ったのならば、ワトソンの記録にその話が少しは出て来るはずだ。それにホームズは、ふつうの英国男子を愉しませる勇壮なスポーツには、ほとんど関心も知識もない。彼が有名なラグビー選手を知らないというので、単純なシリル・オーヴァートン(「体重16ストーンの骨と筋肉のかたまり」)は仰天している。イングランドに住んでいて、「まさかあのゴドフリー・ストーントンを知らないなんて。あの名スリークォーターを。ケンブリッジ、ブラックヒース、それにイングランド代表*5回ですよ!」しかしホームズは、アマチュア・スポーツこそ「英国で一番上等で健全なものだ」と認めているし、自身フェンシングは相当の腕前で、拳銃は名手である。「ボクシングという英国古来の良きスポーツ」の心得はちょっとしたものだと自負している。

 ホームズが大学に行ったことは、むろん明らかだ。ただ自分は学生時代人付き合いの良い方ではなかったと、ワトソンに言っている。たいてい一人で部屋にこもって独自の思考方法の開発*にかかり切っていて、カレッジで作った友人はヴィクター・トレヴァーだけだった。この友情の成り立ちも奇妙なものだった。ある朝チャペルへ行くホームズの足首にトレヴァーのブルテリアが噛みついたのだ。この事件から色々と推論ができて、なかには随分突飛なことを言う人もいる。ブルテリアはカレッジの構内には入れることはできないので、噛まれたのは街路だったはず、だからホームズは1年生のときカレッジ外に住んでいたのだという議論がある(特にドロシー・セイヤーズ女史)。外に下宿するのはケンブリッジの習慣であり、だからホームズはケンブリッジ出身だ、というのである。しかしこの議論は必ずしも説得的ではない。ホームズは日曜日の朝の礼拝に行くところで、チャペルに向かう前にちょっと街に出て新聞を買ったりしたかも知れない。あるいは、トレヴァーの犬はカレッジのポーチにつないであった*かも知れないので、これはオックスフォードの習慣である。それに『スリークォーターの失踪』全編を通じて、ホームズの口調はとうていケンブリッジ出身者とは思えない。「ケンブリッジへ行かねばならないWe must run down to Cambridge together.」*などとケンブリッジ出の者が言うだろうか? 「この無愛想な町で友だちもなく行き暮れるはめになった」とも言っている。また『海軍条約事件』でのパーシー・(オタマジャクシ)・フェルプスとホームズの関係も想起すべきであろう。フェルプスはケンブリッジで古典学をやった*男である。ホームズはその彼と緊密な関係になって随分長く話し込んだのに、ケンブリッジのことには一言も触れていない。もしホームズがケンブリッジ出ならば、二人が共通の母校のことをまったく話さないはずがない。

*イングランド代表5回 Cambridge, Blackheath and five Internationals  「国際試合5回」と訳すことが多いようですが、「国際試合」とは何か? スリークォーターの失踪は1896年(明治29年)ころの事件なので、もちろん日本対英国のラグビー試合なんてない。イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランドの間の試合をinternational matchと呼んだのです。ゴドフリー・ストーントンはケンブリッジのスリークォーターで、ときどきはブラックヒース(ロンドンの郊外)のチームに加わり、イングランド代表に5度選ばれた。代表選手は特別な帽子を与えられるので、He has got five caps.という言い方もある。これより20年近く前には、コナン・ドイルもエディンバラ大学で友人のバッドとともにラグビー・チームに参加していた。バッドは俊足のフォワードだったが、興奮すると狂暴になるのでスコットランド代表選手には選ばれなかった。

*独自の思考方法の開発   working out my own little method of thought  このフレーズは「自分なりのやり方によって問題を解決する」とか「自分なりの推理のしかたで問題を解決する」などと訳してありますが、間違い。work outという動詞の目的語は問題problemsではなくて思考方法method of thoughtです。このとき考えていた「方法」の一端を書いたのがThe Book of Lifeというなかなか野心的な題名の論文であった。「一滴の水から、論理家は推理によって大西洋やナイアガラの滝を知ることができる云々」ワトソンはこれを読んで「何たるたわごとだ!」と叫んだ(緋色の研究)。この方法のことをホームズがdeduction演繹と呼んでいるのはおかしい、というのがロナルド・ノックスをはじめとする識者の意見です。むしろinduction帰納ではないか。あるいはチャールズ・パースのいわゆるabductionではないか。

*ポーチにつないであった Trevor's dog may well have been tied up in the college porch. 実はこの箇所がよく分からない。カレッジのポーチ(玄関、車寄せと辞書に書いてある)ならばカレッジの構内(within college precincts)でしょう。どういうことか? オックスフォードに留学して犬を飼った人はご教示下さい。

*We must run down to Cambridge together.   ここでdownを使うのが変で、ケンブリッジ出身者ならupと言うはずだ、というのです。日本語で「上京する」と言うのと同じである。京都出身者が東京へ行くのを「東下りする」と言う(ちょっと古い?)ように、オックスフォード出身者ならケンブリッジへ行くのをdown to Cambridgeと言うかも知れない、ということ。「僕がケンブリッジ在学中に……」ならば、When I was up at Cambridgeと言う。

*古典学をやった Percy Phelps had been a scholar of his college at Cambridge.
「ケンブリッジで古典学をやった」を英訳すればHe read classics at Cambridge.ですが、それよりもこう書く方がよいらしい。scholarという単語の用法に注目。正典になんと書いてあるかというと

He was a very brilliant boy and carried away every prize which the school had to offer, finishing his exploits by winning a scholarship which sent him on to continue his triumphant career at Cambridge.

GreekやLatinやclassicsなどという単語がなくても、古典学をやったことは自ずと明らかである、というのですね。ワトソンとフェルプスの母校のパブリックスクールが出していたprizeは、たとえばラテン語で詩を作るというような課題であった。外務省に入るつもりならばケンブリッジでも古典学を修めるのがふつうのコースであった。ホームズは自然科学専攻だったというのが、ロナルド・ノックスの意見らしい。

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