« 2007年7月 | トップページ | 2007年9月 »

2007年8月31日 (金)

シャーロック・ホームズ対夏目漱石

Top_02a

 シャーロック・ホームズ(1854-?)と夏目漱石(1867-1916)がはじめて顔を合わせたのは、1901年(明治34年)5月上旬の或る火曜日の夕方のことであった。

 ホームズとワトソンはホーマー街にクレイグ博士を訪ねた。ベーカー街からは近くで、歩いて行ける。

Craig

 クレイグ先生は燕の様に四階の上に巣をくっている。敷石の端に立って見上げたって、窓さえ見えない。下から段々と昇って行くと、股のところが少し痛くなる時分に、ようやく先生の門前に出る。門と申しても、扉や屋根のある次第ではない。幅三尺足らずの黒い戸に真鍮のノッカーがぶら下がっているだけである。しばらく門前で休息して、このノッカーの下端をこつこつと戸板へぶつけると、内から開けてくれる。
 開けてくれるものは、何時でも女である。近眼のせいか眼鏡を掛けて、絶えず驚いている。年は五十位だから、随分久しい間世の中を見て暮らした筈だが、矢っ張りまだ驚いている。戸を叩くのが気の毒な位大きな眼をしていらっしゃいと言う。

 ホームズも真鍮のノッカーの下端をこつこつと戸板にぶつけた。五十位の婆さん(五十なら立派な婆さん。100年前のことです)が戸を開けてくれた。
 ところが先客があって、クレイグ先生はこの男を相手に大声でしゃべっていた。

 ホームズが小声でワトソンにささやいた。
「支那人らしいね」
「いや、私は日本人ですよ」 
 と、その黄色い男が突然こちらをむいて、するどい声でいった。うっかり口にした非礼を耳ざとくもききとがめられたのと、めずらしく自分の観察があやまっていたことで、さすがのホームズが耳までまっかになった。
「いや、これは失礼、日本の方はめったにお目にかかることが少ないとはいえ、あすにでもわが大英帝国と攻守同盟をむすびそうなお国の人を見まちがえるなんて? いや、今度は第一御皇孫がご誕生になったそうでおめでとう。けさの新聞で見ると、お名前はヒロヒトと名づけられたそうですね。シャーロック・ホームズをまず劈頭に赤面させられた唯一の国民に、永遠の繁栄がありますように!」

 ホームズもずいぶんお世辞を言ったものですね。漱石はどう答えたか? 
「永遠の繁栄? いや、滅びるね
 とは、このときは言わなかったようだ。
 あとは山田風太郎の『黄色い下宿人』を見て下さい。ちくま文庫に『明治十手架』と一緒に収録されています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月30日 (木)

翻訳の馬鹿防止(2)

 産業翻訳と出版翻訳とどこが違うか? 損得がからむかどうかだ。

 バートランド・ラッセルの『人類に未来はあるか』は1962年に初版第1刷が出て、1980年まで18年間で実に23刷を数えた。ところが

今までのうちに、世界のことごとくの人が、過去の水爆実験から少量の放射能をその体内に宿している。つまり「出来たての」ストロンチウムを骨と歯に、「ほやほやの」沃素を甲状腺にやどしている。

 なんて滅茶苦茶な日本語に苦情を申し立てた人は一人もいなかった。随分たくさんの人が読んだのに、別宮貞徳氏が欠陥翻訳時評で取り上げるまで、誰も指摘しなかった。(誤訳迷訳欠陥翻訳(4)参照)

 人類に未来はあるか? なかなか重大な問題ですな。しかし、そんなこと考えても仕方がないでしょ。まあ、なるようにしかならんのとちゃいますか? それより、あんた、儲かるかどうかが大切ですがな。
 誰一人、本気で読んでいなかったのだ。「出来たてのほやほやだって? 肉まんあんまんの話か」とねじ込んで来る読者はいなかったのだ。
 
 損得がからむと読者は一字一句本気になって読む。
 もう10年くらい前に短い契約書の英文和訳をしたことがある。簡単な仕事だった。シャーロック・ホームズに「パイプ三服分の問題」という言い方があるが、これはまず「マイルドセブン二本分の仕事」だった。*It was before breakfast for me. (私にとっては朝飯前であった――この英語はウソ)

 Redh06
すぐに仕上げて忘れてしまったが、数日後アメリカから国際電話がかかってきた。
「これから契約を締結するのだが、訳文に一箇所曖昧なところがある。二通りに解釈できるがどちらであるか、ご教示願いたい」
 読み直してみると、どうも不適訳であった。冷や汗をかきながら弁解して原文の意味をあらためて説明した。
「いや、ありがとう。よく分かりました。何しろ百万ドルの取引なんでねえ」
 こちらは数千円しかもらっていないのに。

 ラッセルでもアダム・スミスでもガルブレイズでもエーリッヒ・フロムでも、誤訳迷訳欠陥翻訳があっても誰もお金を損するわけではないのだ。だから奇特な人が指摘するまで間違いがまかり通ることになる。
  シャーロック・ホームズの牧師か神父かの違いなんぞはもっとひどい。延原訳の間違いが60年以上経った日暮訳でも直っていない。何十万人もが読んでいるはずなのに。

  馬鹿防止という考え方がないのだ。編集者は何をしているのだ?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月28日 (火)

翻訳の馬鹿防止(1)

 ふつうは英語でFoolproofと言いますね。
 Waterproofならば防水だ。しかし「防馬鹿」では分かりにくい。馬鹿防止と言えばよろしい。

 馬鹿防止の考え方を具体化したのが、たとえば鉄道のATS(Automatic Train Stop)だ。JR西日本の脱線事故は、これが働かなくて大変なことになった。あれは装置のせいではない。首脳部が悪かったからだ。

