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2007年7月 8日 (日)

奈良の正倉院(6)

 英国皇太子の乗ってきたレナウン号は「巡洋戦艦」だった。
 巡洋戦艦というのは、主砲は戦艦並みに大口径で装甲は巡洋艦並みに薄いという艦種である。
 レナウン号は、排水量3万8000トン、最大速度28.3ノット、主砲は38.1cm連装砲が3基であった。まったく同じ型のものが「レナウン級巡洋戦艦」として2艦建造され、1番艦がレナウン、2番艦がレパルスであった。いずれも1916年に進水した。

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 第二次世界大戦では、レナウンは主としてヨーロッパで戦い、無事生き延びて1948年にスクラップになった。
 同型艦のレパルスは日本海軍とぶつかった。
 1941年(昭和16年)12月8日、日本海軍はハワイ真珠湾を攻撃した。

大本営陸海軍部、十二月八日午前六時発表。今八日未明、帝国陸海軍は西太平洋において米英と戦闘状態に入れり。

 英国海軍は12月2日に、戦艦プリンス・オブ・ウェールズ、巡洋戦艦レパルス、駆逐艦4隻からなる東洋艦隊をシンガポールに派遣して日本の攻撃に備えていた。東洋艦隊は8日17時過ぎにシンガポールを出航した。
 12月10日11時45分、南部仏印サイゴンの基地から出撃していた日本海軍航空隊の索敵機が英国艦隊を発見した。一式陸攻26機と九六式陸攻67機が魚雷と爆弾で攻撃を加え、14時3分にレパルスを、14時50分にプリンス・オブ・ウェールズを撃沈した。
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一式陸攻

「作戦行動中の戦艦を航空機で撃沈することは出来ない」という、それまでの常識を覆した海戦であった。特にプリンス・オブ・ウェールズは1939年に進水したばかりの最新鋭艦で、ウィンストン・チャーチルのお気に入りであった。撃沈の報告を聞いたチャーチル首相は

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「私が書類箱を開けていると、寝台の電話が鳴った。軍令部長からだ。変な声だった。咳をしているようでもあり、こみ上げてくるものを堪えているようでもあり、初めはよく聞き取れなかった。
『首相。プリンス・オブ・ウェールズとレパルスが、どちらも日本軍の飛行機に沈められましたことを報告しなければなりません。トム・フィリップス(英東洋艦隊司令長官)は戦死しました』
『間違いないか』、『疑う余地はありません』。私は受話器をおいた。私は一人であったことを感謝している。戦争で、私はこれ以上のショックを受けたことはなかった。」
(「マレー沖海戦を聞く」――鬼頭佳嗣氏)

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 サセックスの海岸では、一人の老養蜂家がマレー沖海戦のニュースを聞いていた。
「そうか、とうとう日本と戦争になったか。私の生涯は妙に日本と縁があったな。
 ヴィクター・トレバーの父親は日本に行ったことがあった。あれはすぐに分かった。彼の遺言は日本の箪笥の中にしまってあったのだった。
 ギリシャ語通訳の事件では、メラス氏が連れて行かれた部屋に日本の鎧が飾ってあった。あの時代は日本趣味がはやったのだった。あの可哀想なガリデブ氏も日本の花瓶などを集めていた。
 ワトソンが奈良の正倉院のことでグルーナーにとっちめられたことがある。あれはもう40年近くも前のことだ。
 肝心なことを忘れてはいかん。日本の柔術の心得がなかったら、もう半世紀も前に私は死んでいたのだ。ワトソンがバリツなんて妙な名前をつけたものだから、世間ではいろいろ揣摩憶測をしているようだ。しかし、あれを教えてくれた日本人は、小さい男だったが強かったな。エーと、何という名前だったか? ウーム、いかん、名前が出てこない。推理力にはまだ年を取らせないつもりだが、記憶力は少々衰えたか。無理もない。私も日本流に言えばもう米寿だからな」

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