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2007年10月 8日 (月)

女王か王妃か(2)

 ルクセンブルグという国は、総面積が神奈川県と同じくらい、人口は46万人強(神奈川県は870万人)の小国である。しかし歴とした独立国で、君主がいる。ただし、さすがにこういう小国でKingは名乗れないので、それよりは格下のDukeに大を付けてGrand Dukeを称している。
 モナコはもっと小さい。人口は3万2000人強である。ここの君主はPrinceを名乗っている。
 昔のヨーロッパにはこういう小国がかなりあった。
 たとえば、文豪ゲーテ(1749-1832)は、1775年、26歳の時に、カール・アウグスト大公の招きを受けてワイマール公国に赴き、1783年には事実上の宰相となっている。このワイマール公国は人口6000人程度の小国であった。

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「ワイマール公国」のドイツ語の正式名称はHerzogtum Sachsen-Weimar-Eisenach。
 カール・アウグスト大公はHerzog Carl-August、あるいはGrossherzog Carl-Augustである。
 Herzogが英語のDuke、GrossherzogはGrand Dukeですね。
 
 しかし19世紀になると、このような小国は存立が難しくなってきていた。

 シャーロック・ホームズのもとに『ボヘミアの醜聞』の事件が持ち込まれたのは、1887年のことであった。
 このときの依頼者は、初めフォン・クラム伯爵と名乗っていたが、実は

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Wilhelm Gottsreich Sigismond von Ormstein, Grand Duke of Cassel-Felstein, and hereditary King of Bohemia

 であった。
 ヴィルヘルム・ゴッツライヒ・ジギスモンド・フォン・オルムシュタインは、名前ですと言っておけばよろしい。
 King of Bohemiaは、かなり問題だ。hereditaryという形容詞が付いているのが変だ。「世襲の王」というのだけれど、世襲じゃない、たとえば選挙で選ばれる王なんているか? 
 ボヘミアというのは、現在のチェコの西半分くらいを占める地域である。ボヘミア王家は11世紀に遡る由緒ある王家である。
 しかし、このころはボヘミアはもう独立国ではなかった。もちろん、オーストリア・ハンガリー帝国の一地域である。
 オーストリア・ハンガリー帝国というのは

1867~1918年に、オーストリアとハンガリーが対等の2国家として連合して中心を構成したハプスブルク帝国(かつての神聖ローマ帝国)。領土としては、今日のオーストリア、ハンガリーのほかに、今日のチェコ、スロバキア、クロアチア、スロベニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ(1908年併合)、セルビア・モンテネグロ、ルーマニア、ポーランド、イタリアの一部をふくむ広大な領域にまたがっていた。全人口5000万人のうち、2300万人がスラブ諸民族だった。
(Microsoftエンカルタ総合百科辞典)

 民族問題で紛争が絶えなかった。セルビアから第一次大戦が始まったのだった。

 もう独立国ではないボヘミアのhereditary Kingというのは、「本来ならKingになるべき血筋のお方(であるが即位はしていない)」ということを婉曲に言ったものでしょう。

 訳はどうしますかね? 最新の光文社文庫日暮訳では「ボヘミア国歴代の国王」となっている。これはちょっと変だ。「歴代の」を一人の王様の頭にかぶせることはできない。「歴代の王たちはみな……だ」というような使い方ならよろしいが。
 
「カッセル・フェルシュタインの大公にしてボヘミア国正統の国王であらせられるヴィルヘルム・ゴッツライヒ・ジギスモンド・フォン・オルムシュタイン陛下」

 いかがでしょう。正統の(legitimate)国王という言い方も、非正統の(illegitimate)国王があり得るみたいで、本当はおかしいのだ。
 しかし、ここは「もうなくなっている国の国王」を表すために、そもそも原文の英語にかなり無理をさせているのだ。つまり、「本来なら王様になれるはずのお方がなれない、お気の毒に」という意味を、そう露骨にむきつけに(英語ではin so many wordsといいますね)言わないで、ほのめかすという言い方である。(もちろん、「カッセル・フェルシュタイン公国」も、もはやない国である。)