 翻訳ではふつうは間違ったからといって人は死なない。それでも誤訳一つで何億円も吹っ飛ぶことがある。
 たとえば、この間

「法人税法第何条にかくかくとあり、昭和何年国税庁通達第何号にしかじかとあるから、この費目は非課税で、また別のこの費目は課税対象である」

 などという文章を英語に訳した。

 私の書く英語が間違うと、どこかの会社が無駄な税を払ったり納税漏れで追徴金を取られたりして、何億円も損をする。責任重大である。その割りには大した報酬はもらっていないのが遺憾である。
 私はもちろん間違ってはいけないぞというつもりで書いているが、絶対に間違わないとは言い切れない。だから馬鹿防止の考え方を取り入れて、必ず訳文をチェックする人がつく。
 和文英訳の場合は、英語のネイティブスピーカーが英文をチェックし、日本人が原文と照らし合わせて訳し漏れや誤訳がないかを調べる。
 もう長年やっているからそう無闇に間違いはしない。それでも母語ではない英語を急いで書くので、間違いが出てしまうことがある。

 以前に滋賀県の観光案内を英訳したことがある。
「井伊の赤備え」
 というのが出てきた。私は司馬遼太郎を読んでいるから、これはすぐに
「井伊家の侍は全員が赤い鎧を着ていた」
 と書けばよいことは分かった。ところがred armorsと書いてしまったのである。
 もちろんred suits of armorと書かなければならない。
 シャーロック・ホームズの『ギリシャ語通訳』で、通訳のメラス氏が連れて行かれた部屋にはa suit of Japanese armourが飾ってあった、というのは読んでいるから、これくらいのことは分かっているのだ。締切にせかされるとつい間違えるのだ。しかし、こういう間違いはネイティブチェッカーが直してくれるので安心である。

 日本人のチェッカーに直されるのは主として訳し漏れである。たとえば、

「動物園には、キリン、シマウマ、ライオン、トラ、パンダ、ゾウ、カモシカが……」

 などというのを訳するときに、カモシカだけは辞書を引かないと訳語が分からない。むかし煙草を吸っていたときは、ゾウまで訳しておいて、一服したものだ。吸い終わるとカモシカを訳することは忘れて先に進んでしまう――ということがよくあった。禁煙してからこういう間違いはだいぶ減ったが、それでも皆無ではない。

 しかし、こういうふうに馬鹿防止の考え方を取り入れているのは、いわゆる「産業翻訳」だけである。出版翻訳では一向にチェック機能が働いていないようだ。どこが違うのだろう? (続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月27日 (月)

明治のシャーロック・ホームズ

 シャーロック・ホームズの日本語への翻訳は、明治27年(1894年)に始まる。確認されている最も古いものは、雑誌『日本人』に連載された「乞食道楽」(「唇のねじれた男」)である。英国『ストランド』誌に『シャーロック・ホームズの冒険』の連載の始まったのが1891年、「唇のねじれた男」は12月号の掲載。『日本人』での連載は1894年1月に始まっているから、原作発表からおよそ2年しか経っていない。当時としてはかなり早い紹介と言えよう。
(北原尚彦『シャーロック・ホームズ万華鏡」p.151)

「かなり早い紹介」なんてものじゃない。ものすごく早い。
 明治27年(1894年)は、4月に朝鮮の東学党の乱が起こり、日清戦争に発展した年である。翌28年4月に下関条約が締結された。
 明治27年には、高山樗牛の『滝口入道』や坪内逍遙の『桐一葉』が出て、北村透谷が27歳で自殺している。28年には樋口一葉が『にごりえ』『たけくらべ』を書いた。
 漱石夏目金之助は、明治26年に26歳で大学を卒業し、高等師範学校に勤めた。1900年(明治33年)から1902年までイギリスに留学した。ロンドンではシャーロック・ホームズと出会っている。(『黄色い下宿人』山田風太郎明治小説全集 (14))
 
 
  しかし、『乞食道楽』はどういう日本語だったのだろう。読んでみたいなあ。

 北原尚彦氏は、大正4年に山本文友堂から刊行された『探偵王 蛇石博士』を入手したという。本邦初の『シャーロック・ホームズの冒険』の完訳なのだそうだ。

Scandal in Bohemia ボヘミア国王の艶禍
シャーロック・ホームズ  蛇石大牟田
ワトソン           和田医学士
フォン・クラム伯爵     凡倉伯爵
アイリーン・アドラー    多羅尾伊梨子

 これも読んでみたい。凡倉伯爵はいいですね。しかしミス・アドラーが多羅尾嬢になるのはどうしてだろうか?
 
 北原尚彦氏は、有名なシャーロキアンでホームズ関係書の収集家である。この『万華鏡』はその蒐書録である。といっても堅苦しいものではない。一番はじめに紹介するのは『英雄色を好む』という一齣漫画集で、古今東西の英雄が四十八手を披露している。ホームズの担当は「乱れひまわり」という体位なのだそうで、どうもあきれたね。
 漫画やアニメ関係が多く、星飛雄馬くらいしか知らない私などには猫に小判である。しかし気軽に神保町などの古本屋に行けるのはうらやましい。これからもしっかり集めて下さい。

| | コメント (1) | トラックバック (1)

2007年8月24日 (金)

水戸黄門 Vice-Shogun

このお方をどなたと心得る?

Who do you think this gentleman is?

