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2007年6月24日 (日)

奈良の正倉院(1)

Syousouin_gaikan

 まずお尋ねするが、聖武天皇については何かご存じかな? この天皇と奈良の正倉院の関係は? おやおや、お分かりにならんのですかな?

I would ask you what do you know of the Emperor Shomu and how do you associate him with the Shoso-in near Nara? Dear me, does that puzzle you?
                                                    
 1902年9月、グルーナー男爵は「ドクター・ヒル・バートン」に化けたワトソンをこう問い詰めた。男爵は「奈良の近くの正倉院Shoso-in near Nara」と言っているが、これはちょっと不正確。正倉院は奈良市内にあります。こういう場合は訳文で訂正しておく方がよろしい。

 1902年、日英同盟が締結された年ともなると、英国人(あるいはドイツ人)もかなり日本のことを知っていたらしい。
 これは『高貴な依頼人』の事件であった。ホームズも名指しを憚ったほどの依頼人は、連合王国の王、エドワード7世陛下であった。

J20864

 エドワード7世(1841-1910)は、ヴィクトリア女王の長男で、1901年1月22日、女王の崩御と同時に即位した。ときに59歳だった。この人は皇太子時代が長すぎたので、その間に遊びまわってとかくの評判もあったのだが、即位してからは第1次大戦前の欧州に安定をもたらして名君と言われた。

 それはともかく、この事件でのホームズとワトソンの活躍は王様を感心させたようだ。エドワード7世はサー・ジェイムズ・デマリー(この人がホームズに直接会って事件の依頼をした)から詳しい話を聞いたに違いない。そして子供や孫たちにその話をしたのではないかと思いますね。
「むろんホームズ君は偉いが、ワトソン君の方もなかなかのものだよ。男爵をだまして支那の陶器の通のふりをせねばならんというので、図書館から本を借りてきて一夜漬けで猛勉強したらしい。ホンウーとかヨンローとかタンインとか、わけの分からん支那の固有名詞を一生懸命覚えたそうだ。ところが、グルーナーが正倉院という日本の名前を持ちだしたから、たちまち化けの皮がはげた。……」

 たしかに化けの皮ははげたのだが、ホームズが男爵邸に忍び込んで「茶色の革製で金の紋章が入った帳面(鍵がかかっている)」を盗み出すだけの時間的余裕を与えた。

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 そして、この帳面はどういうものだったか? 男爵の「愛情日記」あるいは「愛欲日記」であった。キティ・ウィンター嬢によれば
「蝶々の収集をする人がいるでしょう。この男はね、代わりに女を収集していてこれが自慢の種なの。ぜんぶあの帳面に書いてあります。スナップショットが貼ってあるし、名前から何から細々と一切合財書き込んであるの」
 この帳面を見せてやれば、「自尊心のある女なら我慢はできないだろう」というのがホームズの予想で、ヴァイオレット・ド・メルヴィル嬢ももちろん例外ではなく、事件は解決したのであった。

 男爵の「愛情日記」であった、というところで何か思い出しませんか? 同じような日記を付けていた人がいたはずだ。この人はジェームス(ジェイムズではない)何某という名前だけれど日本人で、たしか「春の歩み」とかいう題名の日記も日本語で付けていたのだった。しかし、彼の場合は大したことにならず、今でも大いに活躍しておられるのはご同慶の至りだ。

 エーと、正倉院の話を書くつもりであったが、続きはまた。

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