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2007年9月10日 (月)

ガンジーと憲法9条(3)

 1918年3月、ガンジーはインド西部のケダー地区で納税拒否闘争を指導して勝利し、全国的な指導力の基礎を築いた。
 翌4月、ガンジーはインド総督の要請を受けて、インド人志願兵の募兵活動を開始した。(第一次世界大戦では、すでに8万人のインド人志願兵が英国陸軍に属して戦っていた。)
 非暴力をとなえるガンジーが英陸軍のために志願兵を募るとは何ごとか、と同志たちは非難した。これに対してガンジーは、次のように書いている。

 いまインド人には二重の義務があります。平和を説くならば、我々はまず戦う能力を証明しなければなりません。……戦う力のない国民には不戦の大義を論ずる資格はありません。

 1918年の時点では、ガンジーの目指していたのはインドの自治であって、まだ独立ではなかった。しかしその後も「戦う力のない国民には不戦の大義を論ずる資格はありません」という姿勢が変化したと信ずるべき証拠はない。

 1947年8月、インドとパキスタンが分離独立したとき、ガンジーはすでに政治の第一線から退いていた。独立インドの首相となったのは、盟友のジャワハルラル・ネルー(1889-1964)であった。

Gandhi_c_2

 インドが独立すると、駐留イギリス軍は撤退してインドの陸海空軍がインドを防衛することになった。
 これに対してガンジーは反対をとなえたか?
 仮にガンジーが「無抵抗主義者」または「絶対平和主義者」であれば

 インド国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 と主張しただろう。
 しかし、インドにはパキスタンと中国という敵がある。軍備全廃はできない。どうすればよいか? 名案がある。イギリス軍に戻ってきてもらうのだ! せっかく追い出したのになあ。
 日本という国は、アメリカ軍を活用して、絶対平和主義の高遠な理想と安全保障を両立させているではないか。見習わない手はない!

 冗談はさておき

 ガンジーの暴力論The Mind of Mahatma Gandhiより

 卑怯にも危険から逃れてはならない。逃げる者は精神的なヒンサー(暴力)を振るうのだ。逃げるのは、殺そうとして殺されるだけの勇気がないからだ。
  私の非暴力は決して力を失わせない。このような非暴力を通じてのみ、国民は危機に際して欲するならば統制のとれた暴力を行使することができるようになる。
 私のとなえる非暴力は極めて能動的な力である。そこには卑怯や弱さの余地はない。暴力的な男はいつの日か非暴力を学ぶ望みがある。卑怯者には何も期待できない。再三述べてきたように、自分と女性と礼拝所とを受難によって非暴力で守ることができないのであれば、男である以上、戦って守らなければならない。
 いかに肉体の力が弱くても、逃げるのは恥である。我々は持ち場を守って死ななければならない。これこそが非暴力であり同時に義勇なのだ。いかに弱くともあらん限りの力を振り絞って敵に危害を加え、その過程で死ぬ――これは義勇であり、非暴力ではない。危険に立ち向かうことが義務であるのに逃げるのは、卑怯である。  
 私は非暴力をとなえる。しかし、非暴力を守ることができない人、守るつもりがない人がいることを認める。その人たちが武器を取りこれを使うことを認める。何度でも繰り返すが、非暴力は弱者のものではない。強者のものなのだ。
 危険に直面しないで逃げることは、人と神と自身に対する信頼を否定することだ。このような精神的破綻状態で生きるよりは入水して死んだ方がましだろう。

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