(Do you know who this gentleman is? と比較せよ。)

Solid03

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2007年8月23日 (木)

シャーロック・ホームズの性格(5)

Aboutsh_1

 精神の苦悶の時代が近づいている。我々がこれを通り抜けて、はじめて子孫が生まれるのだ。霊魂は犠牲となり、不滅の望みは消えねばならない。

 ワトソンと知り合ったころ、ホームズの抱いていたのはまさにこういう感情だった。これが根底にあったから、しばしば抑鬱に陥る時期があったのだ。しかし『四人の署名』から十年を経て、『覆面の下宿人』のころになると、ホームズの世界観は随分変化している。彼はこう言った。「かわいそうに。かわいそうに。まことに天命は計りがたいのです。しかしいつかは埋め合わせがある。そうでなければ世界は残酷な笑劇だ」

 あるいはまた、樅とヒースに覆われたウォーキングのフェルプス家で、ホームズはどう振る舞ったか。まるで別人ではないか。海軍条約の紛失について、長い痛ましい話を聞いてから、彼はしおれかけた薔薇の茎を手に取った。そして、次のような省察を口にして、一同を唖然とさせた。

Nava06

「宗教ほど推論を必要とするものはありません。推論は宗教を精密科学にする。神の摂理の最高の保証は、花にあると私は思う。そのほかのものは、力も、欲望も、食料も、すべて、まず我々の生存に必要なものです。ところがこの薔薇は、剰余です。匂いも色も生を装飾するものであって、その必要条件ではない。剰余を与えることのできるのは神だけであって、だからこそ、我々は花に多くを期待するのだ、と私は言いたい」*

 この一節は非常に興味深いものであるが、ホームズの性格を研究する者はこれまで十分な注意を払ってこなかった。ここから窺えるのは、ワトソンがはじめのころ総括したよりもはるかに広く深い心性である。
 もちろん、ホームズが教会に属するようになったなどということではない。ただ、若いころの生硬な合理主義の段階は脱したのである。職業として犯罪捜査を続けてきて、彼は苦悩と暴力と恐怖の繰り返しに直面してきた。「これに一体どんな意味があるのだ、ワトソン。何か目的があるはずだ。さもなくば、この宇宙は偶然に支配されていることになる。そんなことは考えられないじゃないか」

 このようなホームズの性格を考えるにつけても惜しまれてならないのは、かつてリウィウスの著作が散逸したように、多くの事件の記録が失われたことである。中でも、ホームズがローマ法王直々の要請を受けて取り組んだ事件については、誰もが知りたいと思うだろう。ところが最近、なんたる幸運か、私はワトソンの原稿の断片二編を発見したのである。これはかの 『トスカ枢機卿の死』 の草稿の一部に違いないと思われるので、以下に原文のまま紹介する。

→「トスカ枢機卿の死」(書斎の死体)に続く。

*原文は
  "There is nothing in which deduction is so necessary as in religion," said he, leaning with his back against the shutters. "It can be built up as an exact science by the reasoner. Our highest assurance of the goodness of Providence seems to me to rest in the flowers. All other things, our powers, our desires, our food, are all really necessary for our existence in the first instance. But this rose is an extra. Its smell and its colour are an embellishment of life, not a condition of it. It is only goodness which gives extras, and so I say again that we have much to hope from the flowers."

 拙訳で「神」という語を使っていることに違和感を持つ人もいるかもしれない。ホームズは正典60編の中でGodの語を口にしたことはないはずだ。しかし、ここで述べていることは一種の神学であって、日本語では「神」を使った方がよいと思う。神≠Godなのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

五七五

古池や蛙とびこむ水の音

この土手に登るべからず警視庁

環境やしてはいけないリサイクル

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月21日 (火)

「論座」の翻訳特集

「論座」の9月号が 深化する「翻訳」という特集をしている。

わからないのは読者が悪いのか。
それとも、訳者の技術が未熟なのか。
「難解さ」をありがたがる時代はもう終わった――

 これは編集部製のキャッチコピー。今ごろ何を言ってるの。ちょっと幼稚だね。
 しかし寄稿者の面子は揃っていて、面白い。私がこのブログで取り上げたのと重なるところが多くて我が意を得たりである。

 柳父章氏のインタビュー
 よくテレビのニュースなどで、容疑者のことを「」といって、被害者のことを「女性」といいますね。歴史のある言葉は、良い意味も悪い意味も持ち合わせているからこそ良い言葉なんです。「あれはあいつの女だ」なんて使われ方があるから悪いと思われているのでしょうけれど、「女」は伝統的な言葉で「女性」は翻訳語です。……(シャーロック・ホームズとあの女(3)女、婦人、女性参照)

 別宮貞徳氏のインタビュー、国富論の訳者山岡洋一氏のインタビューもある。

 池上嘉彦氏が「言語学は翻訳の役に立つか」で雪国の英訳を論じている。

 柳瀬尚紀氏(デレッキとは何ですか? 参照)が村上陽一郎氏の問いに答えて、「(文化的背景は)笑いに限っては99%伝えきれます」という。どうもこの人は怪物だね。ユリシーズは買っただけでまだ読んでないけれど、なぜスティーブン・デッダラス(ディーダラスではなく)かが分かっただけでも儲けものだった。柳瀬先生曰く、グローバルは「愚陋張る」だって。

 中条省平氏が村上春樹の翻訳を論じている。チャンドラーのロング・グッドバイの村上訳を清水俊二訳と比べているところが面白い。ぜひ読んでみよう。

 加藤晴久氏は、誤訳迷訳欠陥翻訳を出している出版社の「製造物責任」を問うている。
「いつも言っていることだが、編集者は翻訳書の最初の読者である。編集者が原稿なり校正刷りなりを読んで、理解できない箇所、奇妙な日本語の箇所は、十中八九、誤訳である。相手が大学教授だろうが何だろうが見直しを求めるべきである。これは、翻訳書を買う読者に対する職業倫理上の最低限に義務である」

 まったくその通り。ここで我田引水の宣伝をさせてもらう。
 新評論の敏腕女性編集者Yさんは、この職業倫理に忠実な人だ。ヴェド・メータの『ガンディーと使徒たち』に誤訳が少ない(皆無とは申しません)のは、まったくYさんのおかげである。厳しく間違いを指摘してくれたからだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月20日 (月)

誤訳迷訳欠陥翻訳(4)

 以前に見た『国富論』の翻訳については、水田洋氏と別宮貞徳氏の間で論争になったのだそうだ。(誤訳迷訳(1)-(3)を見てください)。
 しかし、論争になりようがないのもありました。バートランド・ラッセルの『人類に未来はあるか』理想社(1962年初版。現在はさすがに絶版中)

 これはもうあいた口がふさがらないようなトンデモ訳です。受験英語の初歩くらいのレベルで盛大に間違っている。見事というほかない。以下、別宮先生の挙げる例。

・発生するエネルギーは、光の速度の自乗で繁殖して、失われる質量とつねに等しい……
……the energy generated is equal to the mass lost multiplied by the square of the velocity of light.

