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2007年5月13日 (日)

ガンジーは無抵抗主義者か(3)

 非暴力と不服従によって英国のインド支配にあくまで抵抗したのがガンジーの運動であった。
「ガンジーの無抵抗主義」などという誤解はどこから生じたのか?

 1950年(昭和25年)、文藝春秋3月号に坂口安吾が書いた「安吾巷談 野坂中尉と中西伍長」の一部を見てみよう。(青空文庫をコピーさせていただきました。全文はここ

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 戦争抛棄という世界最初の新憲法をつくりながら、ちかごろは自衛権をとなえ、これもあやしいものになってきた。
 吉田首相は官吏の減少を国民負担の第一条件と断定しながら、軍備を予定しているとしたらツジツマの合わぬこと夥しいではないか。
 軍人一人と官吏一人では、国民の負担の大きさが違う。軍人一人には装備という大変な重荷がついている。原子バクダン時代に鉄砲一つの兵隊なら、ない方がよろしい。戦車でも、おかしい。要するに、ない方がよろしい。
 無抵抗主義というものは、決して貧乏人のやむを得ぬ方法のみとは限らないものだ。戦争中に反戦論を唱えなかったのは自分の慙愧するところだなどゝ自己反省する文化人が相当いるが、あんなときに反戦論を唱えたって、どうにもなりやしない。自主的に無抵抗を選ぶ方が、却って高度の知性と余裕を示しているものだ。
 ガンジーの無抵抗主義も私は好きだし、中国の自然的な無抵抗主義も面白い。中国人は黄河の洪水と同じように侵略者をうけいれて、無関心に自分の生活をいとなんでいるだけのことだ。彼らは蒙古人や満洲人の暴力にアッサリ負けて、その統治下に属しても、結局統治者の方が被統治者の文化に同化させられているのである。
 こういう無関心と無抵抗を国民の知性と文化によって掴みだすことは、決して弱者のヤリクリ算段というものではない。侵略したがる連中よりも、はるかに高級な賞揚さるべき事業である。こういう例は日本にもあった。徳川時代の江戸大坂の町人がそうだ。彼らは支配者には無抵抗に、自分の生活をたのしみ、支配者よりも数等上の文化生活を送っていた。そして、支配者の方が町人文化に同化させられていたのである。
 戦争などというものは、勝っても、負けても、つまらない。徒らに人命と物量の消耗にすぎないだけだ。腕力的に負けることなどは、恥でも何でもない。それでお気に召すなら、何度でも負けてあげるだけさ。無関心、無抵抗は、仕方なしの最後的方法だと思うのがマチガイのもとで、これを自主的に、知的に掴みだすという高級な事業は、どこの国もまだやったことがない。
 蒙古の大侵略の如きものが新しくやってきたにしても、何も神風などを当にする必要はないのである。知らん顔をして来たるにまかせておくに限る。婦女子が犯されてアイノコが何十万人生れても、無関心。育つ子供はみんな育ててやる。日本に生れたからには、みんな歴とした日本人さ。無抵抗主義の知的に確立される限り、ジャガタラ文の悲劇などは有る筈もないし、負けるが勝の論理もなく、小ちゃなアイロニイも、ひねくれた優越感も必要がない。要するに、無関心、無抵抗、暴力に対する唯一の知的な方法はこれ以外にはない。

「ガンジーの無抵抗主義も私は好きだし」と坂口安吾は書いているが、とんでもない誤解である。時代を考えれば無理もないのかも知れない。
「安吾巷談」は1950年1月号から文藝春秋に連載が始まった。3月号の「野坂中尉と中西伍長」は同年1月のコミンフォルムによる日本共産党批判を受けている。この批判によって、共産党は野坂参三らの所感派と宮本顕治らの国際派に分裂する。スターリン元帥に比べれば野坂参三は中尉くらいの格だというのである。
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  言うまでもなく敗戦は1945年8月15日である。1950年当時の首相は民自党の吉田茂。ガンジーは1948年1月30日に暗殺されている。

1945年8月15日 敗戦
1946年1月1日  天皇人間宣言
     11月3日  日本国憲法公布(47年5月3日施行)
1947年1月31日 2・1ゼネスト中止指令
       8月     インド・パキスタン独立
1948年11月    極東国際軍事裁判最終判決
1949年10月    中華人民共和国成立
1950年8月      警察予備隊設置
      11月     レッドパージ開始
1951年6月      朝鮮戦争勃発
       9月      サンフランシスコ平和条約調印

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受信: 2007年5月19日 (土) 18時44分

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