ホームズの木刀術(2)
しかし、イギリスの木刀術singlestickのことを調べていると、竹刀と防具を使う日本の剣術がいかによくできているかが分かりますね。
塚原ト伝(1489-1571)や宮本武蔵(1584?-1645)のような剣客は、もっぱら木刀を使っていた。しかし木刀でたたき合えば命に別状がある。実際、武蔵は木刀で佐々木小次郎を撲殺した。
だから初期の剣術では型稽古が中心だったようだ。
中村民雄氏の研究によれば、竹刀と防具(面、籠手、胴)を使うようになったのは直心影流で、正徳年間(1711-16)ごろからだという。
この防具がだんだんに改良されて、遅くとも千葉周作(1793-1856)の活躍した時代までには現代の剣道用具とほとんど同じものになっていた。自由に打ち合いができるようになったのである。
千葉周作門下からは、清河八郎、山岡鉄舟、山南敬助、赤胴鈴之助などの有名な剣客が出た。(坂本龍馬は周作の弟定吉の門下)
写真は赤胴鈴之助のラジオ放送風景。左の少女が千葉周作の娘さゆり役の吉永小百合さんです。写真はこのサイト(必見)からお借りしました。
北辰一刀流千葉周作の玄武館、神道無念流斎藤弥九郎の練兵館、鏡心明智流桃井春蔵の士道館を幕末の三大道場という。
幕末になると剣術は試合が盛んに行われ、ほとんどスポーツ化していたようだ。しかし、あくまでも武術であった。このスポーツ対武術の矛盾から、ときどき妙なことが起きた。
司馬遼太郎の幕末小説に、柳剛流という田舎剣法が三大道場を総ナメにした話が出てくる。柳剛流には、上段から相手のすねを撃つという技があった。現代の剣道では反則であるが、当時の剣術は真剣勝負の稽古に竹刀を使っているという建前があったから、禁止するわけにも行かない。すねを打ってくるのはジャンプすれば避けられるのだが、体勢を崩したところに面打ちなどを決められる。ほとほと困ったという。
竹刀を使うのはあくまでも模擬であって、試合と実戦は違うという考え方は現代の剣道にも残っているようだ。高段者になるには竹刀の試合で勝つだけではだめらしい。
しかし、よく考えてみると、この「実戦」という概念は現代の剣道で成り立つのだろうか?
柔道や空手で、試合とは別の「実戦」があり得るというのは分かりますね。
何かで口論になって「表へ出ろ」ということになるかも知れない。そんなことはしない大人しい人でも、奥さんやガールフレンドと散歩しているときに与太者にからまれるかも知れない。そういうときに役に立つのは、試合用に磨いた技が基本ではあるが、実用の場合は微妙に違うところがあるだろう。
剣道の実戦というのは、すなわち日本刀で人を斬ることである。しかし、日本刀を本当に使おうという人は今どきいないでしょう。ヤクザだって人を殺したければ拳銃を使う。日本刀を使ったのは花田秀次郎や風間重吉の時代でしょう。
西洋剣術のことを書くつもりだったが、話が逸れてしまった。続きはまた。
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コメント
TBありがとうございました。アメリカで剣道をしています。たいへん興味深く拝読しました。勝手ながらリンク先に入れさせて頂きました。
投稿: Taichan | 2007年5月21日 (月) 00時18分
ありがとう。剣道頑張ってください。
投稿: 三十郎 | 2007年5月21日 (月) 15時12分