[別宮訳] 発生するエネルギーは、失われた質量に光の速度の二乗を掛けたものにひとしい。

 別宮先生曰く。
multipliedがなんと「繁殖した」になっちゃった。squareを「四角」にしなかったのはめっけものかもしれませんな。うちの息子がこれを読んで笑うこと笑うこと。

 先生の息子さんは、このころ高校生だったのだろうか。私も高校生のころは、受験勉強にせっせと辞書を引いてラッセルを読んだものだ。懐かしい。

・そのような死の戦闘へと発展しないよう、保証することのできる大国が、戦争に従事していいものであろうか。

[別宮] なんだかもっともらしいでしょう。ところが原文は

Should the Big Powers engage in war, who can guarantee that it will not develop into such a deadly struggule?

[別宮] ごらんのとおり、高校生、特に受験生にはおなじみの文型でね。辞書をひいていいっていわれりゃ、

 かりに大国が戦争を始めるようなことにでもなれば、このような死闘にならないと誰が保証しえよう。

くらいの訳はたいていしますよ。このラッセルの本を読むほどの学生なら、英語の力はこの訳者に負けないと自信を持ってもいいですね。わからなければ、翻訳がおかしいんだ、と。
[ここまで別宮]

 どうも、ひどいもんですね。別宮先生のコメントはよほど遠慮して書いているのだ。

 この訳者日高一輝氏と出版社理想社のコンビが、『ラッセル自叙伝』3巻(1968-1973)を出していて、これがひどいのですね。間違っていないのは表紙だけといってよろしい。

 The Autobiography of Bertralnd Russellは、1967年から69年に3巻本で出ている。今度1巻本の新版が出たらしい。私はむかしにペーパーバックで読みました。ラッセル(1872-1970)は、もう九十何歳になって怖いものなしで、何でもあけすけに書いている。実に面白かった。一部はこのブログでも紹介しました。(一筆書きの技

 ところが原書を読んでだいぶたってから、図書館に翻訳があるのを見つけた。ちょっとのぞいてみてびっくり仰天した。ところが、いったん訳が出てしまうと結構通用するのですね。エンカルタの百科辞典などに引用してあるのを見つけた。これは公害じゃないか。

 と思っていたら、松下彰良氏のオンライン訳のページを見つけて、このあいだ「ラッセル自伝の誤訳」で取り上げたのです。
 このオンライン訳は日高訳をスキャナーでコピーして、誤訳部分だけ訂正して行こうという方針らしい。
 失礼ですが、私のような職業的翻訳者から見れば、ちょっと見通しが甘い。誤訳の怖さを知らない。
 私などは怖さが身にしみて分かっているのだ。自分でたくさん誤訳をしているからね。

 ――というようなことを考えていたら、「論座」の9月号に翻訳の特集があって、別宮先生も登場しているのを見つけた。その話はまた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月19日 (日)

シャーロック・ホームズの性格(4)

                         S・C・ロバーツ

Holfours

 精神の苦悶の時代が近づいている。我々がこれを通り抜けて、はじめて子孫が生まれるのだ。霊魂は犠牲となり、不滅の望みは消えねばならない。

 ワトソンと知り合ったころ、ホームズの抱いていたのはまさにこういう感情だった。これが根底にあったから、しばしば抑鬱に陥る時期があったのだ。しかし『四人の署名』から十年を経て、『覆面の下宿人』のころになると、ホームズの世界観は随分変化している。彼はこう言った。「If there is not some compensation hereafter, the world is a cruel jest.」*

*どう訳するか? これがむつかしい。
 この翻訳は誰に頼まれたわけでもない。勝手にやっているのだから、適当なところで道草を食う。他の人はどう訳しているか?

 延原謙訳
「そのうちに何かの埋めあわせでもないようなら、この世はあまりに残酷な茶番狂言です」

 高山宏訳
「これから先何か良いことがない分には、人生なんて悪い冗談ですよ。」

 大久保康雄訳
「今後、何かその埋め合わせがないなら、この世は残酷な茶番劇です。」

 小林・東山訳
「もし、この後で、何らかのよいことがないとするならば、世の中などというものは、残酷な冗談です。」

 深町眞理子訳
「もしもこれからの人生で、なんらかの埋め合わせでもなければ、それこそこの世は闇というものですよ。」

 ホームズが「覆面の下宿人」の不幸な身の上話を聞いて、慰めの言葉をかけたのであるが、こういう意味だろうか? 全部違う。読めてませんね。
 当然、当方が間違って恥をかくこともあるけど、そのときはTo err is human.と居直ればよいのだ。

 覆面の下宿人はまったく不幸な境遇だ。生きていれば、そのうちに、これから先、今後これからの人生で、「埋めあわせ」や「何か良いこと」があるか? ない。それは分かった上で言っているのだ。諸氏の訳したような意味ではない。ホームズはそんなおためごかしは言わない。

hereafterをShorter Oxford Dictionaryで引いてみよう。副詞としては

1 After this in order or position.
2 At a future time, later on.
3 In the world to come.

ランダムハウス英和辞典
【1】(時間)以後,これから先,今後,将来;(順序)この後に
【2】来世で,あの世で.
【3】=hereinafter

SODの3番目の意味 In the world to come をランダムハウスでは「来世で、あの世で」と書いている。 SODの例文

You do not merely believe but know that there is a life hereafter.
来世にも生命があると、信じているだけではない、そのことは分かっている、と君は言うのだな。
 

