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2007年7月31日 (火)

シャーロック・ホームズの性格(1)

                                                  S・C・ロバーツ

Holmes1

 シャーロック・ホームズの性格を研究する人がとかく陥りやすい誘惑は、むやみに新奇なものを求めることである。聖パウロの時代のアテネ人のように、ホームズ・ファンは新しいものを欲しがる。斬新な憶測、斬新な結論はむろん魅力的である。しかし、ともかく珍奇ならば何でもよいというのでは、学問の健全な進歩は期待できない。況やホームズ自身の原理と方法に合致しないことは言を俟たないのである。ホームズは繰り返し「データ」の重要性を強調し、当て推量ではなく推理を勧めたではないか。
 ホームズの家系についてはすでによく知られているように、祖母はフランス人であった。先祖は代々の地主で典型的な紳士の暮らしをしていた。17世紀と18世紀のワイト島の総督にホームズが一人ずついるが、これが彼の一族だったかどうかは分からない。同様に子供のときの教育についても、知られていることはほとんどない。兄のマイクロフトについては、外務省で特殊な枢要の地位に辿りつくには、60年前にはパブリックスクールと大学での贅沢な教育が不可欠だったことは想像に難くない。シャーロックについては、パブリックスクールの生活には気質的に適しなかったので幼時から自宅で教育されたか、学校へは短期間行っただけであとは家庭教師の手に委ねられたと推測してよかろう。彼の運動も、パブリックスクールよりは田舎の邸宅が背景としてふさわしい。団体競技には無知なのは周知の通りである。得意なのは家庭で学べるスポーツだった。家庭教師か、あるいはフランス人の親戚が、フェンシングを教えたのだろう。ときには父親に連れられて猟に行くこともあったはずだ。ボクシングの基本は、村の子供達と手合わせして覚えたに違いない。

[訳者より]
トスカ枢機卿の死』のS・C・ロバーツの著書Holmes and Watsonの一部です。少しずつ訳して行きます。5回くらいの連載になるはず。

 シャーロック・ホームズがパブリックスクールへ行かなかったという説はかなり有力のようだ。昔は「うちの子供はデリケートだから、パブリックスクールのような野蛮なところへは行かせない」と自宅で教育する場合があった。パブリックスクールは全寮制で、ラグビーのようなスポーツをむやみにやらせたし、体罰もいじめもあった。同性愛を覚える危険もあった。18歳になって資格試験を受ければ、オックスフォードでもケンブリッジでも入学できたらしい。

 たとえば、バートランド・ラッセル(1872-1970)もパブリックスクールへ行かなかった一人だった。彼は11歳の時に兄のフランクからユークリッドの幾何学原論を習い始めた。

 私はユークリッドは物事を証明するのだと聞いていたから、まず「公理」から始まるのには大いに失望した。最初は、なぜ公理を認めねばならぬのか、理由を言ってくれなければ認められないと頑張ったのだが、「これはまず認めないことには先に進めない」と兄は言うのだった。私は先に進みたかったから、「さしあたり」ということで渋々認めることにした。このとき感じた数学の基礎に関する疑念がそのまま残って、のちの私の仕事の方向を決定することになった。
――The Autobiography of Bertrand Russel 1巻p.36 (英語版)
(この本は邦訳が出ているようですが、おすすめできません。表紙の写真はたしかにラッセルの顔で、この表紙だけは間違いないのですが、中身は…… この話はまた。)

097brussell1
  自伝の英和対訳版が
http://russell.cool.ne.jp/beginner/AB11-010.HTM
にある。書籍版の翻訳よりは遙かに優れているけれども、やはり間違いがあるようだ。この話もいずれまた。

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