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2007年4月19日 (木)

棍棒かステッキか(5)

 life-preserverは、『ギリシャ語通訳』にも出てきました。
これはホームズの兄マイクロフトが登場する事件だった。ワトソンはホームズに兄がいることなど知らなかったのだけれど、ディオゲネス・クラブに連れて行かれて紹介される。この兄はホームズとあまり似ていない。

Gree02_4

 マイクロフト・ホームズは弟よりずっと大きくて太っている。(Mycroft Holmes was a much larger and stouter man than Sherlock.)
stoutという単語が「がっしり」ではなく「でぶ」の意味であることは前に言いました(赤毛のでぶ)。stout stickは「がっしりしたステッキ」でよいが、stout manは「がっしりした男」では駄目。
 マイクロフトはギリシャ語通訳のメラス氏から依頼された事件を弟のシャーロックに託する。彼の頭脳は弟よりずっと鋭いのだが、探偵に必要なエネルギーが欠けているのだ。ペルメル街に住み毎日ホワイトホールの役所まで歩いて通うほかには運動なんかしない。ディオゲネス・クラブは彼のマンションから通り一つ隔てたところにあるのだ。
 メラス氏は馬車でおかしな家に連れて行かれ、ギリシャ語の通訳をさせられた。その馬車の中でのことをメラス氏は次のように語る。ここではまだlife-preserverという単語は出てこない。代わりにbludgeonが使われている。

He began by drawing a most formidable-looking bludgeon loaded with lead from his pocket, and switching it backward and forward several times, as if to test its weight and strength. Then he placed it without a word upon the seat beside him. Having done this, he drew up the windows on each side, and I found to my astonishment that they were covered with paper so as to prevent my seeing through them.
(若い男は)まずポケットから鉛を仕込んだものすごい棍棒(bludgeon)を取り出しました。重さと強度を確かめるように何度も前後に振ってみせるのです。それから一言も口をきかずにそばの座席の上に置きました。そうやってから両側の窓を閉めました。驚いたことに窓には紙が貼ってあり、外が見えないのです。

Gree03

 この絵では確かに黒い上衣の男の左側に棍棒が置いてありますね。これは拡大すると、こういう形ではないでしょうか。

Blackjack_2

 こういう棍棒を何というか。ブラックジャックblackjackですね。ところがギリシャ人メラス氏はblackjackという単語を知らなかった。この悪者はイギリス人らしいが、こいつ自身、自分が使っているこの棍棒がblackjackだとは知らなかった。この単語はOEDによれば、アメリカ英語です。

 

A weapon consisting of a weighted head and short pliable shaft, used as a bludgeon.
先端に錘を入れ短い柄がしなう武器。棍棒(bludgeon)として使う。

 1889年、センチュリー辞典に初出だという。
 1895年デンバー・タイムズ紙
During the scuffle Miss Alderfer, Knapp's niece, saw the 'black jack' up his sleeve, and as a result, swore out the concealed weapons charge. 
もみ合いの間に、カップの姪のアルダーファー嬢は彼が袖にブラックジャックを隠しているのを見た。それで彼女は宣誓して隠匿武器携帯罪で訴えた。

 black jackと分離した綴りですね。まだこの単語ができあがる過程らしい。隠匿武器携帯罪というのはふつうは拳銃について言う。西部劇のカウボーイのように堂々と外から見えるように拳銃を携帯するのは合法であった。隠し持つと違法になった。当時のデンバーではこれがブラックジャックに準用されたということでしょう。袖に隠せるくらいの小さな棍棒です。ともかく、アメリカで1889年ごろに出来た言葉で、ギリシャ語通訳の事件は1888年のことですから、実物はあってもblackjackという単語は知られていなかった。もちろん、トランプのブラックジャックという意味では使われていたけれど。

 1934年にはジェイムズ・ケインの『郵便配達は二度ベルを鳴らす』が出ている。
She was to clip him from behind with a blackjack I had made for her out of a sugar bag with ball bearings wadded down in the end.
私が砂糖袋にボールベアリングを詰めてブラックジャックを作っておいて、彼女がそれで彼を後ろから殴ることになっていた。

 桑原、桑原。ケインはアメリカの作家ですが、この作品はイギリスでも読まれたはずで、このころになるとblackjackがイギリス英語にも入ってきた。1930年代というと、我々から見ればアガサ・クリスティーなどが活躍した本格派の黄金時代だったのではないかと思うが、そうでもないらしい。ドロシー・セイヤーズがエッセイで「近ごろは下品な犯罪小説ばかり流行して困る」と嘆いているのを読んだことがある。そういう犯罪小説の中で今でも読まれているのがハードリー・チェイスの『ミス・ブランディッシの蘭』(1938)でしょう。チェイスはイギリスの作家で、アメリカ物の真似をしたのですね。

 Life-preserverの話だった。(続く)

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