 延原謙訳を少し前から見てみよう。

 不運な女の身の上話はこれで終わったが、私たちはすぐには口をきかなかった。しばらくたってホームズは長い腕をさしのべ、彼女の手を軽く叩き、私でさえあまり見たことのない同情を示していった。
「お気のどくにねえ! 人の運命というものはじつにわからないものです。そのうちに何かの埋めあわせでもないようなら、この世はあまりに残酷な茶番狂言です。ところでこのレオナルドという男はどうなりました?」

 延原訳は全体としてはよくできていると思う。
 ただ、hereafterに「来世」という意味もあることは、英米人ならばすぐにピンと来るのだ。
 だからS・C・ロバーツ氏も、はじめのころはまるでコナン・ドイルみたいな単純な合理主義者だったホームズが10年後には世界観が変わっている――ということを示すためにhereafterの使い方を例に挙げているのだ。

 それではどう訳するか? 
来世で埋め合わせがなければ……」と訳してしまっては間違いでしょうね。翻訳はむつかしい。
 日本語の「来世」と「そのうちに」「今後」「これから先」などとはあくまでも別の言葉だ。
 来世は死後のこと、「そのうちに」は明らかに生きている間、「今後」や「これから先」もふつうは生きている間のことだ。はっきりと区別がある。

 英語では hereafter=ここからあとで という一つの単語が

1.基本的には、「順序や位置があとで」という意味、
2. 時間的にあと、すなわち「将来に」という意味(だいたいは生きている間)、
3. キリスト教では霊魂不滅だから、「死んでからの将来に=来世に」

 という重層的な意味構造を持っているのだ。

“Poor girl!” he said. “Poor girl! The ways of fate are indeed hard to understand. If there is not some compensation hereafter, then the world is a cruel jest. But what of this man Leonardo?”

「かわいそうに。かわいそうに。まことに天命は計りがたいのです。しかしいつかは埋め合わせがある。そうでなければ世界は残酷な笑劇だ。ところで、このレオナルドという男のことですが、どうなりましたか」

 自分で訳してみるとむつかしい。
 ただ「そのうちに何かいいこともありますよ」という脳天気だけは絶対駄目だ。
 いつかは=hereafterでないことは言うまでもない。ここでは一語で上述の三層の意味を持つ日本語はない。
 しかし、ホームズも、人知を越える計らいを信じたくなっているのだ。

 物語の終わりの部分。

Veil03

「あなたの命はあなたのものではない。それは手放しなさい」
「この命が誰かの役に立ちまして?」
「神のみぞ知る、です。苦難に耐える生活自体が、我慢の足りぬ世界に対する教えなのです」
 女の返事は恐るべきものだった。ヴェールを上げて、明るい方へ歩み出てきた。
「あなたなら我慢できて?」
 慄然。その顔の輪郭は説明できない。顔自体がないのだ。生気のある美しい褐色の眼が怖ろしい廃墟から悲しげに光っている。これが一層凄惨だった。ホームズは片手を上げて憐憫と拒絶の素振りを示した。我々は部屋を出た。

 二日後、私がホームズを訪ねると、彼は幾分か誇りをこめてマントルピースの上にある青い小瓶を指さした。私はそれを手に取ってみた。毒物を示す赤いラベルが貼ってある。開けるとアーモンドの芳香がした。
「青酸か?」
「その通り。郵便で来たのだ。『我が試みをお送りいたします。ご忠言に従うつもりでございます』とあった。これを送ってきた勇気ある女性の名は、分かるだろう、ワトソン」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月17日 (金)

シャーロック・ホームズの性格(3)

Nava07

 あるいは、クラパム・ジャンクションの駅あたりを見て我々の社会の未来は明るい、なんてことを考える人はまずいまい。ところがホームズは、車窓から見える光景に心を動かされたらしい。

「見たまえ、スレート屋根の連なる上に大きな建物がぼつんぼつんとそびえ立っているのを。まるで鉛色の海に煉瓦の島が浮かんだみたいじゃないか」
「公立小学校だ」ワトソンは短く答えた。
「いや、きみ、まさに灯台だよ。未来を照らす灯だ。一つ一つに何百という光り輝く小さな種子がつまった莢だ。あの莢がはじけて、今より賢明な、はるかにすぐれたイギリスがとびだすのだ」

 後期ヴィクトリア朝自由主義の屈託のない気分をこれほど生き生きと表している言葉はないだろう。
 哲学については、ノックス師*が「彼はグレイツ(古典語、哲学、古代史)の課程を取ったのではない」と断定しているのはやや独断的であるが、どうやら事実らしい。しかし少なくとも人類学に関心があったことは確かだし、人類の過去の歴史と未来の運命という問題は常にホームズの心を占めていた。『四人の署名』では、モースタン嬢の事件の探索に出かける間、ワトソンを一人置いて行くので、これでも読んでいたまえ、こんな凄い本はちょっとないよ、とすすめたのが、ウィンウッド・リード(1838-1875)の『人類の苦難』Martyrdom of Man (1872)であった。これは19世紀合理主義の開陳としてもっとも人気があった本だ。ホームズは人嫌いで芸術家気質で知的関心も片寄っていたから、家族親戚の地主らしい旧套には逆らったに違いないが、ウィンウッド・リードはまさにその反動で彼を引きつけるような本だった。陰鬱な文明論で、その結論はシャーロック・ホームズの同時代人たちを滅入らせたに違いない。

  精神の苦悶の時代が近づいている。我々がこれを通り抜けて、はじめて子孫が生まれるのだ。霊魂は犠牲となり、不滅の望みは消えねばならない。

*ノックス師 ロナルド・ノックス(1888-1957)。「シャーロック・ホームズ文献の研究」参照。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月14日 (火)

シャーロック・ホームズの性格(1)(2)

[シャーロック・ホームズの性格(1)再録] 

