マラルメの煙草
パリでのマラルメの住居はロオム街にあった。火曜日、このロオム街の小さい部屋は十九世紀最後の文学的季節であった。まだ年少のヴァレリー、ジイド、クロオデルをふくめて、この扉に来てたたかなかったような青春はなかった。あまりに有名なマラルメの「火曜日」については、「クセノフォンがソクラテスを語ったように」すでにひとびとが語りつくしている。これらの「火曜日」全体が一つの大きい会話の流で、詩人の煙草のけむりがそこに黄昏の色をただよわせた。
「いつも煙草の絶間なく、一瞬でもひとびとと自分の間にけむりを置くことをやめようとしないで……」とロダンバックは書き伝えている。おそらく、ひとびとはそこに、現実から夢のほうへ逃げて行くマラルメを見たように思ったのであろう。煙草のけむりに於いて分離された二つの世界しか見ようとしなかったのであろう。げんに、レミ・ド・グルモンはこういった。「どこへ逃げるのか。それがステファンヌ・マラルメのポエジイだ。」また「どこへ逃げるのか。マラルメは寺院の中へのように暗がりの中へかくれた。」
(石川淳)
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コメント
初めまして。石川淳がこういう文章を書いていたことは知りませんでした。「文学大概」興味深いです。チェックしてみます。トラバありがとうございました。
投稿 kiichigo | 2008年4月 7日 (月) 23時35分