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2007年4月30日 (月)

栃木山と火掻き棒

 大正10年(1921年)、第27代横綱栃木山(1892-1959)は、ハワイ、アメリカ西海岸の巡業を行った。

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 この栃木山という人は、春日野部屋の創始者で44代横綱栃錦の親方である。
 172cm、104kgの体格で史上最軽量の横綱であるが、近代最強の力士ではないかという意見もある。大正7年に横綱に昇進し、大正14年には、前年から三場所連続優勝していながら(当時は年二場所制)引退してしまった。一説によると、髪の毛が薄くなって髷が結いづらくなったためだという。昭和6年には、第一回の全日本力士選手権に参加し、6年のブランクがあるのに現役力士をおさえて優勝した。このとき39歳であった。

 この栃木山が米国巡業の際、ロサンゼルスのバーで日系人と飲んでいると、アメリカ人の大男が入ってきて、火掻き棒を取って曲げて見せ、「どうだ!」とテーブルの上に放り出した。
 栃木山は少しも騒がず、その火掻き棒を取り上げて軽々と伸ばして元に戻し、「こうしておいた方が便利なのに」と言った。
 この話は現地の日系人の間で語り草になっていたという。1920年の時点で米国全土で12万人、カリフォルニア州で7万人の日系人がいたが、日系人に対する排斥と圧迫は強く、1924年にはいわゆる排日移民法が成立している。

 この火掻き棒を曲げたアメリカ人が、プロボクシング・ヘビー級チャンピオンのジーン・タニー(1897-1978)だったという説もあるが、どんなものか? 1919年から1926年まで、ヘビー級チャンピオンは有名なジャック・デンプシー(1895-1983)である。ジーン・タニーは1926年にデンプシーからタイトルを奪うので、このころはまだライト・ヘビー級のボクサーだったはずだ。

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 これは多分ふつうの力自慢の男だったと思いますね。アメリカ人から見れば172cmというのは小男なので、大したことはないと思ったのだろう。ところが栃木山は相撲界でも怪力で知られ、部屋にあった100kg以上の火鉢を座ったまま持ち上げたなどという逸話がたくさんある。

 アメリカ人というのは幼稚なところがあって、むやみに力自慢をしたがるらしい。
 シルベスター・スタローンは一人で外出できないのだそうだ。「ロッキー、俺と勝負しろ!」と挑戦してくるやつがいるので、いつでもボディガードを何人か連れて歩くのだという。

 栃木山の場合も、すぐに火掻き棒を伸ばして見せたからよかったので、そうしなければ掴みかかってきたのかも知れない。
 ともかく、「火掻き棒伸ばし」がホームズのほかにもう一例あったことは確かなのだ。

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コメント

こんにちは。

栃木山のそのエピソードは引退後に、
師匠常陸山を真似て、
欧米を漫遊した時のことではなかったでしょうか。

年代的には1924~26年頃のことになります。

だからといって栃木山の力自慢の相手が、
ジーン・タニー氏であったと限ったものでもないですが。

ホームズのエピソードとの酷似はあれですね、
大正期にはもうホームズものは輸入されていたはずなので、
上述の通り引退後に外遊を楽しむような
新しもの好きだった人柄から、
どこかで触れて知っていたかもしれません。

投稿: 橋川桂 | 2007年5月28日 (月) 14時27分

コメントありがとうございます。なるほど、引退後ですか。そちらの方がありそうですね。

投稿: 三十郎 | 2007年5月28日 (月) 19時24分

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