Holmes2

 シャーロック・ホームズの性格を研究する人がとかく陥りやすい誘惑は、むやみに新奇なものを求めることである。聖パウロの時代のアテネ人のように、ホームズ・ファンは新しいものを欲しがる。斬新な憶測、斬新な結論はむろん魅力的である。しかし、ともかく珍奇ならば何でもよいというのでは、学問の健全な進歩は期待できない。況やホームズ自身の原理と方法に合致しないことは言を俟たないのである。ホームズは繰り返し「データ」の重要性を強調し、当て推量ではなく推理を勧めたではないか。
 ホームズの家系についてはすでによく知られているように、祖母はフランス人であった。先祖は代々の地主で典型的な紳士の暮らしをしていた。17世紀と18世紀のワイト島の総督にホームズが一人ずついるが、これが彼の一族だったかどうかは分からない。同様に子供のときの教育についても、知られていることはほとんどない。兄のマイクロフトについては、外務省で特殊な枢要の地位に辿りつくには、60年前にはパブリックスクールと大学での贅沢な教育が不可欠だったことは想像に難くない。シャーロックについては、パブリックスクールの生活には気質的に適しなかったので幼時から自宅で教育されたか、学校へは短期間行っただけであとは家庭教師の手に委ねられたと推測してよかろう。彼の運動も、パブリックスクールよりは田舎の邸宅が背景としてふさわしい。団体競技には無知なのは周知の通りである。得意なのは家庭で学べるスポーツだった。家庭教師か、あるいはフランス人の親戚が、フェンシングを教えたのだろう。ときには父親に連れられて猟に行くこともあったはずだ。ボクシングの基本は、村の子供達と手合わせして覚えたに違いない。[ここまで再録」

Sherlock

 ヴェルネの影響については、ホームズ自身がはっきりと述べている。自分は芸術家の血を引いていると。ホームズは絵は描かなかったが、音楽を熱愛し、極めて有能な俳優だった。彼は常に「芸術のための芸術」を標榜していた。といってもイエローブック*の流儀ではなく、高遠な理想主義からであった。

 芸術のために芸術を愛する者は、ごく些細なつまらぬものに芸術が示現する場合に、しばしば最も強烈な喜びを得るのだ。……僕が自分の芸術に正当な扱いを要求するのは、それが個人を越えたものだからだ。僕一人のものではないからだ。

 ホームズが若いころには地主階級とパブリックスクールの因襲に反逆したのは当然だろう。しかし、すでに見たように、ワトソンが初めのころの印象を、ともかく型破りの男だ――放縦で、愛だの恋だのは鼻であしらい、文学には無知、政治や哲学には無関心――と記録したのは、少々早まったのであって、必ずしも正しくはなかった。ホームズの女性関係は別に論ずるとして、ここでは政治について見ておこう。
 言うまでもなく、政治的意見の対立とか政党間の確執などには、ホームズは無関心だった。しかし、現在ならば国際政治とでも呼ぶべき領域について、幅広い自由な物の見方をしていたことは確かだ。

 はるか昔に王様が馬鹿なことをした。大臣がへまをやった。だからといって、我々の子孫がいつの日か一つの世界大国の市民にならないとは言えない。そのとき、国旗にはユニオンジャックと星条旗を四分の一ずつ*使うことになるだろう――私もこう信ずる者の一人です。

*イエローブック(1894-97) 《Aubrey Beardsley, Max Beerbohm, Henry James たちが寄稿した英国の季刊文芸誌》――リーダーズ英和辞典

Yellow3

*四分の一ずつ ……a flag which shall be a quartering of the Union Jack with the Stars and Stripes.

動詞のquarter は、リーダーズ英和辞典によれば紋章学の用語として次のような意味があるらしい。

【紋】 〈盾を〉《縦線と横線で》四分する; 〈紋章を〉盾の四分区に配置する; 〈他の紋を〉自家の紋に加える; 〈紋章を〉他と対角線上の位置に配置する

 ホームズの考えている新しい国旗は、四分の一の部分にユニオンジャックを置き、対角線上の四分の一に星条旗を配置し、あと二つの四分区にはまた別の模様を置くというものらしい。なんだかごちゃごちゃしていますね。
 翻訳は「ユニオンジャックと星条旗を組み合わせた旗」くらいに簡単に済ませてしまっても差し支えないと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月11日 (土)

談合坂

D2b543fc

 (写真はDOWNTOWN DIARYから拝借しました。)

 東京の団子坂の由来も、談合とつながっています。あの坂の奥に根津権現の古社があり、神社へ至る道が聖域と俗界の境界になっている。相談事を村境でするのは「境界争い」の場合に生じますが、その場合の談合形式は、聖のテリトリーである境界で両者が話し合いをして決着する。日本には、元来聖なる場所で談合するという伝統があったらしい。その場合には、接待や饗応、その際に奢りという言葉で表現されるような、神様の前で皆共食する会合があった。ですから、聖域で「神人共食」の場の談合は正当なものだった。現在の談合では聖域や「神様抜き」のやり方が横行している。
(宮田登)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

言ふまいと

言ふまいと思へどけふの暑さかな

You might on my head today's hot fish!

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2007年8月 3日 (金)

ラッセル自伝の誤訳(5)

2_baby_21_fath_2
(バートランド・ラッセルと父ジョン・ラッセル)

 両親は兄のために、D.A.スポルディングという、かなり科学的能力のすぐれた家庭教師を雇った。ウィリアム・ジェームス(著)の『心理学』のなかでの彼(スポルディング)の著書への言及からみて、すくなくとも私はそう判断する。
 スポルディングは、ダーウィン進化論の信奉者であり、ニワトリの本能の研究に従事していたが、彼の研究を助けるため、応接間もふくめ、家中のどの部屋を使い荒らしてもよいという許しを得ていた。彼は当時、肺結核の症状がかなり進んでおり、父の死後ほどなく亡くなった。  
 純然たる理論的根拠から、明らかに父と母は、彼(スポルディング)が肺結核の故に子供をもつべきではないが、さればといって独身で暮らすよう求めるのも正しくないと結論していた。それで母は、彼が一緒に暮らすことを許した。けれども、そうすることによって母が、幾らかでも楽しかったかというと、全然そのような形跡は見当たらない。いずれにせよ、せっかくこのように配慮をしても、それもほんの短い間しか続かなかったのである--というのは、それも私が生まれた後始まり、私が二歳になったばかりで母が亡くなられたからである。

 太字のところが間違っている。まったく何も分かっていない。これではラッセルを読む資格なんてないでしょう。
 この箇所は、日高一輝訳でとんでもない誤訳があったのを、松下氏が一応は直したのです。しかし、これではまだ駄目です。

 まず原文。「純然たる理論的根拠から」以下に相当する部分。

Apparently upon grounds of pure theory, my father and mother decided that although he ought to remain childless on account of his tuberculosis, it was uufair to expect him to be celibate. My mother therefore, allowed him to live with her, though I know of no evidence that she derived any pleasure from doing so. This arrangement subsisted for a very short time, as it began after my birth and I was only two years old when my mother died. 

