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2007年4月 8日 (日)

シャーロック・ホームズ小伝(3)

                      S・C・ロバーツ

『三人の学生』は「有名な大学町」が現場である。この事件はまことに「痛ましい醜聞」だというので、ワトソンは「聖ルカ」カレッジの正体を隠そう躍起になっている。しかしホームズが中庭のことをquadrangleと呼んでいることに注目すべきだろう。この単語はケンブリッジでは使わないのである。『這う男』では、ワトソンはファラー師*の顰みにならって「ケンフォード」大学と書いているが、ホームズはこの大学町を随分懐かしがっている。「僕の記憶が正しければ、あそこには『チェッカーズ』という宿屋があって、ワインは並以上、シーツもまず申し分ない。ワトソン、これから二三日は少々不自由な暮らしになるかも知れないぜ」確実な手がかりはこの箇所だけである。ホームズが「ケンフォード」出身であることは明らかだろう。R・A・ノックス師は今や古典となった初期の論考*で「(ホームズの出身校は)オックスフォードのクライストチャーチ・カレッジだったのではないかという気もする」と書いておられる。ケンブリッジの卒業生でも、これにケチをつける気はちょっとしないだろう。
 
 それまで「単なる趣味」だったものを職業にしたらどうかと言ってくれたのは、友人トレヴァーの父親だった。それに大学生活の後半には、彼の評判が学生仲間に広まっていた。カレッジを出てからモンタギュー街の大英博物館の近くに部屋を借りたが、まだ依頼人はほとんどいなかったので、有り余る時間を使って将来の仕事に役立ちそうな様々の分野を研究した。ホームズの最初の事件は『マスグレイヴ家の儀式』だったが、これは1878年のことだと推定できる。学生時代のごく限られた交友関係から生じたものだった。そして1881年になって、聖バーソロミュー病院の実験室での有名な出会いがあった。
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スタンフォードが歴史上最大の媒介者となって、ホームズとワトソンはベーカー街221Bで同居生活を始める。二人がパートナーとなって最初の冒険が『緋色の研究』であるが、ここでワトソンは同居人の性格描写を試み、これが以後の伝記作家による評価の基礎となった。遅い朝食、精力的活動と無気力の交代、奇妙な知識の欠落(トマス・カーライルや太陽系のことを知らない)、ヴァイオリン、The Book of Lifeという雑誌論文、等々……

*ファラー師 原文はDean Farrar。ディーンという単語は「大学の学部長」という意味があるのは知られているけれども、ここでは違うらしい。リーダーズ+プラス英和辞典のdeanを引いてみると

1 《cathedral などの》首席司祭, 聖堂参事会長; 教務院長; 《ベネディクト会の》修道院長; 【カト】 司教地方代理 (=rural dean, vicar forane) 《司教 (bishop) が任命し司教区 (diocese) 内の一地区を監督する》; 【英国教】 地方執事 (rural dean).

 ややこしくて何だか分からない。キリスト教の聖職者らしいので「ファラー師」としておくのが無難でしょう。『岩波ケンブリッジ人名辞典』によると

ファラー,フレデリック・ウィリアム Farrar, Frederic William 英 1831-1903牧師,作家.インドのボンベイ生まれ.1854年に牧師に任命され,ハロー校で教え,マールバラ校の校長(1871-76),ヴィクトリア女王の名誉チャプレン(1869-73),その後女王専属チャプレンとなる.1876年にウェストミンスターの大聖堂参事会会員およびセント・マーガレッツの学長,1883年にウェストミンスター大聖堂の大執事,1890年に下院チャプレン,1895年にカンタベリー大聖堂参事会長となる.神学に関する著作は多いが,主にベストセラーとなった学校物語の一つ「エリック,少しずつ」(1858)で知られる.

 ケンフォード大学が出てくるのは、「エリック、少しずつEric, Little by Little」ではなく、翌年1859年のJulian Homeという学園物。上の人名辞典の記述では、ファラーという人はどうやら英国国教会らしい。辞書の記述とあわせると、1895年に「カンタベリー大聖堂参事会長」となったのでDean Farrarというのでしょう。

*初期の論考 『シャーロック・ホームズ文献の研究
Studies in the Literature of Sherlock Holmes (1911)
を指す。
これを 「ホームズ物語」についての文学的研究 なんて訳するのは、まったく何にも全然少しも、分かっていない。大間違いのコンコンチキである。ノックス師のことは「オックスフォードかケンブリッジか(4)」にも少し書きました。
 Literature=文学ではありません。オックスフォードで古典学を修めたノックスが「文献学Philologie」の方法をホームズ譚に適用してみせたので、「そういう手もありだったのか」とみんなびっくりしたのである。(1911年の時点では、『恐怖の谷』『最後の挨拶』『事件簿』は未刊行。)
 ノックスは「医学博士ジョン・H・ワトソンが書いたとされている文書」の本文批判から始める。もちろん文献学の本場ドイツの業績を無視はできないので、ザウボッシュ、バックネッケ、ラッツェガーなどの論文を参照することになる。イタリア人のサバリニオーネ教授などという人も重要な学問的貢献をしていますね。
 もちろん、ノックス師はフェアに書いているので、たとえばフランス人の学者、Papier Mache氏なんて人まで出して、ちゃんと手がかりを与えています。(仏和がよいのだけれど、英和でも載っているでしょう。一度辞書を引いてみてください。)

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