デレッキとは何ですか?
「畜生ッ! 入るか!?」と云って、そこにあったストーブを掻き廻す鉄のデレッキを振り上げた。
その男はストーブのデレッキを持って、目の色をかえて、又出て行った。誰もそれをとめなかった。
いずれも小林多喜二の小説にあるくだりですが、多喜二がわざわざ「ストーブを掻き廻す鉄の」と書いたとは、いささか信じがたい。ひょっとして編集者が書き入れたのではないかと、勘ぐりたくなります。「ご飯を口に運ぶ二本の木の箸」とでも書くようなじれったさがある。デレッキは、今ならリモコンと同じくらい、どこの家でも使っていました。デレッキと書けば、もうそれで充足している。……
(あずましい根室の私――柳瀬尚紀『日本語は天才である』新潮社pp.159-160)
デレッキとはこういうものだったのか!
つい先日、デレッキが出てきて、分からなかったのだ。
某大企業が外国に工場を作るというので、品質管理マニュアルの英訳が私のところにまわってきたが、これが難物だった。
「二酸化マンガンの使用量を3%削減する」などは誰が訳しても同じだ。
「人に優しい職場を作る」なんてのは、どうも困りましたね。たまたま私が担当したからよかったので、ほかの翻訳者なら
*Create a workplace that is gentle to people.
なんて訳をつけかねない。外人が目を白黒(白青?)する。私はうまく誤魔化してしまった。どう誤魔化したかは企業秘密。
ほかにも厄介なところが随分あった。
「デレッキを使う」というのが分からなかったから、
Use XX.
と書いて、「デレッキとは何ですか?」と赤字で書き込んでおいた。
翌日、クライアントからメールが来て「私どもは昔からデレッキと呼んでいる。英語で何というのかは知らないが、かくかくしかじかのものである」と説明があった。どうやらpokerと訳しておけばよいようだ。
それきり忘れていたのだけれど、柳瀬先生の本に出てきたのだ。続きをもう少し引用する。
たんに棒でなく、ツルハシと合体したようなものです。しかも頻繁にストーブの中を引っ掻き回す道具ですから、真っ赤に焼けている。幸いぼくは、人がデレッキを振り回す現場に遭遇した経験はありませんが、それでも灼熱の凶器が目の前に現れます。
日本国語大辞典での初出は昭和三(1928)年。語源は載っていませんが、ぼくは英語のderrickにちがいないと確信しています。Derrickは起重機ですが、先端に付いているフックがデレッキの先端そっくりです。
初めは日本名はなかったでしょう。たんに、火掻きと言っていたと思います。クラーク博士らのアメリカ人が札幌農学校、今の北海道大学へ来たのは明治九(1876)年です。英語で火掻き用の棒はポウカーpokerと言いますが、十九世紀の百科辞典などを見ると、ポウカーはまっすぐな棒です。先端が鉤状のものは見当たらない。先端の曲がった北海道製の火掻きを見て、英語を母国語にする者にとってこれをpokerとは呼びにくかった。むしろderrickと命名した。あるいはderrickにたとえた。チェックcheckがチッキ、デックdeckがデッキ、ジャックjackがジャッキ、スティックstickがステッキ、オランダ語のブリックblickがブリキになったように、デリックderrickがデレッキになったのは自然です。
(『日本語は天才である』続き)
面白いなあ! しかし、昔から「デレッキ」を使っているというこの大企業は、かなり温暖な地方にあるのだけれど。
私が子どものころ、三重県の小学校の職員室には石炭ストーブがあった(教室にはなかった)ように思う。しかし、「火掻き棒」を使っていたかどうか?
「かくかくしかじかのものだ」という説明ですぐに分かったのは、bookishな知識によるものだ。
彼は節くれ立った巨大な拳を我が友の鼻先へ突き出した。その拳をホームズはいかにも面白そうに吟味した。「生まれつきなのか? それとも、だんだんそうなってきたのかな」
我が友が氷のように冷静だったせいか、それとも私がポウカーを掴んだときにちょっと音を立てたせいか、いずれにせよ、客の剣幕は少々おとなしくなった。
(『三破風館』)
黒人のへヴィー級プロボクサーが相手だと、ワトソンも素手ではどうにもならない。いざとなったら鉄の火掻き棒で頭をかち割ってやるしかない。
ポウカーがどういう形かは、迂闊にもまったく考えなかったけれど、この絵を見ると、なるほどまっすぐな棒ですね。
それに対して日本のデレッキは下図のような形らしい。デレッキ補説より。
(凶器としての火掻き棒に続く)
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