 スポルディングは肺結核だから子供は作るべきではない。しかし、一生女性に縁がないままでいろというのはアンフェアである――父と母は、まったく理論的根拠からこういう結論に達したらしい。それで、母が、スポルディングとベッドを共にしてやることにした。母がそこから何らかの快楽を得たという証拠はないのであるが。この取り決めは短期間しか続かなかった。私の誕生のあとに始まったのであり、母は私が二歳のときに亡くなったから。

 live withというのは日本語の「同棲する」に似た婉曲表現です。ラッセルも、まさかこんな読み違いをする読者がいるとは思わなかっただろう。
 住み込みの家庭教師だから「一緒に暮らす」のは当たり前です。別に変ではない。
 ラッセルの父母は、夫婦でよく相談して
「あのスポルディングさんは、独身のまま死ぬなんて可哀想だ。だから、妻の私があの人と寝てあげることにしましょう。それが理論的に正しいのだ
と決めたのです。
 好色だから浮気するというのはヴィクトリア朝の英国にも、もちろんあった。しかし「正しいから」という理由で夫婦同意の上で婚外交渉の取り決めをするというのは破天荒であった。
 1876年にラッセルのお父さんが亡くなったあとで、このことが暴露されて一大スキャンダルになった。
 それでお父さんが遺言で決めておいた子供の養育権者(友人)が裁判で取り消されて、ラッセルはお祖父さんの邸宅、ペンブローク・ロッジに引き取られることになった。

1_pembkl

 ラッセルの両親はジョン・スチュアート・ミルの弟子で徹底した合理主義者だった。「理論的に考えて正しいことは万難を排して実行すべきだ」と考えていた。
「千万人と言えども我行かん」という気概があった。ラッセルは両親の血を受け継いでいるから、大哲学者になり、政治的にも極端から極端に走った。どう極端だったかというと――

| | コメント (3) | トラックバック (0)

ラッセル自伝の誤訳(4)

1_moth_22_baby
(母とラッセル)

 私はM.マッツィーニの崇拝者ではなく、彼の性格と主義主張は全く嫌いであり、憎悪しています(注:M は G の誤植だろうか? 即ちマッツィーニというのは、ジュゼッペ・マッツィーニ(Giuseppe Mazzini, 1805-1872)のことだろうか、それとも別人だろうか?)。その上、私が占めている公的な地位を考えれば、彼との文通の橋渡し役をつとめることはできません。

 これは実に珍妙な誤解である。MはGの誤植だろうかだって! 
 ラッセルのお母さんが手紙を出そうとしたのは、たしかにイタリアの愛国者ジュゼッペ・マッツィーニです。

Media379120

 Mは「ムッシュー・マッツィーニ」のMに決まっているじゃないか。そんなことも分からないの? いったい英語の本を読んだことがあるのだろうか?
 マッツィーニならイタリア人だから「シニョール・マッツィーニ」のはずだ? それはそうですが、当時の英国人というのはそういう細かい区別はしないのです。
「要するに外人だろう。カエルを食べる変な連中だろう。同じだ」というのでムッシューで済ませたのだ。(さすがにドイツ人の場合はムッシュー呼ばわりもできないので、ヘル・ハイデッガーというような呼び方をした。)

 外国で大英帝国を代表する役割を果たしている私に、わけの分からん外人、しかも過激派だというじゃありませんか、そんな奴との仲介をしてくれというのはどういうことです? あなたがラッセル伯爵家のお嫁さんだからまだ我慢しているんですよ――というのがこの領事の言いたかったことだろう。

 しかし、これはまあ軽微な誤訳でしょう。
 もっと本質的な誤訳が控えています。(続く)

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月 2日 (木)

ラッセル自伝の誤訳(3)

Russell

 メアリー女王の両親が主催したある園遊会で、ケンブリッジ公爵夫人がかん高い声でこう言った- 
「ええ、わたしにはあなたがどのような方かわかっていますよ。わたしの息子の嫁です。……」

 ケンブリッジ公爵夫人が話しかけている相手はバートランド・ラッセルのお母さんである。公爵夫人から見て「わたしの息子の嫁です」なんてことはあり得ない。

 バートランド・ラッセルの母親ならば父親の妻である。バートランドの父親はジョン・ラッセル(1842-1876)である。この人は自分の父親の初代伯爵ジョン・ラッセル(1792-1878)よりも先に亡くなった。
 バートランドの祖父にあたるラッセル伯爵は1846-1852年と1865-1866年に首相を務めたホイッグ(自由党)の大物政治家である。この人の奥さんはもちろんラッセル伯爵夫人であって、彼女がバートランドのお母さんの姑になる。

 ラッセルを翻訳するならば、これくらいのことは弁えておいてもらいたいものだ。だいたい、嫁と姑が園遊会ではじめて顔を合わせるなんて、変でしょう。あり得ない。 

Yes, I know who you are, you are the daughter-in-law.……

 原文はもちろんmy daughter-in-lawなどとは書いてない。単に「義理の娘」と言っただけ。すなわち「あの有名なラッセル伯爵夫妻の」義理の娘ということは分かっているので、theで済ませただけのことだ。

