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2007年8月23日 (木)

シャーロック・ホームズの性格(5)

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 精神の苦悶の時代が近づいている。我々がこれを通り抜けて、はじめて子孫が生まれるのだ。霊魂は犠牲となり、不滅の望みは消えねばならない。

 ワトソンと知り合ったころ、ホームズの抱いていたのはまさにこういう感情だった。これが根底にあったから、しばしば抑鬱に陥る時期があったのだ。しかし『四人の署名』から十年を経て、『覆面の下宿人』のころになると、ホームズの世界観は随分変化している。彼はこう言った。「かわいそうに。かわいそうに。まことに天命は計りがたいのです。しかしいつかは埋め合わせがある。そうでなければ世界は残酷な笑劇だ」

 あるいはまた、樅とヒースに覆われたウォーキングのフェルプス家で、ホームズはどう振る舞ったか。まるで別人ではないか。海軍条約の紛失について、長い痛ましい話を聞いてから、彼はしおれかけた薔薇の茎を手に取った。そして、次のような省察を口にして、一同を唖然とさせた。

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「宗教ほど推論を必要とするものはありません。推論は宗教を精密科学にする。神の摂理の最高の保証は、花にあると私は思う。そのほかのものは、力も、欲望も、食料も、すべて、まず我々の生存に必要なものです。ところがこの薔薇は、剰余です。匂いも色も生を装飾するものであって、その必要条件ではない。剰余を与えることのできるのは神だけであって、だからこそ、我々は花に多くを期待するのだ、と私は言いたい」*

 この一節は非常に興味深いものであるが、ホームズの性格を研究する者はこれまで十分な注意を払ってこなかった。ここから窺えるのは、ワトソンがはじめのころ総括したよりもはるかに広く深い心性である。
 もちろん、ホームズが教会に属するようになったなどということではない。ただ、若いころの生硬な合理主義の段階は脱したのである。職業として犯罪捜査を続けてきて、彼は苦悩と暴力と恐怖の繰り返しに直面してきた。「これに一体どんな意味があるのだ、ワトソン。何か目的があるはずだ。さもなくば、この宇宙は偶然に支配されていることになる。そんなことは考えられないじゃないか」

 このようなホームズの性格を考えるにつけても惜しまれてならないのは、かつてリウィウスの著作が散逸したように、多くの事件の記録が失われたことである。中でも、ホームズがローマ法王直々の要請を受けて取り組んだ事件については、誰もが知りたいと思うだろう。ところが最近、なんたる幸運か、私はワトソンの原稿の断片二編を発見したのである。これはかの 『トスカ枢機卿の死』 の草稿の一部に違いないと思われるので、以下に原文のまま紹介する。

→「トスカ枢機卿の死」(書斎の死体)に続く。

*原文は
  "There is nothing in which deduction is so necessary as in religion," said he, leaning with his back against the shutters. "It can be built up as an exact science by the reasoner. Our highest assurance of the goodness of Providence seems to me to rest in the flowers. All other things, our powers, our desires, our food, are all really necessary for our existence in the first instance. But this rose is an extra. Its smell and its colour are an embellishment of life, not a condition of it. It is only goodness which gives extras, and so I say again that we have much to hope from the flowers."

 拙訳で「神」という語を使っていることに違和感を持つ人もいるかもしれない。ホームズは正典60編の中でGodの語を口にしたことはないはずだ。しかし、ここで述べていることは一種の神学であって、日本語では「神」を使った方がよいと思う。神≠Godなのです。

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