女王か王妃か(2)
ルクセンブルグという国は、総面積が神奈川県と同じくらい、人口は46万人強(神奈川県は870万人)の小国である。しかし歴とした独立国で、君主がいる。ただし、さすがにこういう小国でKingは名乗れないので、それよりは格下のDukeに大を付けてGrand Dukeを称している。
モナコはもっと小さい。人口は3万2000人強である。ここの君主はPrinceを名乗っている。
昔のヨーロッパにはこういう小国がかなりあった。
たとえば、文豪ゲーテ(1749-1832)は、1775年、26歳の時に、カール・アウグスト大公の招きを受けてワイマール公国に赴き、1783年には事実上の宰相となっている。このワイマール公国は人口6000人程度の小国であった。
「ワイマール公国」のドイツ語の正式名称はHerzogtum Sachsen-Weimar-Eisenach。
カール・アウグスト大公はHerzog Carl-August、あるいはGrossherzog Carl-Augustである。
Herzogが英語のDuke、GrossherzogはGrand Dukeですね。
しかし19世紀になると、このような小国は存立が難しくなってきていた。
シャーロック・ホームズのもとに『ボヘミアの醜聞』の事件が持ち込まれたのは、1887年のことであった。
このときの依頼者は、初めフォン・クラム伯爵と名乗っていたが、実は
Wilhelm Gottsreich Sigismond von Ormstein, Grand Duke of Cassel-Felstein, and hereditary King of Bohemia
であった。
ヴィルヘルム・ゴッツライヒ・ジギスモンド・フォン・オルムシュタインは、名前ですと言っておけばよろしい。
King of Bohemiaは、かなり問題だ。hereditaryという形容詞が付いているのが変だ。「世襲の王」というのだけれど、世襲じゃない、たとえば選挙で選ばれる王なんているか?
ボヘミアというのは、現在のチェコの西半分くらいを占める地域である。ボヘミア王家は11世紀に遡る由緒ある王家である。
しかし、このころはボヘミアはもう独立国ではなかった。もちろん、オーストリア・ハンガリー帝国の一地域である。
オーストリア・ハンガリー帝国というのは
1867~1918年に、オーストリアとハンガリーが対等の2国家として連合して中心を構成したハプスブルク帝国(かつての神聖ローマ帝国)。領土としては、今日のオーストリア、ハンガリーのほかに、今日のチェコ、スロバキア、クロアチア、スロベニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ(1908年併合)、セルビア・モンテネグロ、ルーマニア、ポーランド、イタリアの一部をふくむ広大な領域にまたがっていた。全人口5000万人のうち、2300万人がスラブ諸民族だった。
(Microsoftエンカルタ総合百科辞典)
民族問題で紛争が絶えなかった。セルビアから第一次大戦が始まったのだった。
もう独立国ではないボヘミアのhereditary Kingというのは、「本来ならKingになるべき血筋のお方(であるが即位はしていない)」ということを婉曲に言ったものでしょう。
訳はどうしますかね? 最新の光文社文庫日暮訳では「ボヘミア国歴代の国王」となっている。これはちょっと変だ。「歴代の」を一人の王様の頭にかぶせることはできない。「歴代の王たちはみな……だ」というような使い方ならよろしいが。
「カッセル・フェルシュタインの大公にしてボヘミア国正統の国王であらせられるヴィルヘルム・ゴッツライヒ・ジギスモンド・フォン・オルムシュタイン陛下」
いかがでしょう。正統の(legitimate)国王という言い方も、非正統の(illegitimate)国王があり得るみたいで、本当はおかしいのだ。
しかし、ここは「もうなくなっている国の国王」を表すために、そもそも原文の英語にかなり無理をさせているのだ。つまり、「本来なら王様になれるはずのお方がなれない、お気の毒に」という意味を、そう露骨にむきつけに(英語ではin so many wordsといいますね)言わないで、ほのめかすという言い方である。(もちろん、「カッセル・フェルシュタイン公国」も、もはやない国である。)
ワトソンが何としても依頼者の正体を隠そうとしてデタラメを書いたので、「ボヘミア王というのは誰のことだろう?」と憶測を呼ぶことになった。
ボヘミア王に擬せられたのは、オーストリア・ハンガリー帝国皇帝フランツ・ヨーゼフの皇太子だったルドルフ大公をはじめ、大物揃いである。
しかし、このルドルフ大公は違うでしょうね。1888年秋、30歳のときに、当時17歳の愛人マリー・ヴェッツェラ男爵令嬢と心中して大騒ぎになったからである。この「マイヤーリング事件」は『うたかたの恋』として小説になった。
1935年にはフランスで映画化された。主演はシャルル・ボワイエとダニュエル・ダリュー。1969年のアメリカ映画は、オマー・シャリフとカトリーヌ・ドヌーブが主演だった。
1983年には宝塚でも初演されたようだ。
このルドルフに代わって皇太子になったのが皇帝の甥のフランツ・フェルディナンドであるが、この人が1914年にサラエボで暗殺されて、第一次世界大戦が始まった。
イギリスの皇太子じゃなかった、プリンス・オブ・ウェールズであるアルバート・エドワード殿下(後のエドワード7世)ではないかという説も有力だった。
この人はドイツなまりもあったし(父君アルバートはドイツ人)、何より大変なプレイボーイだったから、一番の有力候補だった。
しかし、話が逸れてしまった。「公爵夫人カミラ」はおかしい、そもそも公爵とは――という話をするつもりだった。
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