But now I hear you only like dirty Radicals and Americans. All London is full of it; all the clubs are talking of it. I must look at your petticoats to see if they are dirty.
けれど、聞くところによれば、あなたが好きなのはただけがらわしい過激派とアメリカ人だけだそうですね。ロンドン中でそれが言いふらされており、社交クラブではその話でもちきりです。私は、世間のうわさどおり急進派やアメリカ人が本当にけがわらしいかどうかを知るために、あなたのペチコートの中(出入りしている世界)をのぞいてみなければならないですね

 これも非常に不思議な訳ですね。どうしたらこういう読み方ができるのか? 
 ヴィクトリア朝の園遊会

K2973b

 園遊会でも貴婦人はだいたいこういうふうなドレス姿だった。

Victoriandress

 まずコルセットでウェストをむやみに締めつけて50cmくらいにしてしまう。(だから健康には良くなかった。女の人は何かあるとすぐに気絶した。シャーロック・ホームズの『空き家の冒険』の冒頭でワトソンが男なのに気絶したのは、それだけショックが大きかったということだ。)これと対照的にスカートを大きくふくらませるために、ペチコートを何枚も重ねてはいたのである。

I must look at your petticoats to see if they are dirty.
 ペチコートが複数になっている。theyは「急進派やアメリカ人」を指すのではない。複数のpetticoatsを指すだけのことだ。

「あなたのペチコートの中」がどうして「出入りしている世界」という意味になるか? 第一、ペチコートのならば、あとはもうパンツ*だけである。女同士でもそこまでは口に出さないものです。英語ではペチコートの「」なんてどこにも書いてありません。

 これは「あなたのペチコートが汚れてないか、見せてもらわなくちゃ」くらいでいいでしょう。

* パンツははいていなかったかも知れない。日本では、1932年(昭和7年)の白木屋デパートの火事をきっかけにズロース着用がひろまったというのが従来の定説であったが、井上章一氏の研究がこの伝説を覆した。西洋婦人のパンツ着用がいつごろから始まったかは、寡聞にして知らない。どなたかご教示下さい。

  あとはM.マッツィーニの注である。(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月 1日 (水)

ラッセル自伝の誤訳(2)

Russel

 メアリー女王の両親が主催したある園遊会で、ケンブリッジ公爵夫人がかん高い声でこう言った- 

バートランド・ラッセルのお母さんがこの「園遊会」に出たのは、1872年のラッセル誕生より前かも知れない。しかし、ヴィクトリア女王(在位1837-1901)の治世だったのは間違いない。シャーロック・ホームズのような偏屈男でもVictoria Reginaの頭文字VRで壁を飾ったくらいの時代である。
 そうすると直ちに「メアリー女王って誰だ?」という疑問が生まれるはずだ。

At a garden-party given by the parents of Queen Mary, Duchess of Cambridge remarked in a loud voice:

 たしかにQueen Maryと書いてあるけれども、「メアリー女王」ではありません。
 Queenには2種類ある。Queen regnantとQueen consortである。「統治するクィーン」と「配偶者たるクィーン」である。女王王妃ですね。
 現在のエリザベス女王や昔のヴィクトリア女王はQueen regnantである。古くはクレオパトラなどがQueen regnantだった。

Accleopatra

 エリザベス女王が崩御されて、息子のチャールズさんが即位されるとKing Charlesになる。しかし現夫人のカミラさんはどうやらQueen Camillaにはならないらしい。
 仮にダイアナさんが離婚しないでチャールズ夫人のままなら、チャールズの即位と同時にQueen Dianaができていたはずだ。これはもちろん「ダイアナ女王」ではなく「ダイアナ王妃」ですね。

16406princessdianaremembrancescreen

 ラッセルがQueen Maryと書いているのはMary of Teck (1867-1953)のことでしょう。この人は英王室の親戚筋に当たるWurttemberg家の血筋(ただし英国に住む英国人)である。Wurttembergというのは11世紀に始まるドイツの王国である。現在の英王室は、元をたどればもちろんドイツ人である。1714年にスチュアート朝が断絶したので、ドイツのハノーバーの殿様ゲオルグという人を呼んでジョージ1世になってもらったのである。
   西洋では、日本ではちょっと考えられないことをするのですね。

 ラッセルの自伝で触れているこのメアリーは、ヴィクトリア女王の孫のジョージ5世(在位1910-36)と結婚してQueen Maryになった。この園遊会の時点ではまだメアリー王妃でない(生まれていないかも知れない)ので、その両親も単にナントカ公爵夫妻と呼ばれていたはずである。

  英国史上Queen Maryと呼ばれた人は何人もいる。「女王」として一番古いのはメアリー1世(1516-58)である。
 この人は例のヘンリー8世(1491-1547)の娘だった。ヘンリー8世は何度も奥さんを取り替えたので有名な人だ。結婚をめぐってローマ教会と喧嘩し、1534年に英国教会を独立させた。跡継ぎはエドワード王であったが、この王様が1553年に死ぬと、敬虔なカトリックだった異母姉のメアリーが王位についた。1554年、スペインのフェリペ2世と結婚し、二人でイギリスとスペインを共同統治するという形になった。この結婚がはなはだ不評だったので、プロテスタント弾圧に乗り出し、300人ほどを処刑して「ブラッディ・メアリー」のあだ名がついた。

Bloody_mary_narrowweb__300x4490

 1558年、メアリー女王が死去すると、ロンドン塔に幽閉されていた異母妹のエリザベス1世が即位した。この人の治世は1603年まで続いた。1588年にはアルマダの海戦でスペインの無敵艦隊を破り、英国が以後ヨーロッパに覇権をとなえることになった。

453pxelizabeth_i_of_england__corona

 だいぶ話が逸れたが、要するに「メアリー女王」などはとんでもない誤訳だということだ。語学以前、常識の問題だ。気がついて指摘する人がいないのがおかしい。
 あと3点の間違いはまた今度。
  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年7月 | トップページ | 2007年9月 »