 ワトソンが何としても依頼者の正体を隠そうとしてデタラメを書いたので、「ボヘミア王というのは誰のことだろう?」と憶測を呼ぶことになった。
   ボヘミア王に擬せられたのは、オーストリア・ハンガリー帝国皇帝フランツ・ヨーゼフの皇太子だったルドルフ大公をはじめ、大物揃いである。
 しかし、このルドルフ大公は違うでしょうね。1888年秋、30歳のときに、当時17歳の愛人マリー・ヴェッツェラ男爵令嬢と心中して大騒ぎになったからである。この「マイヤーリング事件」は『うたかたの恋』として小説になった。
 1935年にはフランスで映画化された。主演はシャルル・ボワイエとダニュエル・ダリュー。1969年のアメリカ映画は、オマー・シャリフとカトリーヌ・ドヌーブが主演だった。

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 1983年には宝塚でも初演されたようだ。
 このルドルフに代わって皇太子になったのが皇帝の甥のフランツ・フェルディナンドであるが、この人が1914年にサラエボで暗殺されて、第一次世界大戦が始まった。

 イギリスの皇太子じゃなかった、プリンス・オブ・ウェールズであるアルバート・エドワード殿下(後のエドワード7世)ではないかという説も有力だった。

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 この人はドイツなまりもあったし(父君アルバートはドイツ人)、何より大変なプレイボーイだったから、一番の有力候補だった。
 しかし、話が逸れてしまった。「公爵夫人カミラ」はおかしい、そもそも公爵とは――という話をするつもりだった。(女王か王妃か(3)、(4)に続く)

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コメント

重箱の隅つつきですが。

選挙王制のあった欧州の国を挙げれば、有名どころでは神聖ローマ帝国があります。
10世紀以降、ドイツ国王の選挙権をもつ聖俗諸侯の選挙により神聖ローマ皇帝(ドイツ国王)が選ばれる、という建前でした(のちにハプスブルク家から代々の皇帝が選ばれるようになります)。
で、いわゆる7選帝侯の1人にボヘミア王が挙げられております。
ボヘミア王は選帝侯による選挙、という制度が固まった14世紀頃には有力な諸侯でしたが、その後王統が移り変わり、15世紀に断絶します。
16世紀以降ハプスブルク家=神聖ローマ皇帝(オーストリア皇帝)がボヘミア王位を兼ねるようになったのはご指摘の通り(例外はあります)。

それから、中世~近世のポーランドも選挙王制をとっていました。こちらは王権が次第に弱体化したため、ほとんど貴族共和制に近い国家になっていったようです。

よって、ドイツやポーランドなど、選挙王制のあったところでは区別して「世襲の王」という言い回しもありうるでしょう。

それから、legitimateには嫡出の、という意味もあるようですので、そう解釈すると「正統な」は「血統的に正統な」「血筋が正しい」と解釈すべきではないかと思います(血筋が正しい、という意味を含めて「由緒正しい」と訳すのがこの場合適当……でしょうか)。
確か欧州では、王の庶子(あるいは身分の低い女性との間の子供)は適当な爵位を貰って臣下となるのが当然、王位継承は普通ありえない、というのが通例だったかと存じます。何らかの理由で庶子が王位につく、という常識的にあってはならない(だが可能性皆無とは言えない)事態が発生すると、反対派な人々からはillegitimate King、庶子のくせに王位についている不届き者、などと言われてしまうのではないでしょうか……
たとえば、サラエボで暗殺されたフランツ・フェルディナント大公はボヘミアの伯爵令嬢ゾフィーと結婚しただけで皇太子と呼んでもらえず(皇位継承者と呼ばれていた上、妻のゾフィーは皇族としてふるまうことを許されず公の場で夫と同席できなかった)、子供には皇位を継承させないという条件を飲まされました。もし彼が皇位について、自分の子供に(先の条件を破って)皇位を継承させた場合を仮定すると、彼の子供である次期皇帝はおそらくオーストリアの皇族や貴族たちから陰でillegitimateと形容されたことでしょう。

あとまあ、王族が他の爵位を持つのも一般的なので、(いくらイギリス人の著作でも)あえてそこに「お気の毒に」的なニュアンスを読み取ることもないかと。
当時のオーストリア皇室で皇位継承権を持つ若い男性皇族はどなたも身分違いの恋で物議をかもした方ばかりですので、この辺つつき混ぜてジギスムンド王という人物を造形したのではないでしょうか、と考えます。
よって、本来オーストリア皇太子(あるいは皇子)と書きたかったがストレートに書けない(いくらフィクションでも、作品の内容からして当時はそう書いたら国際問題ものでしょう)ので1ランク下の称号であるボヘミア王と書いた、のかもしれないな、と個人的には思うのですが……。

投稿: 通りすがり | 2007年10月27日 (土) 10時26分

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