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2007年6月20日 (水)

ジョンソン博士の決闘論

 私は果たして決闘がキリスト教の掟に背馳するか否か、明確にしてもらいたいと思うと語った。ジョンソンは直ちにこの主題に乗り出して、実に鮮やかな手並みでこれを裁断した。私が記憶する限り、彼の考えは次のようであった。「君、人間の付合いが高度に洗練されると人を怒らせる原因も多様になり、本来はそれほど深刻でないにもかかわらず、それを晴らすために生命を賭さねばならないほどゆゆしい侮辱と思われる行為も発生する。念入りに磨き上げられた物体は、簡単に傷がつく。人間がこの種の不自然な洗練さを身につける以前ならば、誰か隣人を嘘つき呼ばわりすれば相手も負けずにお前こそ嘘つきだと言い返し、誰か隣人を殴れば相手も負けずに殴り返すことで事態が落着したのに反して、高度に洗練された社会では侮辱は深刻な危害だとみなされる。従ってそれへの黙認はもはや許されなくなって決闘が義務となり、世間が決闘に訴えず自ら侮辱に甘んずる男を仲間はずれにする了解が成立しているところでは、必然的に決闘が行われる。ところで君、自己の防衛のために戦うことは、決して不法ではない。従って決闘に訴える者は相手への激情からではなく自己正当化のために、つまり世間での汚名を晴らして社会からの追放を防止するために戦うわけだ。僕はこの種の余計な洗練された感情がない方がよいと思う一人だけれども、この通念が存続する限り決闘に訴えることは疑いなく合法だろう。」
 念のためにいうがこの正当づけは、たんに侮辱を受けた側にのみ妥当する。侵害者に対しては、すべての人間がこれを糾弾せねばならない。
(1772年4月10日、決闘論。中野好之訳)

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